今は消費税を下げるべきだが、上げるべき時も考える

先日より岸田氏が消費税の増税を口にしており、批判の声が自民党を支持するような人たちからも上がっています。現在の10%までの増税は民主党政権下で決定されたものであり、自分もそれを後継の立民の方に対する批判材料にしていました。そんな「アドバンテージ」とも言えるものを自ら手放そうとする辺りにも岸田氏は糾弾を浴びて然るべきだとは思いますが。

消費増税の目的は「財源」ですが、上げることで波及的に消費を冷え込ませ最終的に税収減となる危険性も言われています。勿論財源というのもそうですが、この波及効果を利用しての「経済の交通整理」に自分は着眼しています。

そもそも最初に消費税が導入されたのは、バブル経済の崩壊直前でした。本来であればもっと早く導入しようという動きだったのですが、選挙に負け続けたためにここまで遅くなったという話です。

当時は現在とは逆に、人々が消費や投機に狂ったように突き進んでいました。勿論その中だったので、消費税は財源確保という意味でも大きな効果となったのかもしれません。しかしそれ以上に過熱する経済に限界が生じ、直後のバブル崩壊から「失われた30年」とも言われる様相との関係も見過ごせないでしょう。過熱する経済の冷却を図った措置が、既に手遅れだったという側面もあったと言われています。

消費税の導入による「経済の交通整理」という考え方は、30年前の段階で既にあったものであり、自分が言っているのは特別新しい考え方ではありません。ただ、民主党政権や岸田氏はただ財源ばかりを言う状態であり、この30年ほどの間に考え方が失われてしまったのだと思うと暗澹たる思いが生まれます。

消費税は国の経済が過熱する情勢では上げることで国庫の充足と過熱の冷却を図り、一方で経済が低迷する情勢では下げることで回復を企図するものだと思います。現在の情勢は後者であるため、今は間違いなく下げるべき情勢です。

ここで忘れてはいけないのが、景気と同時に存在する「格差」です。いくら好景気で国の経済が潤っているように見えても、その実格差が拡大していく情勢であれば、経済の基盤は着実に瓦解していくこととなります。一方で格差をなくすことに徹底し過ぎた場合、実力ある人材の流出が待ったなしとなってしまいます。

格差に関しては「富裕者が富めば自然と下の方にも流れていく」という理論をワイングラスのタワーにたとえて説明したトリクルダウンというものがあります。が、根本的な話として人の欲望には際限がないことを忘れた、極度の性善説に飛びついて妄信する甘えだと断言します。ワイングラスの例で言うなら、上の方の人間が大人しく自分のものをそのままにしていればいいですが、欲に駆られて「自分はこれ」と空の酒樽に取り換えるようなことが往々にして発生するからです。富裕層が影響力や立場を行使して富の独占を図るような事態が発生するのです。

格差を数値化した指標には「ジニ係数」というものが存在します。日本の場合1990年代以降上昇したことが確認され、バブル崩壊の後に格差が広がったのが時期的には見て取れます。国際的にの2019年時点で42か国中ながら15位と高い数字を出している、格差が問題となっている国です。

格差が拡大している場合は、所得税や相続税等の累進性を強め再配分を進めることが大事となります。逆にそれらを進めて格差が縮小し過ぎた場合には、累進性を弱めて競争を促すことが必要となってきます。このように「どこまでも自由に」とするのではなく、指標に基づき「経済の交通整理」積極的に行うことが大事なのです。

現状は「消費税等の低所得者にもかかる課税は軽減し、累進課税で富裕者から取るべき」となっております。ただ、ジニ係数と経済成長率を指標にしながら、現状とはまた違う情勢になった時の対策も同時に現段階で法整備しておく必要があります。その理由は以下になります。もしよろしければお読みいただきご支援いただければと思います。

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