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ハニービー


「まえがき」

十数年程前に若者の間で流行していた
通話し放題の携帯電話。
契約と同時に二台の携帯が与えられ、若者カップルの間では、片方の電話機本体を相方に渡し、いつでも気兼ねなく通話を楽しんだものだ。だが、それも時代と共に需要は減り、今では見かけなくなってしまったが、まさにあの時代の若者の象徴でもあるように思う。

「本編」

私は、十数年ほど前に一世を風靡した携帯電話です。黄緑色の私はハニービートと名付けられております。
私は今、東京の足立区と呼ばれる場所の、大きな川のほとりにある六畳一間のアパートの部屋の片隅に積み上げられた段ボールの中で、一二世代程前の海外の紙幣だの、一世を風靡したアイドルのCDだのと一緒に生活しています。

それまでは、主人のご実家がある九州のとある田舎で、皆に忘れられて、ひっそりと生活しておりましたが、先日、主人の母が荷物整理の途中に私を見掛けて、主人に電話を掛けて、私と、そのほか私と同様に忘れられた仲間たちとを一緒の段ボールに詰め込んで、こちらに参った次第です。

こんな長い旅は久しくなかったものですから、からだの至る所が悲鳴を上げて、すり減り、ああ、私もそう若くはないのだと実感しましたが、医者にかかる身分でもないので、このまま捨てられる日が来るのをただ、じっと待つ以外に私の生き方はないのです。

こちらに来る途中、何かの衝撃で中国紙幣の方の上に私が跨る形となり、その方は大変怒っていらっしゃるようでして、私は、申し訳なくなり謝ろうにも言葉が通じず、ひたすらに中国語で罵声を浴びましたが、それを見かねたアメリカドル紙幣の方が何やら英語で会話を始め、しばらくすると、落ち着いて、何事もなかったかのように、お二方がそれぞれのご友人とお話を始めたので、きっとアメリカドル紙幣の方がうまくやって下さったんだと思い、お礼を申し上げて、眠りにつきました。

二晩程過ごしたかと思います。
なんせその時は封がされ、段ボールの中は真っ暗でしたので、今が朝なのか夜なのか、全く見当がつかず、頼りになるのは外で話す方の声だけでした。
「おはようございます」と、気持ちのいい声で私は目覚めて、配達員の方だとすぐに分かり、いよいよ旅が終わるのだと思っていましたら、それから一時間もしないうちに、私は十数年ぶりに主人との再会を果たしたのです。

私が知っている主人は、坊主頭で、顔中に出来た吹き出物に悩まされており、野球をなさっておりましたので、体格もよく、頬はつまんでもまだ余裕がある程膨らんでおりましたが、今はまるで違います。

当時の面影はどこにもなく、まるで別人のようでした。髪は自由に伸びて、放置された公園の芝のように、強い生命力は感じるのですが、お世辞にもお洒落とは言えず、どちらかと言えば、汚らしいという印象さえあります。

当時と変わらず肩幅はしっかりとしているのですが、そこに筋肉はなく、頬はつまむことが憚られるほど、こけ落ちておりました。

まだ朝方だと言うのに部屋は暗く、風通しが悪いのか、部屋中が湿っており、お世辞にも居心地が良いとは言えず、こんなところにずっといると気持ちが滅入ってしまうと思い、主人に声をかけるのですが、もちろんそんな声など届くはずもなく、ただただ虚しさばかりが段ボールに反響するのでした。

この十数年で主人に何があったのでしょうか。もちろん私から直接お伺いすることはできませんし、主人の六畳一間のこの部屋には、どなたもお目見えにならないので、交友関係から探ることもできません。たまに電話が掛かってきては、煙草と財布、それからスマートフォンを小さな鞄に押し込み、それを肩に斜めに掛けて、嬉しそうに出掛けていくのです。言うまでもありませんが、そんな日の帰りは決まって朝方で、アルコールと煙草の匂いを身に纏い、壁伝いでなんとか布団までたどり着くと、そのままお休みになるのです。私は口が開いた段ボールの中から、その様子を黙って眺めていますと、とても侘しくなるのです。

