不毛な最強論争

1 『グラップラー刃牙』という漫画がある。私は古書店で何冊か立ち読みした事があるが、とうの昔に読むのを止めてしまった。
 あの漫画が「最強」というモノに憧れる男の(子)の琴線に触れる佳作であることは確かだし、大人が荒唐無稽なフィクションとして楽しむのも全く構わないと思う。
 だが、どうも日本の柔術村の中では、あれをフィクションとしてではなく、リアルに近いものとして愛好している者が多いように感じる。
 本稿ではその淵源を探りつつ、「最強」をめぐる言説について私見を述べたい。

2 プロレス最強言説

(1)1993年ホイス・グレイシーが「何でもあり」(注1)の第1回UFCを制した後、「兄のヒクソンは自分の10倍強い」と語った事で、「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーに俄かに注目が集まった。
 当時日本の格闘技ファンの間では「プロレスラーこそが最強である」というのは常識(というより信仰)であり、ヒクソンがVTJに出場することが決まった時もプロレスラーがヒクソンに負けるはずはないと思われていたようである。
 しかし、プロレスは本来シナリオのあるショーである。いわゆるセメント=真剣勝負ではない。にもかかわらず、「プロレス最強」言説が生まれ、それが日本の格闘技ファンに共有されていたのはなぜだろうか?
(2)日本のプロレスは、その黎明期から他の分野の武道家・格闘家を取り込むことで成長してきた。
 古くは力道山がブック破りを仕掛けて木村政彦に勝利し(注2)、猪木がミュンヘン五輪柔道金メダリストのウィリアム・ルスカに勝利し、モハメド・アリとの「異種格闘技戦」に引き分けたことで、他の格闘技に対するプロレスの優越性を示そうと躍起になっていた。
 とはいえ、これらは(猪木Vアリ戦については異論があるだろうが)所詮プロレスというショーの枠内での出来事であり、セメントでの勝負ではない。力動山が木村に勝とうが、猪木がルスカに勝とうが、プロレスラーが柔道家やボクサーより強い事の証明になるはずはないのである。ただ、当時の日本ではプロレスはセメントという認知が成立していたため、格闘技である「プロレス」が世界的にメジャーな同じ格闘技たる「柔道」や「ボクシング」に勝った(負けなかった)という誤解が生じることになり、そこから「プロレス最強」幻想が発生したのであろう。
(3)幻想の終わり
 ヒクソンがVTJで日本人の格闘家・プロレスラーを破り、PREIDEで2度高田延彦に勝利した事で、シナリオのあるプロレスのルールではなく、セメントのMMAルールではショーマンであるプロレスラーが本物のヴァ―リ・トゥダーには勝てない事が証明された。
 実際には、桜庭和志という「プロレスラー」を公言するMMAファイターがヒクソンともし戦わば・・・という形で「プロレス最強」幻想は細々と続いていったが、桜庭がヴァンダレイ・シウバに負けるようになって以降、「プロレス最強」言説は終焉を迎える。
 
3 最強の格闘技は何か?

 冒頭の『グラップラー刃牙』の話に戻ると、あの作品には登場人物として様々な格闘技のバックグラウンドを持った者達が登場する。 
 「プロレス最強」幻想がまだ残っていたVTJ・PRIDE時代にも「最強の格闘技は何か?」という議論が盛んになされていた。
 だが、以下の事実を考えると、「最強の格闘技」というモノは存在しないというのが私の意見である。
 木村政彦は力道山のブック破りによってプロレスで敗れる前の1951年、ブラジルのマラカナンスタジアムで「時間無制限・1本決着のみ」というルールでエリオ・グレイシーに勝利している。では、ルールを無視して結果だけ見れば、力動はエリオより強かったのだろうか?
 また、「グレイシー一族最強」であるヒクソン・グレイシーもまだ世に出る前の分かりし日(1993年)に全米サンボ選手権で、ロン・トリップに敗れている(注3)。
 ルールが違えば、そのルールに特化した強さというモノが存在する。ヒクソンも自伝の中で(カーウソン→ホーウス→ヒクソンと続く)「グレイシー一族(の中で)最強」の継承者である事を認めているが、彼が「自分こそが世界最強」であると語った事は私の知る限り一度もない。
 「400戦無敗」というヒクソンについて一昔前に枕詞のように付けられていたフレーズも佐山聡がヒクソンを日本に呼ぶ際に付けたキャッチコピーに過ぎず、それが事実ではない事を父エリオも明確に否定している。
 「最強の格闘技があるのではない、ただ強い奴が強い、それだけの事だ」と聞いたことがあるが、私もそうなのではないかと思う。
 『グラップラー刃牙』で最強とされるのは何らの格闘技の看板も背負っていない「範馬勇次郎」というフィクショナルな存在である事に、作者の板垣恵介氏の「最強の格闘技は何か?」という問いに対するシニカルでクールな回答が示されいるのかもしれない。

4 どんな格闘技にも得手・不得手があり、試合のある格闘技であればスポーツ化の弊害(特にルールの外で起こり得る事態への想像力の著しい欠如)を免れないし、試合のない格闘技・武術であれば、実戦性の有無以前に実戦経験を積めない(危険すぎて使用できない)事から(注4)、そもそも全ての格闘技を超越した強さを追求することは現実的に無理がある。
 もし、純粋な「強さ」を目的に何かの格闘技を練習・稽古しているのであれば、競争相手は他の格闘技ではなく「昨日の自分」に設定し、「昨日の自分より今日の自分が1センチでも1ミリでも強くなったか?」を問い続けた方がいいように私は思う。
 ちなみに、私の知っているMMAをやっている若い子達は『グラップラー刃牙』に全く興味を示さない。MMA自体がマーシャルアーツをミックスしたモノを指しているという事も背景にあるのかもしれないが、他のスポーツ化された格闘技に比べてルールによる制約が少なく、試合の危険度が非常に高いため、「最強」という幻想に惑わされる事なく、自分自身のリアルな強さに向き合わざるを得ないからかもしれない。

注1)第1回UFCのルールでは、目突・金的・噛みつきは禁止だったが、ホイスはジェラルド・ゴルドーとの試合中に耳に噛みつかれ、目突を受けているので、実際には本当に「何でもあり」のバーリトゥードに近い試合になってしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=b_n9H55RhKg
注2)木村VS力道山戦に興味のある方は、増田俊也さんの力作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか?』を是非読んで頂きたい。『木村政彦~』を読まなければ、この試合動画 https://www.youtube.com/watch?v=GlYtYvz4FQo が力動に有利な印象を与えるよう意図的に編集されたものである事にすら気付かなかったであろう。上の動画で言えば、7:37の所で「10分経過」という館内放送が流れているのが動かぬ証拠である。
注3)https://en.wikipedia.org/wiki/Rickson_Gracie
ロン・トリップがヒクソンとの試合について語った動画:https://www.youtube.com/watch?v=C60MIAXs-no
注4)あまり知られていない事実であるが、養神館の塩田剛三氏が合気道に実戦性を持たせようと門下生に試しに乱取りをやらせたところ、ケガ人が続出し、一日で乱取りは取り止めになったそうである。

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