無知の知

1 私は飲み会が苦手である。昔は「飲みニケーション」とか言われて、飲み会で宴会芸のひとつも見せるのが社会人としての常識だったらしいが、子供の頃から集団行動が苦手だったせいか、大人になってからというもの、とかく理由を付けては飲み会の誘いを断るようにして来た。
 古流柔術を稽古していた時もそうだったし、今もそうなのだが、誘われても毎回断っていれば、当然の事ながら先方からのお誘いは無くなる。だから、ウチの道場の飲み会にも未だかつて一度も行った事がない。

 大して飲めるわけではないが、酒が嫌いな訳ではない。また、人並みに美味しいものは好きである。私が大学生の頃は、ガイドブックを片手に・・・当時はネットに常時接続できる人は限られていたし、「食べログ」のような存在もなかった・・・友人と都内の安くて美味しい店を回ったりしていた。 
 大学生の私にお金があるはずもなく、私が行く店を選ぶ際の基準は「あくまでも財布が許す範囲内で」「なるべく美味しいものを」という、今でいうコスパを非常に重視した選択になっていった。
 「あくまでも財布が許す範囲内で」という基準で店を選ぶと、時間だけはあったので、時間帯は昼が中心になるし、都心ではなく郊外の店が多くなった。結果的に交通費の方が高くついた事も何度もある。
 
 私は「美味しんぼ」の海原・山岡親子のような優れた味覚を有しているわけではないので、私が美味しいと感じたお店を他の人も美味しいと感じるとは思っていない。美味しいモノには美味しい理由があるのは確かだと思うが、最終的にそれを感じ取れるか否かは、持って生まれた五感の鋭さと食べ歩いた経験値の双方が必要になるだろう。私には残念ながらその両方が欠けている。
 ただ、そうは言ってもガイドブックを片手に20、30と店を回っていると、段々ガイドブックの編集方針と私の好みとの間の偏差というかズレというものが分かってくる。逆に言うと、そうしたズレを分かった上でガイドブックを読むと、まだ行った事のない店についても「それなりの」確度で、そこが「私にとって」当たりか外れかは予測が付くようになった。

 そうした予測が立つようになってからは、夜の時間帯にも時折食べ歩くようになり、「岸田屋」や「スタミナ苑」等の名店で楽しいひと時を過ごさせてもらった。

2 さて、先日の記事でも触れたT君から「今度一緒にメシ食い行きましょう!」と誘われた。冒頭にも述べたように私が食事に誘われる事自体今となっては珍しいが、自分と親子程も年齢の離れた若い子から食事に誘われるとは思っていなかったで、「こちらも刺激を受けるいい機会だし、たまには・・・」と思って快諾した。

 問題はそれからで、そこには彼の友人であるG君も同席するらしく、「自分は店を知らないけれど、G〔君〕が詳しいと言っているので、アイツの意見を聞いてもらえませんか?」と頼まれた。「店に詳しい」と自称するG君が提示して来たのは、①チェーン展開の居酒屋②チェーン展開の焼肉屋③G君のバイト先の飲食店の3つである。
 大学生になったばかりのG君にお金が無いのは仕方がない。私もそうだが、お金が無いのは恥ずかしい事でも何でもない。お金が無いのに背伸びして無理するのはデートの時だけにした方がいい。だが、さすがにG君の提示した3つの選択肢を見ていると、彼は「店を知っている」つもりで、実はほとんど外食をした経験がないという事が分かる(まあ、二十歳の子で「店を知っている」方が異常だろう)。
 普段はケチな私もさすがにT君が可哀そうになったので、「僕が少し出すから、もう少し店のグレードを上げようか?」とメッセージを送ると、G君は私の申し出を頑なに拒否しているらしい。
 T君から話を聞くと、G君はどうやら「店を知っている」と言い出した手前、彼が提示した以外の店を選ぶというのは「面子を潰された」と感じているようだ。

3 今回の食事会?のメインはT君である。T君とはまたしばらく会えなくなるのだから、私とT君とG君の3人の中で、誰の意見を最も優先すべきか?と聞かれれば、私は迷う事無くT君と答える。
 T君としては、私とG君を引き合わせて、普通に楽しく話がしたいと考えていただけなのに、ここで私が昔日の如く「コスパ重視」で、せっかく外食に行くなら美味しいものを食べるべきだという持論を振りかざせば、食事会自体が流れてT君がガッカリするだろうと思い直した。

 食事や飲みに限った事ではないが、自分が場の主導権を取りたければ、やはり自腹を切る覚悟がないとダメだろう。「口を出すなら、金も出せ」である。
 私は先程自分自身の事を「ケチ」だと述べたが、「奢り・奢られる」という関係を見ていると、「奢った」方が思っている程には「奢られた」方は感謝していないのが普通である。そういう認識の非対称性が「奢り・奢られる」という関係には存在し、「奢った」方はある種の「貸し」を作ったつもりでも、「奢られた」方はそれに対応する「借り」を感じておらず、それが後々トラブルになった事例をいくつか見てきたので、私は基本的に自分から他人に食事を奢らないようにしている。
 もし他人に奢るのであれば、そこで出捐したお金は見返りのない贈与だと思って、相手に対価を求めるべきではないと肝に命じている。

 だから、今回の食事会については、今時の若い子の好みは分からないし、まあ最終的にどういう店に行くことになったとしても話のネタにはなるだろうと思って、店の選択について私は口を出さない事にした。
 G君については、彼の頑迷さは若さゆえの見栄もあるだろうが、いずれは我を突っ張るだけでなく、主賓?であるT君の事を思いやれるだけの心の余裕と頭の柔らかさを身に着けて欲しいと願っている。

 

 
 

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