当時、主人には恋人がおりました。私がその方とお会いしたのはたった一度のことでしたが、それは可愛らしい方だったと記憶しております。

同じ高校に通う、花奈という名前の女性で、主人は花奈さんの事をはーちゃんと呼んでおりました。

最近では、主人と母はラインというもので電話をなさっているようで、どうもそれがお金がかからない大変便利なものらしく、私が日の目を見る事はもう、一生こないのだと理解しておりますが、当時は、今とは違いましたので、恋人同士が電話をする際には、私たちが大変お役に立っていたのだと思います。

自分で自分のことをお役に立っていたなどというのも大変馬鹿げた話なのですが、そんな時代も確かに私にはありました。

実を申しますと、私にもパートナーがおりました。お相手の名前をわざわざここでは申し上げませんが、彼がどこで何をして過ごしていらっしゃるのか皆目見当もつきません。もしかすると、先に逝ってしまわれたのかもしれませんし、私のようにどこかの段ボールの中でひっそりと余生を過ごしているのかも知れません。私たちは生き別れた夫婦のようなものです。

主人と出会ってすぐに私のパートナーは、花奈さんの元へと渡りました。私が花奈さんとお会いしたのはその時です。ショートボブとでも言いましょうか。

少し風が吹くだけでサラサラと靡く髪は、それは美しくて、確か、どこかの駅のホームだったと思うのですが、お互いに何本も電車を見送り、その間、私もパートナーとお別れをしたのを覚えています。

お別れと言っても、私が彼と出会ったのも主人と出会うほんの数日前の事でしたので、許婚とでも言いましょうか。
互いのことは何も知らず、一緒になり、彼は大変無口な方でしたので、私から色々と話を切り出しては、それに応えて少しばかり微笑んで下さり、最後には、「お元気で。」と一言だけ言葉を交わしたのを覚えています。

未練はないのかって?素直に申し上げますと、その時は何も感じませんでした。

彼のことを何も知らなかったんですもの。
悲しい、寂しいといった気持ちにはちっともなれませんでしたよ。

でも、不思議なんですけどね。今はすごく彼の事を思い出してしまうんですよ。あの時、もっと色々と聞いておけば良かったって、後悔している程です。もっと彼のことを知りたいと思っております。

それからというもの、私は主人に色々なところに連れて行ってもらいました。野球の合宿があるとかで長崎の諫早にも行きました。あそこは本当に空気が澄んでいて、気持ちがいいところでした。
もちろん私は合宿場の宿でお留守番しているわけでしたが、朝早く、まだ日も昇る前に部屋を出て行った主人とそのお仲間たちを見送って、誰もいない部屋でひとり、窓から見える景色を眺めておりました。
昨夜の主人たちの話を思い出し、一人、くすっと笑って、男の汗の匂いが染みついた布団に頬ずりしたりして、私はいけない女だったのです。

夜になり、お風呂と、食事を済ませた主人が私を抱きしめて、そして、花奈さんに電話を掛けます。会えなくて寂しいだの、どんな練習をしてるだの、そちらはどう過ごしているのかなどと、尋ねて、会える日を待ち遠しくしていらっしゃいました。

お二人が会うときは、私を自宅に残してお出になっていたので、その時の会話は知りませんが、その日の晩に、今日行ったあそこはどうだったとか、今度はあそこに行きたいだとか、色々話すものですから、私もそれを知って、あれこれと想像しておりました。実に楽しい日々でしたよ。

最近、主人は小説をお書きになっているようでして、一日中、部屋にこもり、パソコンと向き合っております。時折、文章を口にして、まるで昔話でもしているような、そんな様子です。

そこに出てくるお名前の方を私はほとんど知りませんが、この前、一度だけ、「花奈」と口にしました。

その花奈が私が知っている花奈さんかどうかは存じ上げませんが、主人の中にもまだ、あの時の記憶が生きているのかも知れないと嬉しくなり、私は深い深い眠りにつきました。



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