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芙蓉シュークリーム店の日。


酔芙蓉のちいさな苗を
父が庭に植えてくれたのは、

もしかしたら、もう
10年くらい前、かもしれない。


わたしが、

『酔芙蓉の花って不思議なの。

朝は真っ白で、午後を過ぎると
薄いピンクになって、日暮には
赤くなるのよ。

その様子が、お酒を飲んで
だんだん顔が赤くなる人みたいだって
名前に、酔う、って文字が冠されたの』

と、道で見かけた、
酔芙蓉の花を指差して言うと


父は、ろくに
返事もしなかったのに

次に、庭に行ったときには
それが、もう植えてあった。

わたしは、とても喜んで
父にお礼を言った。



そして、庭の酔芙蓉は
すくすくと育ち、
秋には、花を咲かせた。

「ねぇ、酔芙蓉の花って
シュークリームみたいじゃない?
わたし、見るたび、
いつも、思ってた」


そう父に言うと

『さあ、どうだろう?』
と、しきりに首をひねっていた。



幼い頃から、
父には、わたしの《空想》は
あまり伝わらない、と
感じていた。

余計(莫迦)なことを考えるより
勉強をがんばりなさい

と、何度か言われた。

だから、ずっと
伝えることはなかったのに、

芙蓉シュークリームのことは
話してしまった。


朝の芙蓉シュークリーム。


朝日と芙蓉さんたち。
萎んだ赤いのは、
きのう咲いた花。



曇り空のしたの芙蓉の花。

(しっとりとした皮の
シュークリームが食べたくなります)


晴れてきた昼。
うっすら、と、ピンクに色づき、

また曇った日暮れ、赤くなる
芙蓉の花。

お昼酔芙蓉さん
日暮れ酔芙蓉さん


いちにちで、三回
メタモルフォーゼし、

いちにちで、花を終える
酔芙蓉さん。


彼らをまいにち食べるのは、
秋という季節かもしれない。

美しいシュークリームを
食べて、秋は美しく肥る。

夏でいたときは、
すっかり痩せたので、

秋にメタモルフォーゼするために。


そんな風にも、思った。


まいにち、シュークリームが咲く。


あの秋、(Octoberだった)

父が、倒れて、
庭へ帰ってこられなくなって

わたしは、独り
しみじみ、芙蓉の花を眺め、

わたしが、好きだ、と言った
酔芙蓉の苗を買ってきて
庭に植えてくれた父を、

(母を亡くして、独りで暮らしていた)

その《行動》を、恋しく思った。


その寂しい年に
わたしは、

《芙蓉シュークリーム店》

というオハナシを、
庭で、書いた。



翌年である2023年、今年は
芙蓉シュークリーム店の看板をつくり、

独り、掛けてみた。


ほんとうに、誰かが
買いに来たらどうしよう、と
思ったが、

世は、父のようなひとが
《ほとんど》で、

ままごとの名残か?
ここにはこどもがいるんだろう

と、思うだけだろう、と
気にしないことにした。


(そして、ひとけの無い
この村では、看板は
道からは遠すぎて、
見えるはずも無いのだった)


2023.10.13
今朝もまだ、
芙蓉シュークリーム店は
朝はやくOpenして、
わたしを、安心させた。

秋が深まり、白が
クリームいろになってきた。



また、看板をかけて

いらっしゃいませ!



わたしは、庭で
独り、幸福で、いる。

父も母も、
かたちを変えて
そばにいる

と、空想して。


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