難民受け入れは相手国との関係の根幹に繋がることへの理解

入管法改正の議論が続いているので、自分も引き続き思ったことを。

野党は「帰国させれば拷問や死刑などの恐れもある」「命を差し出す」と入管法改正に否定的です。しかしこれを語るのであれば、難民を「保護してめでたしめでたし」で終わらないという視点が抜け落ちています。

本当に祖国を迫害されて出てきたような難民であれば、それは祖国がそういった体制であることを意味しています。遅かれ早かれ祖国が新たな難民を再生産する仕組みであると考えなければなりません。

こういった難民を保護するのであれば、同時に相手の祖国を「貴国は無辜の民を迫害して難民を生み出す」と糾弾しなければ話の筋として通りません。今話題のクルド人を本当に迫害された人々として受け止めるのであれば「トルコ政府はユダヤ人を迫害したナチスと同じだ」とまで言わなければなりません。まさか難民の保護だけ行い新たな難民を再生産されるのを指を咥えて眺めるのが良いことだとでも思っているのでしょうか。

前回も言いましたが、本来であれば難民というのは国の恥部です。難民という存在は本来であれば「あの国は難民を生み出すような体制の国である」という生き証人であり、国の威信を貶める存在です。たとえ国外に亡命したとしても、国が目障りと判断すれば金正男氏のように国外に手を回してでも殺害されておかしくないのです。

もういい加減理解して欲しいところです。難民というのはその場保護して終わりなのではなく、まず迫害する祖国の魔手から延々と守り続けなければいけないこと、更に祖国が迫害する状況にも戦いを挑まなければならないということです。

この「戦い」はともすればPKOといったガチ戦争も視野に入れなければなりません。それが無かったとしても相手の祖国は「貴国は無辜の民を迫害して難民とするような国」という糾弾を行なうことであるため、最低でも断交は覚悟しなければならないのです。

見ていると入管法改正への批判をしている野党議員には、相手国との徹底的なやり取りとなるだけの覚悟を感じられません。相手国との関係を根っこから考え直さないといけない問題であるという認識が無いのが明白です。また日本が「迫害した」はずのクルド人を保護するという流れになる可能性があるという中なのに「迫害したことになっている」祖国のトルコからの苦言も入ってくる様子はありません。これらを見ると「クルド人は祖国から迫害された難民である」という言説が「非常に嘘くさい」と感じるのが自然ではないでしょうか。

相手国との関係を考える必要が無い難民というのは、例えばロシアから侵略されたウクライナの難民(これもロシアとの関係は一応存在するが)や天災によるもののみである。これが現実ではないでしょうか。

自分も今書けるものを書くに限られている身、不勉強があるかも知れません。何かございましたら遠慮なく下のコメント欄から送っていただければと思います。日常用の趣味も交えたごった煮のツイッターの方でも構いません。忌憚なく意見をいただければと思います。

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