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summer festival

夏至まつり
summer festival
かみんぐすーん

と、白いチョークで
書かれた、小さな黒板が、
小径からちらちらと
見えています。

垣根越しですが、

その枝のひとところが
うさぎの抜け穴みたいに

まるく、剪られ
ぽかん、と
隙間が空いていて

それが、ふと、見えたのです。

こどもの《ごっこ遊び》でしょうか?

この黒板のしたで、
お母さんとこどもが
おままごとをしたのでしょうか。

それにしては、
ひと気の無い庭です。

昼間だというのに、
しん、と、静まって、
何ひとつ、動くものはありません。

それでも、わたしは
今年の夏至の日は
いつだったかしら?と
手帖をひらきました。

ちょうど、ひと月後、でした。

🍂

翌々週、黒板には

フェスティバルで
出される食事の献立が
書かれていました。

ディルポテト
サーモンと胡瓜のサラダ
にんじんのポタージュスープ
胡桃とクリームチーズのサンドイッチ
フルーツポンチ
いちごミルク

なかなかの献立、です。

チョークの白はまだ新しく
それは、たった今
書かれたかのように思えて、

あたりを見回してみましたが
やはり、ひとの気配はありません。

それでも、その日は
黄色い夏の蝶がひらひらと
昼の庭を、飛んでいました。

🍂

ひと月前から
この近くのお宅へ
週に一度、
訪問看護に来ています。

おおきな手術をされた
老婦人の退院後の体調観察と
服薬の状況などの確認をしています。

また、ご自宅で暮らせるように、と
訪問介護の方などと協力して
しばらく、お支えしているのです。

老婦人のお宅は
道路に面していて
長く、車を駐められないので
許可を得て、すこし離れた
公民館の駐車場をお借りしています

はじめの数回は、
道路に沿って
老婦人のお宅へ
歩いて向かっていましたが

ある日、住宅のあいだにある
遊歩道のような《小径》を通れば
近道だ、と気付きました。

そうして、たまたま、
小径沿いの庭の、
木の枝に下げられた
黒板を見つけたのでした。

どんなひとが黒板を書いたのかしら?

小径を通るたびに
だんだんと興味が湧いてきました。

垣根の丸い穴から
ちら、と、庭の奥を覗いてみると、

ぽつぽつと薔薇が咲いていて、
黄色い百合が揺れていました。

畑のような場所には
にんじんの葉が伸びていて
その向こうには、ディルが
背丈を伸ばしています。

朝早く出られるお仕事のひとが
住んでいるのかもしれない。

ならば、昼に
雨戸が閉まっていても
おかしくはありません。

🍂

その朝は、曇っていました。

薄い雲が、空にかかり、
ひざしは柔らかく
数日の蒸し暑さも
和らいでいる、朝でした。

夏至祭りには
ふさわしい気がしました。

わたしは、その日
老婦人とは別の方の
お宅へと向かいながら

(そこは、もうすこし
山に近い、農家の多い古い町です)

