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主将のバトン

百坂歩人(モモサカ アルト)……大阪府出身。空手部2年14歳。次期主将。
身長158cm。桃色髪(ショート)。人間。せっかち
兜璃莉矢(カブト リリヤ)……岡山県出身。空手部3年15歳。現主将。
身長191cm(角含めず)。カブトムシ獣人。おおらか


「そこまで! 挨拶して集合じゃ!」
璃莉矢さんの独特で癖のある掛け声が、道場に響き渡る。オレたちは渾身の「ありがとうございました!」を相手と交わした。
部員全員が集まったのを確認し、璃莉矢さんが告げる。
「よし、昼休憩じゃ! 50分後に集合!」
空手部員一同が「押忍っ!」と声を張り上げ、各々の定位置へと散らばった。
弁当の前にいったん手と頭を洗っておこうかと、タオルをひっかけて水道場に続く廊下へと出たとき、ガシイッ! と、後ろから肩と脇腹をつかまれた。人間のオレ相手にボディタッチする人なんて限られているし、この硬くて細長い指の感触が4本分。あの人しかいない。
「アルト、お疲れ!」
振り向けば、眼前に広がる無邪気な笑顔の花畑。そして、ツノ。我らが大将、璃莉矢さんである。
オレは背筋をピンと伸ばして
「押忍っ! いきなり脇腹はやめてほしいっす! くすぐったいので!」
と答えた。くすぐったいって言ってるのに、結局毎回こうしていたずらっ子の笑顔で仕掛けてくる璃莉矢さんを見ると、最後はなんだか許してしまうのだ。
「はっはー! くすぐりにいっとるからな! 歩人は相変わらず声がでっけぇのお! ええことじゃ!」
わっしゃわっしゃと、璃莉矢さんの大きくかたい手のひらで髪を撫でつけられる。汗でガサついた髪と、くしのような璃莉矢さんの指先が、ときたま引っ掛かって、ちょっと痛い。
「ちょっと、やから部活中の髪グシャはやめーやって毎回」
「ええじゃないか、減るもんやないし。って、またタメ口出てるぞ?」
ここまで、休日の部活のいつも通りのやりとりだ。ふたりきりになると、つい幼馴染の関係性を持ち込んで、タメ口が出てしまう。「上下関係はちゃんとしたいから、これからは部活外でも敬語を使いたい」そう入部の時に璃莉矢さんに伝えたときの少し悲しそうな表情を、今でもしっかりと覚えている。
璃莉矢さんは愉快そうに微笑みながら、タオルで汗を拭った。はだけた道着からチラリと見える、メタリックでつややかなネイビーブルーの肉体は、ちゃんと努力と鍛錬を重ねてきた人であることを証明していて、素直に尊敬する。
「たぶん今ので髪2,3本減りましたよ。璃莉矢さんみたいなつるつるヘッドになったら、どうしてくれるんです?」
「ワシも、このピンクヘアーの触感と匂いを堪能出来んのは嫌やけぇ……髪グシャは練習前だけにするか」
「デジャヴ。先週も同じこと言ってた」
「あれ、そうじゃったかのー?」
璃莉矢さんが、ふいに両目を右上にそらした。ニヤつく口角のとなりで触角が、ぴょこりぴょこりと揺れ動く。これは……とぼけているときの、お決まりの表情だ。
「そんなことより、頭洗いに行くんじゃろ? ワシも行くけぇ」
そう言われ、冬の乾いた空気がただよう廊下にいたことを思い出す。
最近、璃莉矢さんから声をかけられることが多い。強くて優しくて、おまけにちょっぴり強引で。遊び心あふれる現大将は、みんなの憧れの的。そんな人望の高い人が、オレなんかを気にかけてくれている。この人のストレートな優しさが、まぶしくて、嬉しくて、そしてちょっと、もどかしい。
廊下から外に出ると、風が強く吹いていた。枯れ葉がザザッと音を立て、コンクリートの上を走り抜けている。冬が、もうすぐ始まる。枝で必死に堪えている葉っぱたちも、残り数えるほどしかない。
蛇口を勢いよく回し、頭から水をかぶる。ずっと動いて温まった身体がスッキリさっぱり引き締まる感覚が好きで、秋でも冬でも、この習慣だけはやめられそうにない。
「しっかし、豪快にかぶりよるのぉ、水」
いつもより身体が熱い。きっとアドレナリンのせいだ。すでに蛇口は全開。早く冷ましたい。
