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キリスト教絵画に親しむために

*今回の記事は、キリスト教徒ではない方を念頭に置いて書いています。

「美術鑑賞の楽しみ方をお伝えする」仕事をしていると、時々お客様から感想やご意見をいただきます。

その中で、初めてお会いした方からよく聞くのが「印象派の絵は好きだけど、キリスト教の絵はよくわからない」というお言葉です。

私の考えでは「よくわからない」=「興味がない」=「好きじゃない」なので、だったら印象派の絵を見て楽しめれば良いのじゃないだろうか、と思います。

ただ、「美術鑑賞の楽しみ方」をお伝えする立場から言うと、よくわからないから、興味がないから敬遠してそこで終わり、ではちょっともったいないと思います。

キリスト教の絵がよくわからない理由はなんと言ってもキリスト教そのものについて知らないからだと思います。
それはそうです。普通はキリスト教徒でなければ一生知る機会はありません。
だけど、キリスト教の絵の意味を理解するには、「この絵がキリスト教の経典である聖書に書かれたどのような場面であるのか」を知る必要があります。
「受胎告知」「最後の晩餐」とか、タイトルからしてわかりませんよね。
その状態で何かを感じて楽しむのは至難の技で、だれでも簡単にできることではありません。
そんなハードルが高いことに挑戦すると「やっぱり意味わからんし、面白くないから観なくていいや」と思って遠ざけてしまうことになります。

「まずは絵に描かれた聖書の物語を知る」
これを先にしてしまえばいいのです。
知ってしまえば感想やら新しい疑問やらがふつふつとわいてくるでしょう。

「キリスト教徒じゃないからキリスト教そのものには興味がない」
と思うでしょうか?
あるいは
「キリスト教は難しそうで近寄り難いから物語を知るのはちょっと無理」
と思うでしょうか?

日本はもともと神道と仏教が支配してきた国だから、キリスト教が近寄り難いのは当然です。
ただ、キリスト教絵画を理解したいのなら、そのような考えは一旦横に置いた方がいいと思います。
だって、絵画を楽しむために物語を知りたいだけなのであって、
【キリスト教そのものを理解したり好きになったりする必要はない】
(ここが一番大事だと思う)のですから。

もちろん、今でも世界中に多くの信者の人たちがいる宗教ですから、尊重すべき対象ではあります。
でも、食わず嫌いで敬遠するのも違うと思うのです。

しかも、西洋美術史を知れば知るほど気がつくのが、キリスト教が西洋の文化に与えた影響の大きさです。
西洋美術、西洋絵画を今よりもっと知りたいと思ったら、キリスト教に関する知識は避けて通れません。
逆に、キリスト教について、あるいは聖書の物語を知ることで、「この絵には実はこんな意味があったんだ!」という新しい発見が多々あります。

宗教は苦手、キリスト教は苦手、だからキリスト教絵画は苦手。。。といって遠ざけるのは、西洋絵画の鑑賞の楽しみ方のかなりの部分を知らずにいることになり、「今よりもっと絵画鑑賞を楽しみたい」方にとっては非常にもったいないことです。

「好き・嫌い」を一旦置いて、絵画鑑賞のための客観的な手がかりとして知ってみるのはいかがでしょうか?
私自身はそうしています。
そうやって得た聖書の物語に関する知識と、絵画の楽しみ方を合わせてお伝えすると、受講された皆さまは「聖書の絵画の面白さがわかりました」という感想をくださいます。

ちなみに、聖書の物語を知るのにいきなり聖書そのものを読むのはハードルが高いです。

あくまでも美術の解説書としての例えば「キリスト教絵画入門」などというタイトルの本がとっかかりとしてはおすすめです。
そうして慣れてきてから聖書を読むと、さらに新しい発見があることと思います。

この文章が、「キリスト教絵画を知りたいが敷居が高く感じて困っている」方に、少しでも敷居が低く感じられるのにお役に立てばうれしいです。

ちなみに、ストアカのオンライン講座ではダ・ヴィンチ「最後の晩餐」を徹底解説する講座を用意しています。

現在開講日程はありませんが、ご興味あればご対応いたします。
最後まで読んでくださってありがとうございました。

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