私はそれほど神を愛していないが、神は思ったよりも私を愛してくれている

2024年4月28日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師 説教「復活の命に生きる」4回目 を聞いて頭に残ったこと

「復活の命に生きる」シリーズ前回までの振り返り


復活の朝、弟子たちは復活の命に触れた。
嘆きが喜びに変わった。

イエスは復活のあと、弟子たち一人ひとりにわかるように出会ってくれた。

ペテロを立ち直らせた出会い


ヨハネ20章
イエスはペテロと出会ってくれた。
20:19
よみがえった日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れてカギをかけて閉じこもっていた。
恐れの中でイエスと出会うことの大切さ。
恐れを振り払うのでなく、恐れのただ中でイエスと出会っていく。
「あなた方に平安があるように」という声をきく。

ヨハネ21:1
エルサレムで2度も会ったのに、わざわざガリラヤまで行って、もう一度弟子たちと出会った。
ペテロを立ち直らせるためではないか。再出発。

弱さの中で主と出会うことも大切。

マタイ26:31
とらえられる日の夜、イエスはオリーブ山で弟子たちに、あなた方はみな逃げ去ります、と言ったが、ペテロは、自分だけは決してつまづかないと言った。

ペテロは、イエスへの愛を証明しようとして、愛のなさに直面した。

「私は思うほど神を愛していない」「神は思うより私を愛している」という二つの事実に気づく。

朝、ニワトリがないたことから、
私たちは、クリスチャンとして生きている中で、知らないうちに神の役に立っている。
日々の生活を感謝して生きているだけで、神は私たちを用いてくださっている。

ルカ22:61
ペテロは3回、「そんな人は知らない」と言った。
ニワトリが鳴いた後、イエスは振り向いてペテロを見た。
いつもと変わらないまなざしを向けてくださって、ペテロは許されたことがわかった。

しかし、立ち直っていなかった。
ダメな私、裏切った私を主は許してくださったが。

ヨハネ21:4
ガリラヤの岸辺で弟子たちは、イエスだとわからなかった。

ヨハネ21:15
イエスが捕らえられた日、ペテロは、他の弟子がイエスを捨てても、自分はついていくと言った。
そのため、大祭司の家までついていって、結果的に3度「知らない」と言ってしまった。
その言葉がイエスに届いたと思った。
しかし、イエスに見つめられて、許されたことを知った。

イエス「この人たちが愛する以上に、私を愛していますか。」
ペテロ「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」

イエスの「愛 agapaoo」は、自分の命を相手の身代わりに捨てられる愛
ペテロの「愛 phileoo」は、相手が自分に益になるからという愛

ヨハネ21:17
イエスが3度も質問をしたので、ペテロは心を痛めた。
本音を2回も言ったのに、「許されたけど信じてもらえない」という痛みがあった。

イエスは3度目の質問で、phileoo を使った。
「友達のリストに加えてくれますか」とへりくだった。

恐れの中だけでなく、弱さの中でイエスに出会っていく。
装うことをやめる。
私たちのすべてを主は知っておられ、愛しておられる。
何度倒れても、立ち直れる。

思ったこと

ペテロは、イエスが好きだけど、裏切ってしまったし、たいして愛していない、というところから、最後は殉教した。
神の愛を実感し、驚き、感動するという体験をどんどん蓄積していったんだろうなと思った。

また、私はクリスチャンではあるけど、肩の力を抜いて、自然体で生きて行っていいんだと思わされた。


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