安全神話

1 まずはこのブログの記事を読んで頂きたい(Google翻訳で充分である)。

 ここ数日アメリカの柔術関連のニュースサイトではこの話題が一番ホットなようである。要するに、「デルマー柔術クラブ」という道場の元生徒が亀の姿勢になっている時に、インストラクターがバックテイクしようとして失敗し、この元生徒に半身不随の怪我をさせたという理由で訴訟が起こされ、裁判所が道場側に元生徒に対し4600万ドルの賠償を支払うよう命じられた、という事である。
 これらのブログで問題とされているのは、この事故がインストラクターの故意によるものであったか否かと言う点と、ヘナー・グレイシーが原告側証人としてことさらにインストラクターに不利な証言をしたのではないかと言う点のようである。
 本稿では、「ブラジリアン柔術」に存在する根拠ない「安全神話」について私見を述べて見たい。
 事故の模様を記録した(とされる)動画は上記リンクに掲載されているが、インストラクターが仕掛けたのは次のテクニックかと思われる。

 この動画を見る限り、亀になっている側(ボトム)がトップの倒立前転に合わせて回らず下手に抵抗すれば、首に自分の全体重が掛かってしまう。地面に頭から突っ込むのと同じ状況になるわけで、このテクニックは今回の「デルマー柔術クラブ」での事件のようにボトムが頸椎を損傷する大事故に繋がる極めて高度な危険性を有している。
 アメリカでは、「ブラジリアン柔術」はサーフィン等の西海岸のカルチャーとリンクして「お洒落で安全な横乗り系スポーツ」というイメージが作り出され、それが今日のアメリカでの「ブラジリアン柔術」や「グラップリング」の隆盛に繋がったと聞いている。
 日本でも「お洒落で比較的安全な格闘スポーツ」というキャッチコピーで会員を集めようとしている道場を少なからず見かけるが、「ブラジリアン柔術」は本当に「安全」な「スポーツ」なのだろうか?
 まず、「ブラジリアン柔術」も私に言わせれば立派な「格闘術」である。「グレイシー柔術」も「セルフディフェンス」や「サバイブ」をコンセプトに徒手で身を守る術として「柔術」を教授していたのだし、もっと言うとエリオ・グレイシー以下初期のグレイシー一族は「バーリトゥード」の試合に積極的に出場し、その「格闘術」としての有効性を世間に対して証明しようと躍起になっていた事を思い出して欲しい。
 そうした「ブラジリアン柔術」の歴史的背景を踏まえて見ると、これが「スポーツ化」したのは、連盟(IBJJF)が設立され、「競技柔術」というジャンルが確立されて以降の話だと思う。
 ただし、「競技柔術」も「ブラジリアン柔術」の出自がグレイシー柔術にある関係で、「スポーツ」と見做すのは無理があると思う。
 もしも「ブラジリアン柔術」が「スポーツ」として、競技の「安全」性を主張するのであれば、サブミッションは無しにした方がいい。少なくとも大怪我に繋がりやすい「レッグロック」は禁止にした方がいいと思う。

2 「競技柔術」の危険性を象徴するのが、「ツィスター」に関する逸話である。

 「ツィスター」はエディ・ブラボーが元々やっていたレスリングの技術をベースに編み出した技であるが、相手の足を二重絡みに捕って足先に伸ばしつつ、両手で相手のこめかみ辺りを内側に捻って頸椎を極める技である。
 実際この技で何人も後遺症が残る怪我人が出たせいか、IBJJFのルールでは現在禁止技になっている(注2)。

注2)https://www.jbjjf.com/wp-content/uploads/2022/09/JP_IBJJF_RulesBook_SEP2022.pdf
 
