山本太郎の懲罰見送りの愚劣

最近は忙しく、中々執筆の余力を残せないでいるため少し日数が経ってしまったネタにはなりますが。

自分は元々、山本太郎自体を嫌悪して見ていました。過去にも「自給率100%」のマニュフェストは基本的な知識があるか疑問「奨学金徳政令」のマニュフェストは苦しむ若者がすぐ再生産されて元の木阿弥となる学生の実情の意識の無さを見た記述をしました。

小手先聞こえが良いようなことを言っているようで、事案に対する洞察は塵ほどもなく非常に場当たり的。故に彼の抜かすことを実行すれば大半が素人目にも次の問題に衝突するのが目に見える。坂を転がり落ちる岩がぶつかったら横に逸れて転がっていく様に似ています。猪でももう少し考えるという言葉がぴったりです。

一度は落選した山本太郎が比例で復活するように組んで戻ってきたわけです。この点で支持する人が少ないことが本人すらわかっているのではないかと感じますが、それでもその少数の議席を確保する程度にはいるのだから仕方ないとは思っていました。

ただ、今回の暴力はっきり「極め付け」です。動画では位置的に周囲の人たちに覆い被さるように飛び掛かっています。これで「詰め寄った際に当たっていた」などという弁解も立てる方がどうかしていますが、根本的に「詰め寄る」ということが議場において言語道断です。本来国会であれば理論を交わし、支持を集め決めるべきなのです。勿論議場内での議論には量に限りがあるため、ロビー活動等で別個に支持を集めていく等の形が発生するとは思いますが。それが叶わなかった時点で「負け」であり、詰め寄るなど「負け犬の遠吠え」と言わざるを得ません。

彼はバリケードを非難していますが、正しい手順を踏んでいればバリケードなどあっても何ということはありません。そこに行き着くまでに議場やロビー活動等でいくらでも否決への支持を広げる時間はあったのです。理論的に否決が正しいという流れを広げることができていれば、仮にバリケードを作ったところで物の数になどならないのです。議論の未成立するか否決されるかがあるだけのそういう形の筈が、行き着く結果への不満から暴力に走る輩が目に見えるからバリケードが必要になるのです。

そして何よりも問題なのは、暴力を最も排除しなければいけない国会という場で暴力に走ったということです。暴力によって政治の方向性を歪めるというやり方は、引き合いに出すべきは五・一五事件や二・二六事件です。当時の軍関係者が首相を暗殺したり武器を持って立てこもったりして、政治に暴力でもって介入した事件です。今回の山本太郎の所業は、まさにそちら側に踏み込む「戦前回帰」と言っても問題ないレベルの凶行であったわけです。

勿論現在の山本太郎に軍事(自衛隊)の指揮権はありません。が、暴力に打って出てでも政治に介入したいという人間は世の中いくらでもいます。そういった人間が動いた時に「でも山本太郎とかは許されたよね?」という大義名分を作ってしまうことに今回の懲罰見送りの愚劣さがあります。安保法制等で日頃「戦前回帰!」と発狂している連中が、今回の山本太郎の暴力行為に対する懲罰見送りに対し同じ批判を出さない様には開いた口が塞がりません。

とはいえ、最終的なところ自分も山本太郎の懲罰に介入できる権利があるわけではないので、こうしてネット上で云々言っているだけなのは同様に「負け犬の遠吠え」なのかもしれませんが。

自分も今書けるものを書くに限られている身、不勉強があるかも知れません。何かございましたら遠慮なく下のコメント欄から送っていただければと思います。日常用の趣味も交えたごった煮のツイッターの方でも構いません。忌憚なく意見をいただければと思います。

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