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【温故知新】創業者の遺した言葉を咀嚼・吸収してみる♪(19/30)

縁あってこの会社に入って、創業者が遺した多くの(多すぎるかも 🤔)言葉に触れた。私自身はそうでもないが、社員の多くの方はその言葉に心から共感していて驚いた。
折角なので、これらの言葉を私なりに&今の時代に照らすとどういう事なのかを考えてみる。それは私がずっと日系企業かついわゆる大企業と仕事をしている理由かも知れないが、日本はもともと創業者含めイノベーティブな起業家や企業が多く存在し、世界の生活を豊かにすることでさらに成長してきたのに今はそうできていないのはなぜか?もっとできるのではないか?に挑戦し続けているから。

ネタはここから。では、19個目。

「道は無限にある」
お互い人間というものは、常にみずから新しいものをよび起こしつつ、なすべきことをなしてゆくという態度を忘れてはならないと思います。お互いが、日々の生活、仕事の上において、そういう心構えを持ち続けている限り、一年前と今日の姿にはおのずとそこに変化が生まれてくるでしょうし、また一年先、五年先にはさらに新たな生活の姿、仕事の進め方が生まれ、個人にしろ事業にしろ、そこに大きな進歩向上がみられるでしょう。
大切なことは、そういうことを強く感じて、熱意を持って事に当たるという姿勢だと思います。そうすればまさに“道は無限にある”という感じがします。

松下幸之助 30の言葉

これはそうだよねぇと思いながらも、実際にはいろいろな課題や障害があって「道は有限で、かついずれも厳しい」という状況が多いのではないですかね?この創業者の言葉の中で鍵は「お互い」という部分ではないか?と思います。「お互い」を外してもこの言葉は意味が通じますが、なぜ「お互い」と言っているのか?それは人間は元来弱く、易きに流れ、楽をしたい生き物であり、今いる地に安住を求めるものだからでしょうね。一人で新しいものを呼び起こして、為すべきことを為すというのは言うは易し、行うは難しです。これに「お互い」というものが入ってくると、あの人がこうしてるんだから自分にもできるかも、とか、あの人に認められたら嬉しいからやってみよう、とか外発的動機で始めてみたときに、それがいずれ内発的動機に変わるかも知れないという事でしょうか。また、その際の自身の言動がまた別の他者にも影響してその人も同じように動くかも知れない。それがつながっていけば大きな変化になるし、今の場所から見て厳しかったり、難しく見えるものも、動いた後に見てみるとできるかも知れないと思える。

最後の部分の「熱意を持って事に当たる」もなかなか難しいことでしょうね。熱意ってどうやって生まれるんでしょう?自分にとってどうでもいい事に熱意を持って事に当たることは難しいですよね。自分が大事だと思う人にとって役に立つことだとどうでしょう?それならありそうです。従来、それって家族だったり友人だったり近い存在、利害関係者だったんですが、これからの暮らしにおいては、より広い範囲の他者も含むようになっていくと思います。安全・安心・環境とか個人ではどうにもできないような部分に大きな課題が生まれてくるからです。コミュニティとか関係人口とか「気になる他人」というか「近くの他人」みたいな概念ですね。我々はその人たちに対して何か熱意を持って事に当たることができるようになるでしょうか?あるいは自分たちの子供や孫が住む世界に何かできるでしょうか?最近、そんなことを考えています。

Yoky松岡さんが「選択できる未来をつくる」を書かれたのも同じ思いなのかもしれませんね。


次回は、「人間はダイアモンドの原石」を消化してみます♪
では、また~

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