「本当に、今日で引退しちゃうんですね」
冷たい水道水をかぶりながら、傍にいる璃莉矢さんに問いかける。その問いの答えはもう決まっていて、そしてオレが覆せるものではない。
「そうじゃな……しっかし、早いもんじゃのお! 何もできんかったポンコツ幼馴染が、もう明日からは本格的に主将とは、ううっ……んっふw」
「あ、笑った」
本日の練習をもって、璃莉矢さんは空手部を引退する。感慨深げにおいおいと泣きマネをする璃莉矢さんは、言葉とはウラハラにどこか嬉しそうだ。
ムカつく。
「そんなにからかうと……関節まで水ぶっかけますよ?」
「ぬおっ! 関節はやめてくれ関節は!」
手にためた水を、腰付近から生えた3,4本目の腕関節目掛けて投げつける。助走をつけて。うまくいくと「ひゃんっ」とかわいらしい声で鳴いてくれるのが面白い。最近は大概、外してしまうんだけど……。
本来は受験のため、大体の生徒が夏の大会で引退する。でも「身体を動かしていないと勉強にも集中できん! ワシは残るっ!」と、ご立派な大義名分のもと、璃莉矢さんだけは今日まで残ってくれていた。いつの日かの帰り道、本人は「合法的に勉強サボれるけぇ!」と豪快に笑っていたけど、本当は……頼りない次期主将のオレを支えるため。それが本来の目的だったんだろうと、今になって思う。単なるオレの自惚れなのかもしれないけど。
「不安か? 明日からの部活」
璃莉矢さんが、急に真剣な顔に戻ってそう聞いてきた。消える方言。注がれる熱視線。現実の外気温との温度差に、なんだか低温火傷してしまいそうだ。
「そんな……顔に出てました?」
蛇口をキュッと締め、タオルで顔を覆う。あんまり悟られたくないのに、この人はすぐ、オレの感情を察知する。他の人外さんたちと比べても、ずば抜けて敏感だ。幼馴染だから、だけでは説明しきれないくらいに。
「歩人はすぐに顔に出る。匂いでもわかるしのお。なにより最近、動きに覇気がなくなっとるけぇ、もったいない。真人間の歩人には分からんじゃろうが……ま、感情が分かりやすいのも、歩人のええとこじゃ! そのままそのまま! 自然体じゃ!」
「また適当なことを……うおっ!」
バシリと、勢いよく背中をたたかれた。
「真実じゃ! 素直に受け取らんか!」
そう勢いよく言うと満足したのか、璃莉矢さんも蛇口に手をつけ、頭を洗い出した。大きい角が引っかからないよう、器用に横から頭を差し込んで。
璃莉矢さんは、なんでも褒めてくれる。調子の良いときも、あと一歩が踏み出せないときも。オレだけじゃない。一人ひとりの、そのとき一番ほしい言葉を、この人は与えてくれる。日々、変化する自分の感情もあるだろうに、決してマイナスなことは言わない。そこだけは本当に、尊敬する。
そのたびに好きが、深くなる。
「だって、優秀な璃莉矢さんの後任やし……身長も? こんなやし?」
オレがカラ元気で弱音を吐くと、璃莉矢さんは蛇口の水の勢いもそのままに、声を大きくしてこう言った。
「でも、歩人には技術があるじゃろ! 何も幼馴染じゃけぇ温情で、ワシも適当に選んだわけじゃない。それに、ひとりじゃないからの! まあ部活には出んけどワシは変わらず隣におるし、顧問の鬼龍先生も同級生も後輩も。そりゃ、ぶつかることもあるじゃろうが……それ以外では、前に進めんときもある。大丈夫じゃ! 歩人にはセンスがあるけぇ! 他人を導くセンスが!」
璃莉矢さんのこういう、熱く、でもさっぱりとした面倒見のよさが好きで、みんな尊敬しているのだと思う。オレは、そんな風に、皆を導く光のような存在になれるのだろうか。
璃莉矢さんの頭と水しぶきを眺めながら、この人のいない部活をイメージする。今までは、璃莉矢さんの後ろで甘えられていた。でも、明日から本当にオレが主将。リーダー。指示を出し、皆をまとめる。不安がないといえば嘘になる。
璃莉矢さん公認の、次期主将。その気持ちは、夏の試合後の璃莉矢さんの引退スピーチでしっかりと受け取っていた。あの時の言葉に、嘘もよどみもないって、理解はしている。嬉しくないわけがない。

