聖霊は心をほぐして、作り変えてくださる

2024年6月2日 ニューライフキリスト教会 豊田牧師メッセージ 「御霊によって歩む」シリーズを聞いて頭に残ったこと

三位一体の神


聖霊

等しい立場で、人格を持つ

ルカ24:49
意気消沈していた弟子たちは、よみがえったイエスと出会ってたいへん喜んだ。

イエス「見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」

勢いだけで福音を伝えてはいけない。いずれ息切れするから。

聖霊を受けた時、迫害を恐れなくなり、ペテロは大胆に福音を語った。
「あなたがたが神の子を十字架につけたのです」

イエスを信じたことで仕事を失い、家族から排除されたクリスチャンは、共同生活を始めた。

ヘブル語を話す人とギリシャ語を話す人の間で、食料の配給をめぐってトラブル
→ 知恵と御霊に満たされた評判の良い人を選んで対処することにした。

信仰と聖霊に満ちた人ステパノ

「に満たされる」という表現は、神の中で父や子にはなく、聖霊だけ

ルカ3:21-22
イエスのバプテスマ
天から聖霊が下り、父なる神の声が聞こえた。
「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」

三位一体の神は互いに必要とし合い、協力し合う。

イエス様ですら聖霊の助けを必要とされたので、私たちはなおさら。

ルカ4:1-2
「イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。」
そして、御霊によって荒野に導かれた。

「聖霊に満たされる」と「聖霊に導かれる」はセット。

ローマ8:14
「神の御霊に導かれる人はみな神の子どもです。」

神の子とされているならば、神に導かれるという内面を持っていなければいけない

神の子ども=神に導かれる人

イエス様と出会うのは、聖霊に導かれたから。

意識しなくても、聖霊は導いてくださる。私たちは神の子だから。
もっと心開いて意識すると、御心のど真ん中に導いてくださる。

エペソ5:18
「ぶどう酒に酔ってはいけません。むしろ、御霊に満たされなさい。」

酩酊と聖霊に満たされることの共通点は、コントロールを失うこと。

飲酒の是非を言おうとしたのではなく、自制心を失うと、放蕩に身を持ち崩しますよ、という意味。

感情的になって自分を律することができない状態も、聖書に言う「放蕩」。

聖霊に導かれるとは、自己への執着を手放すこと。

パウロは目が見えなくなって、神に取り扱われた。
手を引かれて、ダマスコの街に連れていかれた。
パウロの自我を砕き、自分は見えていないと気づかされた。

出エジプト後、約束の地に導き入れるのに、
神がイスラエルの民に手を焼いた。

出エジプト32:1
金の子牛事件
「我々をエジプトから連れ出したモーセという者がどうなったかわからないから、我々を導く神を作ってください。」
もう待てない。導かれることへの拒絶

32:9
「これは実にうなじを固くする民だ。」
首を縦に振らない、自我を通そうとする。

40年間荒野をさまよった。

私たちには、自分へのこだわり、頑迷、頑固さがある。

聖霊はほぐして、作り変えてくださる。
聖霊に導かれる→心を柔らかくして、人の意見に耳を傾ける柔和さがある。

詩編23:1
ダビデ「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」
3「主は私のたましいを生き返らせ
御名のゆえに 私を義の道に導かれます。」

聖霊に今まで以上に心を開こう。
聖霊の働きに対して、もっとみ言葉を通して理解を深め、心開いて、「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」という告白に生きる。

自分で自分をほぐすことはできない。
聖霊に満たされていく中で、聖霊が私たちのかたくなな心をほぐしてくださることに、心をますます開いていきたい。

感想

私の場合、かたくなになるのは、不安だから。
聖霊に満たされて、安心して柔軟になり、聖霊に導かれたい。





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