アマプラで『ゴジラ-1.0』を観ました

こんにちは。
鴨井奨平です。

アマプラで配信がスタートされたということで、
『ゴジラ-1.0』を観ました(初鑑賞です)。

私は子どもの頃『ゴジラ』シリーズを観て育ってきました。
一番好きなゴジラ作品は『ゴジラVSデストロイア』です(一番好きな怪獣もデストロイア)。
私のゴジラについてのスタンスは、「ゴジラについてそこまで詳しくないがこれまで何作品か観てきた」、といった感じでしょうか。
そんな人間の感想と思っていただければと思います。


では、これから『ゴジラ-1.0』について述べます。
はっきり申し上げると、私の好みの映画ではありませんでした。
「何が好みではなかったか」についてはここでは記しません(本当に好みの問題だから)。

一方で、「怪獣映画」としては『ゴジラ-1.0』は結構な完成度の作品だと思いました。(偉そうな物言いになって恐縮ですが)米国アカデミー賞受賞は伊達ではないというか、約15億円とも言われる予算規模でこのクオリティの作品を生み出すことができたのは素晴らしいことだと思います(現場の労働環境等については存じ上げませんが)。

しかし私がこの映画を観て思ったのは、
「これって、「ゴジラ映画」なのか……?」
ということです。
なぜかというと、「ゴジラ」というのは何かの「比喩」だからです。
「ゴジラ」が他の怪獣と一線を画するのは、大きくその点においてだと私は考えます。「ゴジラ」は存在そのものが「メッセージ」なのです。
私が最も好きなゴジラ映画は『ゴジラVSデストロイア』と先述しましたが、この作品におけるゴジラは「原子力発電所(あるいは原発事故)」のメタファーでした。
しかし、『ゴジラ-1.0』のゴジラに関しては、(少なくとも私は)何の比喩なのか読み取ることができませんでした。「戦争」あるいは「核兵器・核実験」のメタファーとも読み取れなくはないのですが、作中の舞台設定が終戦間も無くということで、それも違うのかな、と。物語のキャラクター全員が戦争を経験し、実際に核兵器も使用された直後の国が舞台なのですから、比喩も何もないですよね。それを身をもって皆知ってるわけだから。少なくとも、物語における比喩表現の使い方ではないと思います。

なので、『ゴジラ-1.0』のゴジラは(比較的)「純粋な怪獣」として表現されていると思います。あるいは自然災害のような(かと言って、「自然災害」の比喩でもないと思います)。
私はその点が少し不満でした。少なくとも日本産ゴジラ映画においては、ゴジラはメタファーであるべきだと私は考えます。ゴジラってそういうものだと私は思うから。そうなると映画がかなり説教臭くなると思うんですけど、むしろそうあるべきだと私は考えます。「ゴジラ70周年作品」と銘打つなら、なおさらそうすべきだったんじゃないか、と。『ゴジラ-1.0』はメッセージ性がかなり希薄でした。

あるいは私に、映画の「メッセージ」を受け取るのに必要な感度が足りなかっただけかもしれません(その可能性も高いです)。でももっと露骨にメッセージを発信しても悪くなかったのではないでしょうか。だって、初代『ゴジラ』がそうだったのだから。その伝統は維持しても良かったと思います。

以上が私の『ゴジラ-1.0』についての感想です。
ところでこの映画、続編あるんですかね?

今回はこのへんで筆を擱きます。

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