「ふー、サッパリじゃ!」
いつの間にか、頭を洗い終えていたらしい璃莉矢さん。その大きな身体が、小さなオレの身体をスクリーンにして影をつくる。
「あとはのぉ……ちっちゃい方がこうやって、包みやすいし!」
「おわ、ちょっと! せっかく人が感傷にふけってるときに! 返せ! 感動!」
ジリジリと迫りくる巨体を、バックステップで華麗にかわした。そのまま廊下にもどり、安全な距離を確保する。小ささは時々、回避だけには役に立つ。
「ぐぬぬ……昔はもっと、大人しく包まれてくれとったのに!」
行き場を失った4本の腕たちが、かしゃりかしゃりと音を鳴らした。腐っても次期主将。見くびってもらっちゃ困る。
「昔は昔のことや! オレやって成長してるんっすからね!」
「悪い子じゃな、歩人。お仕置きせにゃあ……羽使ったら、脚はワシのほうが早いって知っとるか? 3,2...」
「おい、バカやめっ」
こうやって唐突に始まる追いかけっこも、たぶん今日で最後。しばらくは。
オレは少しでも距離を取るべく、全力ダッシュで道場へと急いだ。100メートル先。そこまで逃げられれば、オレの勝ち。いつもハンデをつけてくれるのが、癪だけどやさしい。そんなチキンレース。
「抱かれたくなければ、走るんじゃあああッッッ!!!」
「キャーーーッッッ!!!」

「廊下を走るなアアアッッッ!!!」
顧問であり担任の、鬼龍先生の怒号が廊下にこだまする。昼休憩の時はいつも職員室で昼食をとっているみたいだが、先生がいることも忘れて廊下を走ってしまうくらいに、今に夢中で、全力で必死だった。
チラリと後ろを振り返る。風に膨らむ道着から見える璃莉矢さんの肉体美が、窓から差し込む正午の陽光に照らされ、キラリと輝いた気がした。
さあ、走れ!

★部活後、西日さす通学路にて。ふたり並んで、河原の上の塗装されていない道を、自転車を引いて歩いている。
「と言いつつじゃが」
「家となりやから、最低あと3年は会えるもんね」
「そうじゃな……学校でもタメ口でええって言いよるのに。もう空手部員やないんやけぇ」
「ヤだよ、素がでたらワケわからんやろ? あと、なんか今更矯正するんもハズいし」
「言うても、たまに出とるけどな」
「素を引き出す璃莉矢さんが悪い」
「もう、璃莉矢さん璃莉矢さんって、むずがゆい……昔みたいに『りーくんっ!』って、子どもの笑顔で呼んでくれてもええんじゃぞ? あ、今も相変わらず子どもか身長も子ども身長やし」
「兜さんに降格させよか?」
「あ、璃莉矢さんのままで」
「よろしい」
「さみしい」

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