清武弘嗣の移籍
期限付き移籍なので、帰ってくる可能性だってある。でも色んな事情を考えたり、選手のコメントを読む限り、帰ってこなくてもおかしくない…と思い、最後になってもいいから清武弘嗣への思いの丈をとにかく書きたい。
編成面や戦術的な考察はゼロです。
特に結論もないです。
清武弘嗣という選手を知ったのはたしか2008年か2009年だったと思う。
大分トリニータに、ユース上がりの若くて上手い選手がいると話題になっていた。
そんな選手が2010年、20歳という若さでセレッソにやってきた。ユース上がりの選手が20歳で国内移籍。異例中の異例だ。
これにはトリニータの財政難が絡んでいた。当時のトリニータのお財布事情は火の車。それに加えて2009年にはJ2降格。主力を手放さざるを得ない状況だった。
そこで梶野統括部長(当時の役職名は強化部長)が上手く話をまとめ上げ、上本大海や高橋大輔現コーチらと共にトリニータから清武弘嗣を引き抜いてきた。
当時、国内でも有数の有望株だった"あの"清武弘嗣がセレッソに来るぞと、とても嬉しかったのを覚えている。
南津守の練習場で初めてキヨを見たとき、普通のことかもしれないが「とてつもなく上手い」以外の感想が出てこなかった。
だけどそれと同時に、「なんか暗い青年やな〜」という印象もあった。
失礼なことを書いているのは承知だけど…最近のキヨは明るいし、いつもチームの中心というイメージだが、正直言って加入当初は全く違った。
どこか不安げな顔というか、浮かない顔をしていることが多いように感じた。練習が終わったらサッと引き上げることも珍しくなかった。
後々、何かのインタビューで読んだが、やはり加入当初は精神的にも相当キツかったようだ。
そりゃそうだ。当時のキヨはまだ20歳。大分生まれ大分育ちの人間がいきなり大阪に。知り合いも少ない。しかも本人が望んだ移籍でもなかっただろう。クラブの事情で、やむを得ず…という側面はあったはず。
更にキヨは加入してから数ヶ月は試合に出ることすら叶わなかった。
当時のセレッソはこちらも若かりし頃の香川真司、乾貴士、そして家長昭博が在籍していた。今もJリーグで活躍し続けるスター選手達。みんな、キヨとポジションが被る。
とてつもなく上手いキヨですら、このメンツに割って入るのは難しかった。残念ながら、ベンチ外の日々を過ごすことになる。
この辺の時期、本当に辛かったと思う。辛かったなんていう軽い言葉で済ませるのが失礼なのは理解してるけど、大変な時期を過ごしていたんじゃないかなと。
ホームシックとまでは言わないが、まだ20歳の若者(すんません僕より年上なのにこんな言い方で)が、急な移籍で故郷を離れ、そして試合にも絡めない日々。
想像するだけで心が締め付けられそうになる。
しかしセレッソはキヨを獲得した大きな理由があった。
香川真司が2010年の夏に海外へ移籍することが既定路線だったので、その後釜を事前に確保していたというわけだ。その後釜こそが清武弘嗣。
色んなメディアで「香川真司と清武弘嗣は昔セレッソで共にプレーしていた」と言われることがあるが、実は2010年、この2人が同時にピッチに立った時間はたったの7分だ。正確に言うと1試合で7分+アディショナルタイム。
そのくらい、キヨは出番を得るのに苦労していた。途中出場すらまともになかった。
だが2010年5月、ほとんど予定通り真司はドルトムントへ移籍を果たす。いよいよキヨの出番が回ってきたのだ。
忘れもしない、ナビスコカップのグループステージ。アウェー西京極での京都サンガ戦。移籍後初スタメンを飾ったキヨ。
