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「夜明けとともに起き日暮れとともに寝る生活」って 憧れるけど難しい【KOZUKA 513 shop paper vol51 2023/07】

2023年の夏至は、6月21日だった。5月くらいからだろうか、夕方になってもまだまだ明るいなぁと思い始め、日がのびていることを実感する。それが夏至にピークを迎え、そのあとは少しずつ日が短くなっていくはずなのに、人の感覚は往々にして天の摂理を裏切る。7月に向けてますます日が長くなっていくような錯覚。

夏祭りやら、花火やら、夏休みやら・・・そんなイベントに心が浮き立って、とくに夏休みなんてどんだけでも夕方から夜を楽しめるような気がするから、感覚的にその辺りの時間が伸びる。
でも、考えてみれば、夏祭りの頃にいつまでも日が暮れなければ、屋台の灯りもなかなか魅力を発揮してくれないし、花火大会はけっこう遅い時刻からの開催になる。そんなじれったい思いをした覚えはないから、やっぱり日は短くなってきているのだな、と改めて思う。

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「日が長いな」と感じる
朝は4時30分頃から外が明るくなり
夜は7時頃まで外での作業ができるほど明るい
もっとも 一番日の長い夏至は6月21日だったので
少しずつ短くはなっているはず
それでも感覚的には夏本番に向かう今頃が
一番日が長くなっていくような感じがする
 
朝型の生活にしたいなとこの時期は思う 日の長さを存分に享受したいと
それと なにしろ日中は暑いのだ
畑や芝や植物に水をあげるにしても
あとからあとから生えてくる雑草を取るにしても
太陽が燦燦と輝き始めたら さすがに熱中症の心配もしなくてはならない
明け初めた爽やかな空気の中で 畑の仕事やいろいろな作業ができたらいい
「夜明けとともに起き 日暮れとともに寝る」
そんな生活をしてみたいと憧れる

でも長年 都市での生活をしてきた身体は
なかなかそんな生活に馴染ませてくれない
テレビを見たりネットサーフィンをしたり
夜の時間はあっという間に過ぎていく
気がつけば日をまたごうとするような時間にようやく眠りにつく
寝るのが遅いから 当然起きるのは陽が昇り切ったあと
都市での生活は
人間の生活本来の時間の感覚を失わせていたのだなと少し寂しく思う
今からでもできるだろうか
「夜明けとともに起き 日暮れとともに寝る」そんな生活
 
「晴耕雨読」もまたそう
酷い暴風雨でも台風が来ていたとしても
電車やバスを乗り継いで出勤していた日々
「晴れた日には心躍らせて仕事をし
 悪天候の日は静かに自分の内面と向き合う」
そんな生活を求めて ここに来たのではなかったか と自問する
いろいろ考えても仕方がない
とにかく あふれる日差しとともに生きようと思う7月
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「夜明けとともに起き 日暮れとともに寝る」も「晴耕雨読」もいまだ実行できていない。

ふと、イギリスで夏の数週間を過ごしたことを思い出した。

緯度が高いだけあって、イギリスの夏の夕暮れはなかなかやってこないものなのだった。
ホストファミリーの夕食はだいたい18時~19時ぐらいにとることになっていて、それはまあ常識的な感じだった。夕食が済んだところで、外はまだまだ昼のように明るい。夕食が終わったらあとは家でのんびり・・・とはならず、例えばジョギングやトレーニングをしてみたり、どこかしらで行われる劇やジャズライブを観に行ったり、パブに飲みに行ったり、とにかく本格的に日が暮れる21時ぐらいまでの時間を家族がそれぞれ楽しむのだった。

なるほど。と、自分は近くにある城を散策したり、留学仲間と一緒にパブに行ったり、長い長い夕方を楽しんだ。「白夜」みたいな感覚をほんの少しだけ分かったような気がした。
まぁ、その分、冬の日暮れは日本どころじゃなく早いのだろうから、夏は楽しまなければ損、というのも分かる。もっと高緯度の土地に行けば、白夜と、白夜の反対のほとんど昼のない期間を、季節ごとに過ごすのだろう。そうなれば、「夜明けとともに起き 日暮れとともに寝る」などというのも、ちょっと違うのだろうなと思う。




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