短編小説『表現にこだわったり、おざなりにしたり』

小指の角で頭を打って、痛くて、腹が立って腹が立って。
本当は箪笥の角で足の小指を打ったのだが、箪笥の角で足の小指を打って、というのがまどろっこしくて嫌いで、口に出せなかったのだ。
それで、小指の角で頭を打った、とした。

「箪笥の角でしょ」

指摘されて、柴田しばたは、うん、と素直にうなずきはしなかった。
指摘した相手が、何かと人の揚げ足を取る人間、吉山よしやまだったからだ。
まず、言い間違えたのではない。
自分の言語嗜好の故に、故意に言い違えたに過ぎない。
それを、言い間違えたのだと認めたりしたら、馬鹿にされるかもしれない。
それは嫌だ。

「箪笥の角じゃねえよ、小指の角だって言ったろ」

柴田は頑張った。
吉山は怪訝な顔をしている。

「何それ。小指に角ってある?」

「ここだよ」

柴田は手の平の小指側、手首に近い辺りの肉のふくらみをさすった。
実際に打ったのは足の小指なので、痛みとはまったく関係が無い箇所だ。
でも、話の行きがかり上、その手の部分を示す他ない。

「そこ、小指の角って言うの?」

「俺の中ではそうさ」

「そこで頭を打ったの?」

「そうさ」

二人は近所に住まう同級生で、家の近くで出くわして、一緒に登校するところだった。
山の上にある学校まで、いつもそのようにして通っている。
ビニールハウスを備えた畑が多い、山間に出来た集落で、農家と農家の間の小道を歩いて行く。
道々で、堆肥の匂いが香る。
日差しはきつく、舗装された道は、熱を反射してくる。
吉山は右手に日傘を差して、左手に鞄を提げていた。
背中にリュックを背負って両手の空いている柴田は、ここぞとばかりに右手を頭の上に掲げる。

「俺は日差しを遮ろうとして、こうやって手を、頭上にかざした」

そうしたら「小指の角で頭を打った」ということにしたのだ。
吉山は、日傘の下から胡散臭い視線で見上げていた。

「それだと、その手の柔らかい部分が、ちょっと頭に当たったぐらいでしょ。それってそんなに痛い?」

やっぱり揚げ足を取ろうとしてくる。
そんな相手だ。

「それとさ、家の中の話だっけ?家の外の話だっけ?」

「それは、日光遮ろうとしたんだから、外じゃないか、わかるだろ」

「そうだった?家の中の話してたんだと思ったけど」

つい、柴田は、舌打ちしていた。
自分の言語嗜好に忠実であろうとするせいで、嘘に嘘を重ねる状況に追い込まれる。
これまでにもこういう経験を重ねていた。

「面倒くせえな」

本音を口にしていた。
吉山は柴田の横顔を見た。

「そうだよ。家の中で、箪笥の角で足の小指を打ったんだよ。でも箪笥の角で足の小指を打った、って言いにくくて嫌なんだよ」

「言いにくくて嫌だからって、嘘を言ったら駄目でしょう」

声を高める柴田に、吉山は冷静な声で返した。

「嘘が言いたいわけじゃねえよ。実際の状況に関わらず、俺は『小指の角で頭を打って』って言いたかったんだよ。『小指の角で頭を打った』って架空の状況を伝えたかったわけじゃなくて、俺は、箪笥の角で足の小指を打った実際の状況そのものを、『小指の角で頭を打った』って実情に合わない表現で伝えたかっただけなんだよ」

肌に絡みつくような暑気への反感も混じり、柴田は饒舌になっていた。
日傘の下の陰で、吉山は柴田を見ながら歩いている。

「……柴田君に個人的な言語嗜好があるのは認める。でもね、私が確認したら、君は『小指の角』の場所を示したり、日光を遮ろうとしたと説明したり、架空の状況をでっちあげたでしょう?」

柴田は言葉に詰まった。

「君の表現したい内容と表現したい表現自体に、齟齬があるのは理解します。だけど、私の追求に対して架空の状況を追加してやり過ごそうとしたのは、それは駄目だと思う。苦悩の末の表現も、丸ごと嘘扱いされるんだから。それでいいの?」

問われて、柴田は相手の目を見ることができなかった。

「……お前、何かと揚げ足を取ろうとするから、嫌いだ」

「いつも人のこと揚げ足取りって言うけどさ。私、君が自分の表現へのこだわりを途中で投げ出して、おざなりにするのが見過ごせないの。私にもこだわりがあるの」

黙り込んだ柴田を後目に、吉山は澄ました横顔を見せている。
柴田はうなだれて、彼女の横について歩いた。
少なくとも、揚げ足を取る、という表現の方は、確かに逃げだった。
自分の身近にいる人間をずっと曖昧な位置に置いておきたくて、真摯な表現を避けたのだと柴田は自覚した。
吉山は黙り込んだ柴田と歩調を揃えて、澄ました顔で歩いている。

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