ここから新たなスターの誕生だ!!といきたかったが、気合いが空回りしたのか前半で無念の負傷交代。
真司が移籍して、絶好のチャンスが回ってきたのに…本人だって相当なショックだっただろうが、見ているこちらも本当にショックだった。
その後の数試合(といっても全てナビスコだったけど)を棒に振ってしまう。
W杯の中断が明けると、無事にキヨはレギュラーに定着し真司が去ったポジションに収まることとなる。
ここからの活躍は圧巻だった。
キヨ、乾、家長の3シャドーでリーグを席巻しリーグ戦は3位フィニッシュ。クラブ史上初めてACL出場権を獲得。その躍進の中心にキヨはいた。
2011年、ガンバからやってきた倉田秋やレンタルから復帰したキムボギョン、そして乾との熾烈なポジション争いの末、開幕戦はベンチスタートとなったキヨ。
そう、彼のキャリアは全く順風満帆ではない。何度も壁にぶつかる。2011年の序盤もまた壁だったと思う。
しかし途中出場からチャンスを掴むと、ものの2、3試合くらいでスタメンを再奪取。このときの、スタメンに返り咲いてからのキヨは紛れもなくチームの"エース"だった。
もちろん乾も凄かったんだけど、僕はこの年の前半のセレッソは間違いなく清武弘嗣のチームだったと思っている。ドリブラー寄りだった乾と倉田に比べて、キヨは組み立てからドリブルからパスからシュートまで何でも出来る。ヘディングだって出来る。本当に凄かった。
夏には乾が海外移籍。すると周りは自然と、次のエースは清武弘嗣だなと思っていた。誰が言ったわけでもなく、みんなが思っていた。当たり前に思っていた。
しかしそんなキヨを、またしても悲劇が襲う。
9月に行われたロンドン五輪予選。その試合終盤に、足を攣ってしまったキヨ。試合はリードしていたものの交代枠を使い果たしていた日本は、足を攣ったキヨをそのままピッチに残す選択をする。
結果、そこで無理をしたことによって、ただ足を攣っただけでなく筋肉系の故障にまで発展してしまった。最悪の事態だ。(当時のセレサポは関塚監督はじめ協会にブチギレだった)
更に悪いことにセレッソはこの1週間後、ACL準々決勝の2ndレグを控えていた。クラブ史上初のACL、そしてJリーグ勢唯一生き残り。決して負けるわけにはいかない試合だった。
そこでクルピ監督は、負傷を抱えるキヨを強行起用。先発としてピッチに送り込んだ。
だが怪我を抱えている状態で良いプレーが出来るはずもなく、見せ場のないまま後半に途中交代。チームは1-6の惨敗を喫してACL敗退となった。
試合後、キヨは重度の筋損傷での離脱が発表される。日本代表も、セレッソも、キヨに無理をさせた結果起きてしまった負傷。なぜ、キヨはこんなにも怪我をしないといけないのか。ただのサポーターながら、そんなことを考えずにはいられなかった。
無事シーズン終盤に復帰すると、負傷前と変わらず素晴らしいプレーを見せてくれたキヨ。
翌2012年、僕にとって忘れられない出来事が起きる。
香川真司の退団後、空き番となっていた桜のエースナンバー"8"
その番号を、キヨは自ら背負いたいとクラブに直談判したのだ。
ハッキリ覚えているが、批判はあった。8番は生え抜きのものだ!とかいう心無い言葉もあった。どうせすぐ海外に移籍するのでは?という見方もあった。
だけど僕にとっては生え抜きがどうとか、いつ移籍するかとか、本当にどうでもよかった。
2年前、若くして故郷を離れ単身大阪にやってきて、精神的にキツく、暗い顔をしてベンチ外の日々を過ごしたキヨが、自分からセレッソの8番を背負いたいと言ってくれるまでになった。
この事実だけで十分だろう。それ以外に何が必要なのか。
生え抜きじゃない?
