ハレとケ

1 正月になると、毎年のように芸能人を格付けするTV番組が放映されている。
 普段TVを見ない私でも、年が改まる度に新聞のテレビ欄に目を通せば、「まだやっているのか・・・」と思ってしまう。
 
 私は「目を閉じると、赤ワインか白ワインかの区別しか出来ない」程のワイン通である。ワインを飲み始めてかれこれ20年以上になるが、その私がワインの飲み比べをすると、今現在次のような状況である。

①AC「ブルゴーニュ」(3~4千円・「ピノノワール」というブドウ品種のみで造られている赤ワイン)と、「チリ」産の「ピノノワール」(1500円程度)を飲み比べても、違いが分からない。
②冷蔵庫から出したばかりの「ラングドック」(2000円弱・「グルナッシュ」を始めとする複数のブドウ品種を混醸して造られた南フランスの赤ワイン)を一口含むと、「ブルゴーニュ」だと思ってしまう。

 私がバカ舌である可能性も否定できないが、私の味覚が平均的な日本人のそれと同じだと仮定した場合、産地が違ってもブドウの品種が同じであれば、また、ブドウの品種が違っても、サーブされる温度が低ければ香りによって違いを識別できないので、一般人がテーブルワインと高級ワインを飲み比べて「ワインの違い」を言い当てる事はまず無理だろうと思っている。

 テーブルワインと高級ワインを飲み比べてその違いが分かるようになるためには、そのそれぞれについて相当飲み込んでワインに対する経験値を上げる必要がある。ワインが好きな人であっても、収入に応じてワインを飲むので、よほどのモノ好きでない限りテーブルワインと高級ワインを均等に飲み込む事はしないだろうし、酒量の限界もあるから、一般人が世の中に存在するありとあらゆるワインについて通暁する事は不可能と言っていい。

 要するに、「テーブルワインと高級ワインの違いが分かる」には、(芸能人がその生業とする「芸」とは全く関係のない)ワインに対する高度な専門的知識とかなりの経験値が必要とされるので、少し考えれば、芸能人に(ソムリエやワインアドバイザー顔負けの)「ワインの違い」が分かる能力を要求するかのように見える番組の設定自体に問題があると誰でも気付くはずである。

2 それでは、あの番組はなぜ毎回芸能人に対して「ワインの違い」や「楽器の違い」「美術品が本物か否か」等々のテストをし続けているのだろう?

 一般人が日常生活において「ワインの違い」を理解する事を求められる機会は・・・まず・・・ない。芸能人も我々から見れば赤の他人に過ぎず、本来、彼らが「ワインの違い」を分かるかどうかは我々にとって「どうでもいい事」のはずである。
 それにも関わらず、一般人には求められない、そして、彼らの生業に必要な芸とは直接的に関係のない、違いの分かる能力を芸能人にだけ求めるとしたら、それはおそらく「TVの向こうの芸能人がテーブルワインと高級ワインを飲み比べるテストに間違えるシーンを見て、視聴者が何らかのカタルシス」を得るからだと思う。
 
 あの番組には、芸能人を一種の「上級国民」と見做す前提があるから、彼らはワインや音楽等について(少なくとも視聴者よりは)目利きであるはずという・・・繰り返しになるが、そんな鑑識眼は彼らが芸能界で成功するか否かとはほぼ全く関係ない・・・という期待の下に、その期待が破られて(実はそれこそが視聴者の真の期待なのだが)彼らが「上級国民」から普通の人に転落する姿に視聴者は喜びを感じるような作りになっている。
 
 「他人の不幸は密の味」とは良く言ったもので、あの番組も基本的にはそうした人間の本性に根ざした感情をくすぐる事によって成り立っている。20年近くあの番組が続いているのは、番組製作者がそうした人間の本性を分かっているからだろう。

 だが、そうした見方の根底には、「芸能人も我々と変わらないタダの人間に過ぎない」という事実を視聴者が分からない・分かるはずがないという番組制作者のニヒリズムが横たわっている。
 番組制作者は、その点にどこまで自覚的であるかはさておき、「視聴者がバカである」という想定の下に、「バカが喜ぶ」番組を作っているという事に、視聴者の側もいい加減気付くべきだろう。
 橘玲氏によると、「バカはバカであることに気付かない(自分では気付く事が出来ない)からバカなのだ」という事だが、バカにされている事に気付けば、誰だって不愉快になるだろう。
 
 だから私は今後もあの番組を見る事はないし、相変わらず「ブルゴーニュ」と「チリワイン」の違いが分からないまま、毎週デイリーワインを楽しむつもりである。

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藤田 正和
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