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運5割、環境3割、努力2割

🫖さんが言っていた。
物事を決定づける要因の割合は
「運5割、環境3割、努力2割」
「残酷なことに人生の大半は運だ」と。

まだ17年しか生きていないが、これまでの人生を振り返ってみても、たしかに人生は運だと思う。

「本と小学校受験の話」というタイトルの記事にも書いたが、私が小学校受験するきっかけになった、とある私立小学校のパンフレットがあるのだが、それをを見つけたのも、運だ。
たまたまそれを見つけて、受験したいと言った。
親がパンフレットを持っていたのも、運だ。
小学校受験では、それを「ご縁」と言う。

小学校受験を経験して、私も、親も、偏差値に縛られた価値観の中で生活するようになった。
偏差値が高いのが良い。
偏差値が低いのは悪。
そんな偏った価値観だった。
塾の模試で偏差値が低いと落ち込み、親からも指摘され、先生には「頑張りが足りない」と言われた。

だんだん家庭環境は悪くなり、親はちょっとしたことで、私や妹に手を出すようになった。
暴言から始まり、叩く、蹴る、物を投げる、食事を抜かれる、土下座させられる、髪を引っ張って引きずる、外に締め出す、、、  

思い出すのも辛いのでこれくらいにしておくが、色んな記憶が、今でも、頭を支配して辛く苦しくなることがある。
小学生の間はずっとそんな環境だった記憶がある。
私が中学生になり、親に手を出されても反抗できるだけの力がついて、家庭環境は少しづつ良くなっていった。

今は円満とまではいかないが、親とはそれなりに上手くやっていて、家族で旅行に行ったりもするほどまで改善した。
それでもやっぱり、私は荒れていた家の様子を忘れることができない。
忘れるどころか、トラウマになっていてフラッシュバックして息苦しくなるときもある。

特に、暴言は今の私に大きな影響を与えていると思う。
でも、具体的にどんなことを言われていたのか、少ししか思い出すことが出来ない。
暴言を浴びせられたという事実だけが私の頭に深く焼き付いている。

家庭環境が円満だったら、精神疾患にもならなかったかもしれない。
それもまた運なのだ。
たまたま環境が不安定な家庭に生まれたという運。

 精神疾患になったのも、運なのだとしたら、それはもうどうしようもないことだ。

どうしようもないから、精神疾患になったことを受け入れられるか?と聞かれても、私はそう簡単に受け入れられない。

今の私の状態を、幼い頃の私が知ったらどう思うだろうか?
幼い頃の私は、こんなことになるなんて夢にも思わなかったし、もっと高い理想を描いていた。
幼い頃の私が、今の私を見たら、きっと絶望し、悲しみ、どうしようもないやるせなさと怒りにまみれるだろう。
私は、幼い頃の自分だけは守ってやりたいのだ。
純粋に、可愛い制服に憧れて、それを現実のものにするために健気に努力していた過去の私を、私は裏切りたくないのだ。

過去の私を守るために、私は、未だに今の私を受け入れていないのだと思う。




最後までありがとうございました。
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