落とし罠

1 ブラジリアン柔術の稽古を始めたばかりの頃の私は、BJJの身体運用コードが分からず、先達にスパーでボコボコにされていた、と何度も書いた。ウチの道場では、インストラクターの先生が徹底して「基本重視」というスタンスを貫いておられるので、BJJ(とりわけ競技柔術)において使用されるテクニックは、こちらから質問しない限り一切教えて下さらない。

 入門してから1年経っても、スパーでは5分で何本もタップを取られ続け、怪我を繰り返していたので、さすがに私も「このままでいいのだろうか?」と自問するようになって、先達のスパーを観察するようになった。見ていると、彼らは「スパイダーガード」や「デラヒーバガード」のような競技柔術で使用されるテクニックを駆使し、私は彼らとの間にフィジカルや練習量の差よりも、自分が彼らに比べて「BJJで使われるテクニックを全く知らない」事に気付いたのである。
 BJJにおいては星の数ほどテクニックがあるので、特に初心者レベルの場合、「あるテクニックを知っているか否か」という情報格差が、そのままスパーや試合での勝負を決する要因になり得るのは事実である。
 そこで、私も図書館に所蔵されているBJJの教則本を借りて目を通したりしたが、どうにも図解写真だけでは動きが良くわからない。また、当時の私はYOUTUBEという単語は知っていたが、閲覧したことがなかったので(だから、YOUTUBERという言葉が子供達の将来なりたい職業にランクインしたときは、冗談抜きに「YOUTUBERって何?」と思った)、YOUTUBEを見てテクニックを調べるという発想もなかった。

 そういうわけで、ネットの口コミを手掛かりに「テハ111」を購入したのである。
 この選択は、「私にとっては」本当に最悪の失敗だった。当時ウチの道場に在籍していた年の近い友人と「テハ111」に出てくるテクニックを時間外に打ち込みしたが、如何せんスパーでは全く使えないのである。
 ただし、カイオ・テハの名誉のために言っておくと、テハが全面的に悪いわけではない。「テハ111」のテクニックを「私が」使えなかった理由はハッキリしていて、①「テハ111」で紹介されているテクニックの動きを覚えて、それをスパーの際に「相手に当てはめて」使おうと思っても、相手は「テハ111」に登場する受け役と同じようには動いてくれない。②テハのテクニックは、彼の卓越したフィジカルと練習量の中から生み出されたもので、それを私のような若くもなく、並みのフィジカルで再現しようと思うこと自体そもそも無理がある。そして、あえて「テハ111」の問題点を挙げるとすれば(この点は、他の多くの教則に当てはまるのだが)、③どれがハーフガードにおける「基本」となるテクニックで、どれが「応用」に当たるかの技術習得における「優先順位」というものを示してくれず、111のテクニックがただ雑然と並べられているだけで、初心者がどのテクニックから取り組んだらいいのか分からない、という点に求められるだろう。
 「テハ111」に数か月取り組んで、以上のような問題点に気付いたので、見切りを付けてフリマで売ってしまい、サウロ・ヒベイロの『柔術大学』を購入して、これを読み始めたことが私のBJJにおける転機となったのだが、上記①から③の問題点は、YOUTUBEを見てテクニックを研究している人にも多かれ少なかれ当てはまるのではないかと思う。

2 ①教則やYOUTUBEでテクニックを仕入れて、ドリルもせずにそれを動く相手にスパーの中で使おうと思ってもまず使えない。
 道場でのスパーを見ていても、まずあるテクニックがあって、それを相手に当てはめて使用すれば、数学の公式のように自動的に「パス」なり「スイープ」なりという解答が出てくるように錯覚している人がいる。どんなテクニックであれ、それらが成功するためには条件というものがある。「投げ」技を例に取ると、まずは相手を崩さないことには、相手を投げることはほぼ不可能だろう。「投げ」のテクニックを10覚えるより、YOUTUBEや教則にはそれとして取り上げられることのない、「崩し」の技術を覚えた方が、「投げ」技の習得には効率的だろうと思う。
 ②カイオ・テハ(注1)は、3年で黒帯になった事やルースターでありながら、オープンクラスでも優勝したことなど、彼の実績ばかりに目が行きがちになるが、道場での練習の他に、自宅を改造して、終日テクニックの研究をしていたというのである(注2)。

注1)

注2)

 テハのBJJに対する熱意も凄いが、それ以上に彼は私の何倍も練習量をこなしていたはずである。そういう練習量に裏打ちされたテクニックが一朝一夕に真似できるはずがない。そういう当たり前の事が当時の私には分からなかった。
 教則であれYOUTUBEであれ、事情は同じで、世界のトップで活躍する現役選手のテクニックはほぼ全てが、彼の練習量や超人的なフィジカルの裏付けがあって始めて可能なモノばかりである。YOUTUBEでも教則でも、安易に流行りを追いかけると、それらのテクニックを再現できないと言って苦しむだけでなく、最終的には自分が柔術に取り組む方向性を見失ってしまう事になりかねない。
 トム・デブラス(注3)が自分の教則の中で、「自分は(MMAと並行して柔術をやっていたので)一日4時間・週3回で世界チャンピオンになる事が出来たが、今の競技柔術で世界を獲るには一日6時間・週6回でも厳しいだろう。柔術をやる全ての人が世界チャンピオンを目指す必要はどこにもないのだから、君たちはまず試合に勝つかどうかより柔術を楽しんでほしい」と言っていたのを思い出した。そう、プロでない限り教則やYOUTUBEで紹介されているトップレベルの選手のテクニックを取得することは、ほとんどの人にとっては不可能だし、せっかく限られた練習時間の中でテクニックを覚えようと思うのなら、より実践的な、つまり、「基本」的なテクニックの習得に時間を掛けた方がいいと私は思う。

注3)

3 ③何が「基本」で何が「応用」かを切り分けるという発想を持たずにいると、いつまでも「自分に合ったテクニックが何処かにあるはずだ!」という幻想を追い求めて教則を買い続け、いたずらに金と時間を浪費する事にもなりかねない。
 現代における大量消費社会においては、欲望が商品を生み出すのではなく、商品が欲望を喚起すると言われるが、ブラジリアン柔術におけるテクニック(教則やセミナー)には現代消費社会ならではの商品と欲望の逆転現象が顕著に見られる。
 テクニックがあるから、それを知りたい、覚えたいという欲望が喚起され、それが教則なりセミナーを購入するという結果に繋がっている。そもそもYOUTUBEや教則を最初から見なければ、入門当初の私のように道場で教えられる技術以外のテクニックを覚えようという欲求は起きなかったと思う。
 もっと言うと、「通信教育で空手をやっています」という笑い話が大昔にはあったが、ブラジリアン柔術の場合、当人がそれと意識しているかは別にして、「通信教育でBJJを覚えました」と言える人が相当数存在するのではないかと思われる。
 YOUTUBEや教則でテクニックを覚えることが悪いとは思わないが、通信教育で柔道を覚えた人やレスリングが上手くなった人の話を聞いたことがない事からすると、今の日本の(YOUTUBEの動画を見る限り世界的な現象だろうが)BJJ村の状況はかなり特殊なように思う。例えて言えば、BJJ村全体が「テクニック病」とでも言うべき流行病に集団感染しているようなものである。
 先にも述べたように、BJJの「通信教育化」や「テクニック病」が原因となって、「基本」と「応用」という発想が失われるという結果を引き起こしているように思えてならない。

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