何もできない時に、神の恵みがはたらく

2024年5月12日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師 礼拝説教「復活の命に生きる」6回目を聞いて頭に残ったこと

ヨハネ21:17
「あなたは私を愛していますか」

ペテロ「私はあなたのために死ぬことはできません。そんな愛はありません。」

私たちすべてに召しが与えられている。
イエス「小さなものにしたことは、私にしてくれたことだ。」

ヨハネ21:18
ペテロに言われたことだが、いかに生きるのかが示唆されている。
若い時と高齢の時、生き方の修正を余儀なくされる。

「あなたが若い時、自分で帯をして、自分で望むところを歩いた」
自由に生きてきた。

詩編139:13
ダビデ「あなたこそ私の内臓を作り、母の胎の中で私を組み立てられた」
生まれる前、神が召した。計画に基づいて組み立てた。

神の私たちの取り扱い方には、自由と制限がある。

ポール・トゥルニエ『人生の四季』
自由の季節
制限の季節

ペテロは自由にした。
マタイ14:22-31
イエスが湖の上を歩いて、弟子たちの船に近づいた。
弟子たち「幽霊だ!」
ペテロ「あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところにいかせてください。」

信仰とは、「神は偉大なことができる+神が命じるなら、私もできる」と信じること。

ヨハネ14:12
神を信じると、イエスと同じわざと、それより大きなわざを行うことができる。

イエスはペテロに、「来なさい」と言った。
分を超えてチャレンジすることを許された。「やってみなさい」

ペテロは、船から出て水の上を歩いてイエスの方に行った。
風を見て怖くなって沈んだので、イエスに助けてもらった。

ペテロの人生での大切な経験となった。

挑戦、失敗、挫折は、神のみ手の中で用いられていく。

ヨハネ12:18-19
年を取ると、ペテロは殉教した。
望まないところに連れていかれる。
神の制限の季節。

戸惑い、神を遠くに感じ、見捨てられたのでないかとすら思う。

見捨てられたのではなく、神の制限の季節と知ることが大切。

渡辺和子『おかれた場所で咲きなさい』
ブラック環境にとどまれということではない。
神がここに置かれた。自分なりの花を咲かせなさい。

人生に空いた穴から見えるものがある。
影の部分が人生を完成させる。

制限の季節
人生が破れ、穴が開く。
聞かれなかった祈りも私たちの人生にとって大切と気づく。

制約の中に生きる→選択肢を失う
最後に残ったものには価値を見出せないが、それを再評価するようになる。
そこに神の心がある、という価値観の転換により、人生が完成される。

パウロは生前のイエスに会ったことがない。
1コリント15:4-9
「聖書に書いてある通りに」
最後にペテロに表れてくださった。
10節「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。」
人生が大転換した。
何もできなくなったときに、神の恵みが働き始めた。
人生は達成してきたことの積み上げだと思っていたので、何もできなくなったときに、人生が終わったと思った。
→神の恵みが働くスペースが人生に生まれた。

「神の恵みによって、私は今の私になりました。」
私を完成するのは、神の恵み。
神の恵みが人生で一番働くのは、選択肢が持てないとき、身動きできないとき、祈れないとき、聖書が読めないとき、人を愛せないとき、できないとき。

祈れない、聖書が読めない、愛せない私を責める必要はない。
恵みが私に代わって働く。
神の恵みにゆだね、拠り頼むのが、制約の季節に生きる私たちの神への応答。

感想

私は与えられた人生を無駄にしてきたと、自分を責める気持ちが絶えなかった。
現状に対し私は無力で、孤立している。

しかし、今日の説教を聞いて、まさに今、神の恵みが人生で一番働く時と知った。
恵みに働いてもらおうと思う。
神の恵みにゆだね、拠り頼むことにする。




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