礼に始まり、礼に終わる
1 先日空手の先生が見学に来られた時の話である。その方が道場に出入りする際に、必ず一礼をされているのを見て、自分が「ブラジリアン柔術」の稽古を始めて以来久しく「道場礼」をしていない事に気付いた。
古流柔術を稽古していた時は、公共施設を利用する際も、旧師の道場に入る際も習慣として道場礼を欠かさなかったのに、随分と変わってしまったものである。
「ブラジリアン柔術」は日本の武術と比べると、良くも悪くもいい加減である。礼一つとってもそうで、道場に入ると「お疲れ様です」という声を掛けられる。
業界人ならともかく、稽古を始める前から疲れてどうする?と私などは思ってしまう。日本語には、稽古前なら「こんにちは」「こんばんは」、稽古終了後には「ありがとうございました」「お疲れ様でした」というもっと適切な言葉があるのだから、そちらを使用したらどうだろうか。
さて、道場に入退室する際の礼の事を「道場礼」と呼ぶが、本稿ではその意義ないし効用について考えて見たい。
2 私が古流柔術を稽古していた時の場合、公共施設の武道場に入ると正面に日の丸が掲げられていたし、旧師の道場には(武道の神様である)鹿島明神を祀った神棚があった。だが、「道場礼」の際に「日の丸」や「鹿島明神」に一礼をしているという意識を持っている門人はそれほどいなかったように感じた。
論語における「礼」は「仁」(まごころ)を外部に表すための形とされている。つまり、自分の心を外部に(必ずしもそれは現に眼前に存在する他者とは限らない)表出する際の振る舞いを規定したものが「礼」という訳だ。
要は感謝の気持ちであれ、愛情であれそれを相手に伝えるには、「礼」という形が必要なのである。
話を「道場礼」に戻すと、道場に入退出する際に一体なぜ礼をしなければならないのだろうか?
「武道とはそういうものだからだ」と言う答えを返す人がいるとしたら、その人は武道を自分の頭で考えて稽古していない証拠だと私は思っている。
比較的よくなされるのは、「稽古場に対する感謝を表す」ためという説明である。特にコロナ禍の下で多くの公共施設が閉鎖され、満足に稽古できなかったから、稽古のための場が提供されている日常のありがたみを再実感した人々も多いのではないかと思う。
だから、そうした「稽古が出来る環境がある事に対する感謝の気持ちを表す」ものとして「道場礼」が存在するというのは、それなりに筋の通った説明だろう。
3 いわゆる「ブラジリアン柔術」の場合、そのルーツはブラジルにあるせいか、「場に対する感謝」というような日本的な発想がなく、決まった「道場礼」はないのだろう。
また、「ブラジリアン柔術」が良くも悪くもいい加減で、スポーツなのか武術なのかその立ち位置もはっきりしない、させない事も「道場礼」のような武術的な礼の形式に馴染まない一因だと思う。
今現在「ブラジリアン柔術」を練習している人々の多くが、「ブラジリアン柔術」に武術的に取り組んでいるとは考えにくいから、すべからく入退出の際に皆が「道場礼」をきちんとしなくてはならないと主張する気にはとてもなれない。
だが、「場に対する感謝を表す」という意味だけでなく、「道場礼」にはそれ以外の機能ないし効用があると私は考えている。
道場主ないしインストラクターとして「ブラジリアン柔術」に関わっている人を除けば、「ブラジリアン柔術」を練習している大半の人にとって、道場は「非日常」空間である。仕事場や家庭を「日常」空間だとすると、「日常」の延長で「ブラジリアン柔術」の練習をすれば、気の緩みからケガをしたり、思わぬ事故に会うかもしれない。
「道場礼」をする事は、「日常」から「非日常」へと気持ちのスイッチを入れ替えるための一種の思考装置のようなものだと私は考えている。
これは私の個人的な経験であり、「道場礼」をすればケガをしなくなる、というような因果関係が成り立つわけでは全くないが、古流柔術を稽古していた時には、「ブラジリアン柔術」よりも稽古期間は長かったし、また決してケガのリスクが低いとも思えないが、大きなケガはしなかった。これに対し、「ブラジリアン柔術」では、何度も書いたように特に白帯の間はケガに何度も苦しめられた。
「ブラジリアン柔術」で私がケガをした理由としては、若くもなければ、身体能力も大したことなかった点がまず挙げられるだろうが、古流との身体運用のコードの違いに悩んだのも大きかった。もっと言うと、古流と比べて「ブラジリアン柔術」の軽いノリについていけなかったというメンタル的な原因もあると考えている。
だから、私は道場に入る際は「頭を下げる」という外部から見て分かるような「礼」はしないが、「日常」と「非日常」のスイッチを入れ替えるために、心の中で一礼し、「こんばんは」と道場内にいる他の会員達に挨拶して稽古を始めるようにしている。
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