 ルールブックの29頁の22に該当する。

 つまり、「スポーツ」でありながら、危険技が出る度に禁止事項が増えて行くのである。
 「ブラジリアン柔術」が「スポーツ」か否かという点についての議論もさる事ながら、今これを仮に「スポーツ」と捉えたとしても「安全」とはお世辞にも言い難い。
 私の場合、「ブラジリアン柔術」の稽古を始めて最初の4年間は毎年「スポーツ保険」を利用していた。柔道をやっている子に袖のグリップを切られて指の靭帯を断裂し、「ヒップバンプスイープ」を耐えたら、足の小指を脱臼してしまった。
 結局最初の4年間の内、合わせて1年は怪我で稽古を休む羽目になってしまった。特に「ストレートアンクルロック」でふくらはぎの筋肉を断裂させられた時は、医者から「ブラジリアン柔術がどんなスポーツなのか私は知りませんが、40過ぎれば怪我の治りは遅くなるし、不可逆的な怪我をする前に止めた方がいい」とすら言われた。
 幸いここ最近は「スポーツ保険」のお世話にならずに済んでいるが、医者の忠告を振り切って稽古を再開して以降、今後は怪我しないよう「まずはディフェンスから」というサウロ・ヒベイロの教えに忠実に稽古に励んだ成果がようやく出て来たからというのと、道場の会員が入れ替わり俗に言う「ガチスパー」をする人の割合が減ったからだと思う。今後も怪我をしないで済むという保証はないと私は思っている。

 さて、ここまで読んで頂いた方には「ブラジリアン柔術」は「安全」というのが神話というか幻想に過ぎないという事がある程度お分かり頂けたかと思う。
 「ブラジリアン柔術」にも他の格闘技と同じく怪我のリスクは一定程度存在する。故意によるものでなくても事故は起こり得るし、故意に怪我をさせようとする輩も稀にいる。「セルフディフェンス」的な観点からは、以前も同じ事を述べたが、まずは「ディフェンス」スキルを上げる事が一番大事である。
 グレイシー柔術の言葉に「Position before Submission」という言葉があるが、私は「ディフェンス ビフォー サブミッション」と言いたい。

 そういう観点に立って見ると、次の試合動画を見れば「ONE」のグラップリング部門の姿勢に疑問を感じてくるはずである。

 この試合で、マイキーの対戦相手のバヤンドゥレンは膝の「前十字靭帯」「膝内側側副靱帯」「半月板」を損傷し、全治一年以上の大怪我を負っている。格闘家としてはおそらく再起不能だろう。
 「タップしないお前が悪い」という意見はあるだろうが、バヤンドゥレンがタップしなければセコンドがタオルを投げる事も、審判が試合を止める事も出来ないから、マイキーはバヤンドゥレンの足をタイムアップまで極め続けるしかなかったのである。
 試合後のコメントでマイキーもこの試合を振り返って「吐き気がする」と述べているように、そもそも最初のヒールフックが入った時点で誰かが試合を止められるなルールになっていないのがおかしいと私は思う。
 また、「ブラジリアン柔術」では「ルースター」クラス(注3)の絶対王者であるマイキーに、ノーギグラップリングの経験がないサンボの世界王者との試合を組むONEの意図も・・・私の憶測でしかないが・・・好きになれない。

注3)アダルトでは一番軽い階級になる。

 「異種格闘技戦」を見せたいのであれば、お互いジャケットを着た試合にすべきであるが、そうはせずにサンビストが普段行っていないジャケット無しのグラップリングマッチにしたという事は、私には「マイキーがサンボの世界王者に圧勝する」というバイオレンスを客に見せたいというのがマッチメイクの意図にしか見えない。
 ONEが利用しているのは「サンボの世界王者」という肩書のネームバリューだけで、このマッチメイクに「サンボ」という格闘技術に対する敬意は微塵もない。この試合の後も、ONEお抱えのブラジリアン柔術出身の選手がサンボの世界王者の肩書を持った選手を相手に連勝し続けている。
 「ブラジリアン柔術」は世間で何と言おうが、「スポーツ」ではない。立派な「格闘技」の一ジャンルであり、他の「格闘技」同様その稽古には一定の怪我のリスクが伴うという点で「安全」でもない。
 これから「ブラジリアン柔術」を始めようかと考えている方は、「柔術はお洒落で安全なスポーツ」というキャッチコピーに騙されないで欲しい。

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