むしろ生え抜きじゃないのにセレッソの8番を理解してくれているのが、どれほどありがたいことか。どれほど嬉しいことか。
それも自分から背負いたいと言ってくれた。昔のキヨは決してそういったことを口にするタイプではなかった。このとき初めて、僕はキヨの責任感というか…大きなものを背負う覚悟というか、上手く言えないけどそういうものを感じた。
いや本当はずっと背負っていたんだろうけど、それを自ら外に向けて発信したのはこのときが初めてなんじゃないかと思う。昔のキヨは、これまた年上の方に対して失礼な言い方で恐縮だが、シャイな人だったと思う。チームを引っ張る言葉をメディアの前でハッキリ話してくれる今のキヨとは別人。
そんなキヨが自分から8番を背負いたいと言ってくれたのだ。
8番を背負ったキヨは、監督交代や主力の入れ替わりの影響もあり前年ほどの活躍とはいかなかった。
だがそれでもロンドン五輪本戦メンバーに無事選出され、そして真司や乾と同じように、キヨもまた夏に海外へ羽ばたいていった。
キヨが8番を背負った期間はたったの半年。いや半年にも満たないかもしれない。
でもこのとき、どこか腫れ物のような、誰も触れたがらないものになりつつあった"8番"を自ら背負って戦った清武弘嗣の姿を、一生忘れることはない。
5年の時を経て、2017年にキヨはセレッソに復帰することとなる。
このときのヤンマーと、セレッソ強化部の覚悟は相当なものだった。
キヨが日本復帰を模索しているという情報を掴むや否や、「清武弘嗣にセレッソ以外のユニフォームを着させるわけにはいかない」として、母体であるヤンマーと共に限りある予算を最大限やりくりしてなんとか資金を捻出。清武の獲得にこぎつけた。
フロントにそうさせたのは、キヨ自身の力だと思う。これまでキヨが築き上げてきたキャリアそれ自体が、セレッソのフロントを動かした。
2017年、そうして復帰したキヨが2冠の中心メンバーであったことは言うまでもない。
だけどこの年以降、それまでのキャリアでの激闘もあってか負傷続きで、シーズンを完走した回数で言うとそう多くはない。
でもこの頃以降の、2017年セレッソに帰ってきてからのキヨは、もはやただの上手い選手とかエースとか、チームに初タイトルをもたらしたとか、そういう言葉では片付けられないほどの存在となっていく。
2018年オフ、前年2冠を達成したユン監督の電撃退任。それに関係してか、山口蛍など主力選手の流出。
ロティーナ新監督を迎えた新シーズンは、順調とは言えない船出だった。
それまでのセレッソには全く馴染みのない、後方からの作り込まれたビルドアップと、徹底したゾーンディフェンス。見ている側ですらそのサッカーに適応するのに苦労したのに、選手たちの苦労は計り知れない大きさだったはず。
だけどキヨはいつも、「このサッカーは正しい。続けていくべきだ。」と発信してくれた。
この言葉が、サポーターにどれほどの安心感を与えてくれたことか。
キヨが言うなら、今は我慢しよう、キヨについていこう。ありきたりな表現だけど、サポーターの多くは同じ気持ちだったのではないだろうか。
キヨの言葉を信じて我慢した結果、ロティーナのサッカーは花開く。それまでのセレッソにはなかったような、安定感ある組織的で論理的なサッカー。タイトルこそ獲れなかったものの、セレッソが組織で相手を明確に上回る試合ばかり。本当に見ていて楽しい時期だった。
キヨの言葉は正しかった。
だがそんな楽しい時間は、急に終わってしまう。というかクラブが自ら、終わらせてしまう。
この2020オフのことを書き始めるとそれだけで何万字も書けそうなので割愛するが、このときは2018オフ以上の不信感が、サポーターの中で渦巻いた。
そして柿谷をはじめ、2年前と同じように主力選手が流出。またしても危機を迎えてしまった。
そんなとき、キヨは複数年契約を結び、先陣を切ってチームへの残留を発表。
またしても、キヨが真っ先に道を歩いてくれたのだ。
キヨも全てに満足していたわけではないと思う。
ロティーナの退任報道が出た後の第29節大分トリニータ戦。試合後インタビュー、虚な表情で「監督も変わるので…」と、まだ公式には発表されていない監督交代をうっかり漏らしてしまったキヨ。その顔つき、言い方からして、思うところがあったのは伝わってきた。
故障を乗り越え、ロティーナ体制でもう一度大きな花を咲かせていたキヨにとって、この監督交代は辛いものだっただろう。
でも、それでも、複数年契約という覚悟を示してくれた。セレッソへの愛を示してくれた。
なら、サポーターはそこについていくしかない。
清武弘嗣は、もはやそういう存在になっていた。