あの庭でひらかれている、
夏至祭り、を、思いました。

誰もいない庭に
夏至祭りのご馳走が並んでいる
光景が、目に浮かびました。

いちごミルクの、
たぷたぷとした
白ピンクが、
ひんやりと
喉へ通っていくような
気持ちにもなりました。

そのとき、ふと、

もしかしたら、あの庭の家には
老人が独り、住んでいて

息子や孫が集まってきた
かつて賑わっていた庭を
思い出しているのかもしれない

と、思いました。

あの黒板は、
過去の日のもので
納屋か納戸に、
ぽつんとあったのを
老人が、戯れに
白チョークで書いて
枝へ掛けたのかもしれない、と。

過ぎ去ったあの日を
呼び戻すように、

戻らない、と、知りつつ。

たくさんの、お独りで暮らす
高齢の方を見てきたからでしょうか。

それが、正解のような気がしました。

🍂

夏至の日を過ぎても
しばらく、黒板は
枝に掛かっていました。

畑のディルもにんじんも
花を咲かせはじめていました。

チョークの白い文字が
雨に濡れたのか、滲んで
消えかかっていました。

それでも、思わずには
いられませんでした。

夏至祭りはひらかれたのかしら?、と。

そのとき、
誰もいない庭から、
一匹の猫が、
小径へ出てきました。

ひとに慣れているようです。

わたしを見ても、
逃げたりはしませんでした。

少しばかり離れて
ちらり、と、こちらを伺っています。

『ねえ、あなた、この庭のひとが
どこにいるのか知っている?
住んでいるのかしら?
それとも、時々、来るのかしら?
もう、いないのかしら?』

聞いてみましたが、

当然、返事は
返ってきませんでした。

🍂

夏は終わり、
秋がやってきました。

ある日、小径を通ると、
庭にひとがいて、

おんなのひとが
ふたり、長靴を履き
腕にアームカバーを嵌め、

スコップや鍬を持ち
熱心に、土を掻いたり、
草を抜いたりしていました。

わたしは、
声をかけようとしましたが、

何と言ったらよいかわからず、

(いつも庭を見ています、とは
言いづらいものです)

『精が出ますね』

と、ひとこと、小径から
声を放ちました。

ひとりのおんなのひとが
顔をあげ、
はっ、と驚いてから、

うれしそうに、

『ありがとうございます』

と、頭を下げました。

わたしは手を上げ、
微笑みを返しました。

おふたりとも、

ひとが生きることの
悲しみを知っている年代でした。

🍂

老婦人のお宅へ向かいながら
わたしは、

もし、また、お会いしたら
おはなしを聞いてみようと

(いえ、ご事情ではなく)

summer festival

のことを聞かせてもらおう
と決めました。

それから、
今、下がっている黒板の

サーオインの祭り
(魔女の大晦日)
かみんぐすーん

のことも。

そう考えながら
秋の小径を歩けば、
金木犀が匂いはじめていました。


fin


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詩集 ウィンターガーデンのこと

誰もいなくなった庭で、ときどき
植物たちと、こころで会話します。

それはとても、しづかな時間で
町のアパートに住む、わたしは
こどものころに流れていた
密やかでたっぷりとあった、
時間を思い出します。

庭は、思いがけず
詩のような、掌編のようなものを
わたしに書かせてくれます。

それはとても、うれしいこと、です。

sio

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🧺夏至祭りは、春浅き頃、庭でささやかにひらこう、と妹と決めていました。父のことを思うと心配が積み重なるので、たのしいことをひとつ、計画しておこう、と決めたのです。看板をつくったり、その日のメニューを考えたりしていました。結局は、ちょうど夏至の日のころに、父の施設入所の手続きに伴う用事が重なり、夏至祭りはひらくことはできませんでした。来年こそは、と
思っています。

🧺いつもの道やいつもの公園やいつもの退屈な午後に、不思議な場所や不思議な時間にふと入り込んでいる、あるいはそこから手紙が届く、みたいなことが、幼い頃から、いつか起こればいいなあ、と夢見てきました。だから、妹と、誰もいない庭に、夏至祭りの看板を置いてみたりしてみようか、なんて話したりしていました。そんなのを見つけたら、《わー、なにかしら?》と空想が膨らんで、いちにち楽しくなっちゃうね、わたしたちなら、などと楽しく話しました。実際にはやりませんでしたが、空想するだけでも、重くなりがちなこころ、はふわりと軽くなりました。

🧺つい先日、庭にいたら、小径から声をかけられました。『みごとですね』と同年代のおんなのひとが、颯爽とウォーキングしながら、笑顔でひとこと、言ってくださったのです。わたし、いつもここを通るんですよ、みたいな笑顔でした。ありがとうございますと言うと、手をぱっとあげて去っていかれました。その日は、朝も、近所の方に、庭の芙蓉の花が道から毎朝見えて嬉しい、と言っていただき、誰もいない庭でも、こうしてお近くの方に見守られているのだ、と、感激したのでした。

🕯summer festivalのオハナシは、こうしたリアルワールドのことが組み合わさって、空想がふくらんで出来ました。サーオインの祭りは、妹とささやかに、ほんとうに出来るといいなあ、と思っています🎃

夏至祭りのリハーサルはやりました。
こんな風にテーブルセッティングして、などと。
庭の花たちを飾ろう、と。
冬に種を蒔いたにんじんも順調に育ち
にんじんポタージュスープにする予定でした。
大好きなムーミンの絵を飾って
看板もつくってみました。


今は、サーオイン祭りに向けて
庭に魔女と箒、が、います。


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🕯 こんかいも、ギャラリーから絵をお借りしました。優しいいろあいとかたちが素敵です。ありがとつございます。 しお







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