動物愛護の主目的は「人間」

北海道に現れた「OSO18」や秋田の親子熊駆除などが続き、愛護を語る人間が沸き上がっています。

自分は過去に畜産会社に勤めていた経歴もあり、動物愛護についても考えたことはあります。今回は重要なことだけを纏めておきます。

根本的な話として動物愛護を履き違えた所謂「愛誤」は、何故動物愛護が必要なのかを理解していません。まずもって「可哀そうだから」などという感情だけを先行させた浅ましさでは語っていけない世界なのを理解していません。

動物愛護は「人間を守ることに通ずる」というのが目的です。数十年前になりますが神戸で起こった児童殺害事件、俗に言う「酒鬼薔薇聖斗」。犯人である当時の少年は最初は野良猫等の動物を虐殺していたことで知られています。それがエスカレートして人間である被害者に凶刃を向けたというのが大まかな話です。

動物等の無為な虐殺はエスカレートしていけば人間に害を為す。それは様々な形で既に知られていることです。だから有り体に言ってしまえば「ことが動物で済んでいるうちに動物愛護法で犯罪者という烙印を押し、人間に被害が及ぶのを防ぐ」という話なのです。

若干知恵がついた愛誤には生態系などを語ってくる者もいますが、所詮浅知恵です。全ては「人間のため」が執着地点でなければならず、現実被害を負ったり不自由を強いられたりする目の前の人間を放置して語っていい理由など無いのです。環境を守ろうとか種の多様性の保全だとか、そういったものも「環境のバランスが崩れたらその先で自分たちや子孫が困ることになりかねないから」という「人間のため」が終着点なのです。

熊の駆除は殺すことです。熊を殺したハンターの方々の後ろには、日々の生活を営む住民国民がいるのです。ハンターの方々は何はともあれ「人間のため」「人のため」「国民のため」に動いており、その先が酒鬼薔薇聖斗のようなエスカレートした犯罪者には程遠いのが現実です。

それどころか「人間のため」「人のため」「国民のため」を後に回し、自らのエゴに奔走する、役所の職員の方々に延々とクレームをつけ疲弊させる。そういう愛誤の方がどこまでも犯罪者に近いです。

愛誤連中は言語こそ通じますが、話は通じません。口先では理想的なことを言っているようで、人間社会を侵略する害獣なのです。こういう履き違えた思考回路を持っている連中は他でどういう被害をばら撒くか知れたものではありません。なので実力行使しか無いのです。流石に熊のような駆除はできませんが、強要罪や公務執行妨害罪等で法的な処置を下すことは可能です。反撃をしてこないと高を括っているが故に増長している部分は間違いなくあるので、一度手厳しく処置を下して欲しいと思います。

口先では理想的なことを言うようで、実際には履き違えているため社会に害を撒き散らしまくる。今の社会が停滞している要因にはこういった連中を野放しにしていることが間違いなくあるでしょう。愛誤連中に対しては反撃が必要です。訴訟となるわけですが、そのためのクラウドファンディングが行なわれるとなれば自分は協力したいと思います。自分が生活する世の中を良くすることに繋がると考えれば当然のことです。愛誤連中に辟易しているコメントも多く見るので、訴訟費用のクラウドファンディングはそれなりに集まるのではないでしょうか。

自分も今書けるものを書くに限られている身、不勉強があるかも知れません。何かございましたら遠慮なく下のコメント欄から送っていただければと思います。日常用の趣味も交えたごった煮のツイッターの方でも構いません。忌憚なく意見をいただければと思います。

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