誰かが清武弘嗣はセレッソのスターですとか象徴ですとか決めたわけじゃなく、キヨのこれまでのピッチ内外での振る舞い全てが、サポーターの心を鷲掴みにしていた。
いつのどの言動が?とかそういう話じゃない。
全てだ。これまでの全部が、そうさせた。
キヨが先に歩くなら、サポーターは後ろをついていくしかない。サポにも不満や思うところはある。でもキヨにだっておそらくあったはずだ。それを耐えて、セレッソというクラブのために、先頭に立ってくれる。ついていく、信じて応援する以外の選択肢なんて、ない。
2021シーズン、クルピ監督の下で前年までと全く違う戦術を採用するチームでキヨは苦しんだ。チームメイトも多くの選手が苦しんだ。
いろんな葛藤があったと思う。
第3節の清水エスパルス戦。
エスパルスを率いるのは前年までセレッソを率いたロティーナだった。
そのロティーナ・エスパルスを相手に、苦労しながらも最後はキヨの豪快なボレーシュートで勝ち越し点を奪い、逆転勝利。
キヨは試合後、「ここ数試合は迷いながらプレーしていたけど、その迷いが吹っ切れた」というコメントを残した。
選手も、サポも、「昨年までの戦い方の方が…」と心のどこかで思っていたはずだ。僕も思っていた。
それらクラブ全体に蔓延する迷いを払拭するために、自身の言葉で「もう迷うのはやめよう」と、全員を引っ張っていってくれた。
どんなに苦しくてもキヨは周りを引っ張ってくれた。それが、出来る選手だった。出来るし、周りはキヨについていく。
小菊政権になってもそれは同じ。
幾度となる訪れる苦しい時期も、キヨは常に「今やってるサッカーは間違ってない」と言っていた。キヨにそう言われたら、迷ってる場合なんかじゃないだろう。
自身がどれほど故障で苦しんでいようとも、決してマイナスなことは言わず、チームをまとめるために全てを捧げてくれた。
どんな言葉が合うだろうか…バンディエラ?象徴?アイコン?とにかくセレッソにとっては1人のプレーヤー以上の存在。パスが上手いとか視野が広いとか、そういう次元じゃない。
思い返せば2012年からずっとそうだったんだろう。
長期政権を築いたクルピが退任して、新たな船出となったシーズン。キヨ自身も海外移籍が常に噂されていた。
それでも、自ら8番を背負い、チームのために先頭で戦ってくれた。あのときからキヨは常にチームの先頭に立ってくれていたんだ。
赤の他人が何を言ってんだと思われるかもしれないが、1人のサッカー選手の、技術的な部分と精神的な部分の成長を、見れた気がしている。
さっきも書いたけど、これ以上に何が必要なのか。
だから僕は、キヨの移籍の報道が出たときに「清武弘嗣だけは、サポーターとしてどう思うかみたいな感情は全部押し殺してでも応援し続ける」とツイートした。
そりゃもちろん残ってほしいし、セレッソのユニで戦ってほしい。また戻ってきてほしい。また一緒にタイトルを獲りたい。サポーターとしては当たり前のことだけど、こう思っている。
でも、清武弘嗣だけは、そんなサポーターの想いみたいなものは全部捨ててでも、清武弘嗣の決断を支持したい。そして応援し続けたい。
九州に帰りたい気持ちも分かる。そもそもセレッソに移籍してきた経緯を考えたらそれも当然なことだ。むしろ今までずっとセレッソにいてくれたことに感謝しかない。
キヨは別れの挨拶で「サポーターとの約束を守れなかった」と言ってくれた。たしかにキヨとまたタイトルを獲得したかった。それは事実。
でも正直そんな約束はどうでもいい。いやどうでもいいって書いたらキヨに対して失礼だけど、それ以上のものを、書ききれないし喋りきれない数のものを、セレッソに残してくれたし、サポーターに対して示し続けてきてくれた。
またまた繰り返すけど、これ以上に何が必要なのか。
全てを、見せてくれた。感謝しかない。
正直なことを書くと僕は昨シーズンが終わった時点で退団を覚悟していた。もっと言うと2023年が始まる前に「今年が最後なんだろうな」と覚悟を決めていた。
だから2023年のユニフォームはキヨを買った。後悔しないように。覚悟を決めるために。
…でも実際に退団ってなったらやっぱり寂しい。
まだレンタルなので、さよならとかありがとうとか言い過ぎるのもアレなので、またいつか帰ってくると信じて、僕はどのチームのユニフォームを着ていようがキヨを応援し続ける。
あれこれ言ったけど、まだお別れではないと信じている。
…帰ってくるよね?
帰ってきてくださいお願いします。←最後に本音が出た
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