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【ワーホリ・準備編】ワーホリ行くまでにやっていたこと。

今日からワーホリ本編です。
とりあえず順番に書いていこうと思います。
今日は「ワーホリ行く前のこと」を書きます。

外国に住むのは小さい頃からの夢。

そもそもなんでワーホリ行こうと思ったのか。

私がワーホリに行くと決めたのは2011年です。短大卒業して初めての会社を退職した年。ご存知のように東日本大震災のあった時。

正直、特にやりたいことがあるわけでも、何がしたいかもよくわからない時で、なんとなく、ちょっと東京で遊んでから鹿児島へ帰ろうと思っていました。
23歳の若者あるあるですね。
でも「せっかくならやりたいことをやってから帰ろう」となり、そこで思い出したのが小さい頃の夢でした。

「外国に住んで、いろんな国の人と楽しくおしゃべりする」

小学校時代は金曜ロードショー、ゴールデン洋画劇場、日曜洋画劇場と海外の映画をよく観ていました。
自分が住んでる所とは全然違うのでとても興味を持っていました。

よし、これを叶えてから鹿児島帰ろう!と思いました。
そしてそれを叶えるためにワーホリに行くことを決意。

ワーホリ準備編

まずはどこに行くか決める

他国と比べて初期費用の安い、治安が良い、そして何より自然豊かっていうのが決め手で、オーストラリアにしました。
でもワーホリのことを何も知らなかったので、「ワーキングホリデー 東京」で検索してヒットした、日本ワーキング・ホリデー協会でワーホリについて情報収集しました。そこで片っ端からセミナー受けました。

様々な国についてのセミナーを受けてみて、オーストラリアはやっぱり良いなと思いました。理由は以下。
◉お金も稼げそう
→初期費用以外はあまり貯金がないため。生活できる見通しは重要。

◉治安も悪くない
→親を説得しやすい。この時点ではまだ親に言ってませんでした。

◉チップ制じゃない
→日本と同様にチップ制じゃないのはわかりやすい。


ワーホリ、オーストラリアの情報収集

基本的には日本ワーキング・ホリデー協会のセミナーに参加して情報収集してました。カウンセラーのような方が相談なんかも乗ってくれたし、ワーホリビザ、現地語学学校+ホームステイ先、到着時の送迎などなど、大変お世話になりました。
また、セミナーで知り合った方々からも情報を教えてもらってました。
情報交換なんかもしましたし、渡航時期が重なりそうな人とはオーストラリアで再会したりしました。


今は、ワーホリを通じて鍛えられたおかげで、いろんな手続きを自分でできるようになったんですが、やはり、最初にちゃんとプロに相談して良かったと思ってます。
ちゃんと筋道立てて教えてくれて、自分に必要なことが明確になるので安心でした。また、最新の情報にも触れているので、状況に応じて、新しい情報を教えてくださるのも良い点でしたね。

上記以外で自分でやったことは、ひたすら検索!
現地の人のブログを読んだり、本屋さんでワーホリや現地の情報が載っている本で情報をひたすらインプット。
(当時はお金がなく、立ち読みしてました)
オーストラリアの文化や歴史、地理情報を検索しまくって、とにかくオーストラリアについて知りたい!って思っていました。

それと同時に現地で生活する上で、「危ない」ことも調べました。
女性一人で行くので、自分の身は自分で守らねば!
何が危険なのか知ることで、「備える」ことを意識してました。

費用を貯める

セミナーや相談に乗ってもらっている段階で、「状況によりますが、初期費用はだいたい100万円くらいですよ〜(2011年当時)」と聞いていたので、まずは目標100万円で貯金を始めました。
内訳は、下記のような感じ。
・ビザ代
・飛行機代
・語学学校費用
・ホームステイ費用(1ヶ月間)
(私はホームステイを選択したんですが、自分で滞在先を決める人もいました。)
・ワーホリ用保険
・当面の滞在費

※私がワーホリ行こうと思って頑張っていた2011〜2014年くらいのオーストラリアドルのレートは1ドル80円〜95円くらいでした。記憶が正しければ、日本出国時は88円だったと思います。

転職活動の話のときにも触れましたが、ワーホリ費用創出のため、当時はバイト2つ(朝:カフェ、夜:居酒屋)と派遣をやっていました。費用創出に勤しんでいた3年間は、基本的に丸一日休みを作らずに働いていました。
合間でセミナー等にも通ったりして情報収集していたので、人生で一番動いた、働いたと言っても過言ではないかもしれないです。笑
20代だからこそできる無茶でしょうね。
もうちょっと良い稼ぎ方もあったのかもしれませんが、当時は必死だったし、なんやかんやで楽しかったです。
3年かかっちゃいましたが、目標があるおかげで気持ちが途切れることはなかったです。

余談ですが、
派遣の仕事は基本的に1日単位の工場作業のものを選んでました。大手保険会社の全国の支店に送る書類の箱詰めだったり、大手アパレルのオンラインショッピングの商品ピックアップだったりと関東郊外にあるでーっかい工場での作業が多かったんですが、結構楽しくて好きでした。
様々なお仕事の裏側を知るのはワクワクしますね。
それに毎回違う所に行くので、派遣の仕事のおかげで東京近郊の地理と電車の路線図を覚えました。
良い副産物ですね。


色々なものの手配

自分で手配したのは航空券のみで、他のビザや語学学校やらは全部、日本ワーキング・ホリデー協会にお願いをしました。
ビザはオンライン申請のため、一緒に画面見ながらポチポチして、語学学校やホームステイ先などは手配してもらったので詳細はあまり覚えていません。
ちなみにビザはパスポート情報に紐づくので書類はありません。


英語の勉強

英語の勉強、実はほぼしていません。
費用を貯めることに意識がいってて、ほぼ勉強していませんでした。
唯一やっていたのが、映画を英語字幕で見ることと洋楽を聴くこと。
まーこれも勉強というよりは、趣味の延長でやってただけですが…
洋画は日本語字幕ではなく英語字幕で、洋楽は歌詞を書いて、意味を調べる、歌うっていうことをしてました。
映画を観るのはリスニング力を、洋楽を歌うのはシャドーイング力を鍛えることができたのかなーなんて、都合のいいように解釈しています。
これのおかげかはわからないですが、相手の言っていることを多少は聞き取れていたので、こういう勉強法もありだったのかなと思うことにしています。笑


持っていくものの準備

セミナーや情報交換等で得た、絶対用意した方がいいよって言われたものは以下の通り。
ポイントは、何かあった時に日本にいる家族と連絡できる手段を確保すること、だそうです。

◉PC
→レジュメを書いたり、授業で使うことがあるので必須。
 今だったらスマホだけでもいけるかもね。

◉クレカを2種類
→一般的な海外旅行行く時と同様、2種類あると安心。
 ちなみに私はVISAとMasterCardです。

◉フリーメールアドレス(gmailとか)
→どのデバイスからでもアクセスできるから。

◉Facebook(当時はこれが流行ってた)
→メールアドレスと同様に、どんなデバイスからでもアクセスできるから。
 ケータイが盗まれても他のデバイスから日本へメッセージを送れる状態を作ることが大事。
 当時は、大体の人がやってたので、現地で知り合った人との連絡用でアカウント作ってました。

準備編・まとめ

今日は、「ワーホリに行く前まで」についてでした。
ざっくりとした流れや、当時の状況や気持ちは書けたかなー。
思い返してみると、いろいろやってたんだなーって感慨深くなっちゃうな。

明日は、「ワーホリに行ってた時」を書こうと思います。

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