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【推しの子】2期エピソード4感想 〜演劇を嗜んだ立場から〜

「漫画は一人で全部作れるのが楽しい。
 演劇は一人で全部は作れないのが楽しい。」

友人の言葉です。
彼女には、大学演劇のサークル界隈で出会いました。

自分の出身大学は、演劇が盛んなことで有名です。
多種多様な演劇サークルが群雄割拠し、
派生したユニットも含めるとさらに多くの団体が、
1年中、大学内外で何らかの公演を打ち続けているような環境でした。

彼女はそこで、役者業や脚本業、宣伝美術(フライヤーの作成)などの仕事を担当していました。多才な人です。
漫画も、演劇とは別のサークルで当時から描いていましたが、
現在では専業の漫画家として駆け出しの段階にいます。

その彼女が言っていた言葉を、今期の「推しの子」を見ると思い出します。
当時、この作品はまだ存在しませんでしたが、
まさに世界観を体現したような言葉だな、と。

自分の経験上、演劇は「一人で作れない」からこそ、
作中に書かれているようないざこざが、いくらでも起こるものでした。

本作では、原作者側とリライティング側のぶつかり合いが描かれていましたが、
自分がいた演劇界隈ではオリジナル脚本を使うことが多かったので、
これについてはあまり縁が無い状況です。
しかし、それがなくても他にある幾多の理由から内部分裂を起こし、
星の数ほどの劇団、ユニット、座組が解散の危機に瀕したり、
実際に解散してきました。

またそれを経験しながらも、何とか公演だけは行おうと頑張る現場を、
自身も潜り抜けてきました。
公演の機会そのものを飛ばすことは、業界においては絶対にあってはならないことです。
劇場をはじめとした外部からの社会的信頼を失うことは勿論、
主催側が多大な金銭的負担を負うことになります。

自分が少し関わっていた大学演劇・小劇場界隈でさえそうなのだから、
大規模な商業演劇であれば、そのダメージたるや如何程かと思います。
演劇界隈でスタッフを長くやっていた経験上、
自分は「推しの子」においてもスタッフ側の心情により感情移入しています。

しかし、原作サイドがこだわる気持ちも、存分に理解できます。
自分も、演劇界隈でクリエイティブ関係の仕事に携わっていましたが、
その中で作ってきたものたちは、己の魂を外部に噴出させてできたようなものたちばかりでした。
すなわち作品は自身の片割れです。「子ども」と言ってもいいかもしれません。

そうしたものを生み出すには、
本気でクリエイティブでいようとすることが必要です。
それは相当なエネルギーを使い、寿命を削るような感覚があります。
以上を思うと、「推しの子」で大ヒット漫画家サイドが背負う重圧たるや、
自分が想像できるようなものではないと考えます。

そしてさらに言うと、プロデューサーや役者サイドの焦りも理解できる。
私自身、尖りすぎた脚本に、「本当にこれで大丈夫か…?」と思いながら取り組んだ経験もあるし、
いざこざの末にゴーストライターが書いた台本で何とか本番を乗り切ったこともあるし、
最終的にグダグダになってしまった作品と、それにかけた膨大な時間や労力、お金のことを思って呆然とした経験もあります。

冒頭で言及した、漫画家先生になった彼女だって、
演劇界隈にいた頃はそうだったでしょう。
それでも、彼女は言っていました。
「一人で全部は作れないのが楽しい」。
自分だけでは出ない発想や能力がうまくかけ合わされば、
誰も見たことがないような凄いものができるからです。
しかも「体験型コンテンツ」である舞台芸術は、
映像よりもさらに、お客さんを没入させることができる。
私自身、今でもそう思います。

「推しの子」の作品内では、そのように一人では完結しない演劇というコンテンツの制作における葛藤を、どのサイドにも加担せずに書いています。
凄い所業です。
原作が漫画であることを考えれば、漫画家サイドに寄った見解に立場が偏りそうなのに、
よくぞこれだけ多くの人物の立場で描けるものだと思います。

(追記)
ところで今回の展開では、漫画家同士の言い争いのシーンが見られたのが痛快でした。
同業者同士の口論って、悪口の内容一つをとっても、
部外者からするとなかなか思い至らないような内容が色々出てくると思うのですが、
それが新鮮に映りました。
例えば「読者に媚びてキャラ設定がブレてる」とか、「長年描いていない背景をお前に描けるのか」とか。
「推しの子」原作者サイドが、実際に漫画を描いている人でないと、
ここまで面白いシーンにはならなかったと思います。


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