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魔女庭づくり

誰からも
忘れられていた庭だった。

かつての夢に支えられ、
老人が護っていた庭だった。

彼が病を得て、去る、と
たちまち、冬がおとずれ、
庭は、荒れ果てていった。

わたしは、そこへ
入ることができた。

庭への鍵が、手にあったから、だ。

🍂

11月の日は短く、
伸び放題のモッコウバラの蔓の
奥に絡んでいる枯れきった枝を、
剪っていくだけで暮れてしまった。

翌朝は、草を抜き、
古い落ち葉を集め、

風が通らなかっため、
病気となってしまった
百日紅の枝を
鋸を引いて、落とした。

夜がやってくれば
庭から出る、しか、なかった。

ひと部屋を灯して
寒さに、カラダに巻いた薄毛布に
顎を埋めながら、火をつかわない、
貧しい食事をした。


誰とも口を聞かない数日だった。

声を出さず、過ごせば

ここに長く独り居た老人の
寂しさが、透明な水となって
わたしを包んだ。

湖の底にいるようだった。

その表面は、もうすぐ凍る、
と、感じた。

そのせいか、
本のページをめくっても
言葉が、つるつると
こころから、滑り落ち、
わたしは、布団を敷いて
眠る、しか、なかった。

世間では、
未知の疫病が流行っていた。

寒さが厳しくなるにつれ
再び、感染が広がるだろうと
電波の悪い、ラジオが
淡々と喋っていた。

🍂

庭の朝には、
かならず、鳥がやってくる。

雨戸を閉めていても
その囀りは、聞こえる。

暗闇で、出口を見つけたように
わたしは飛び起き、庭へ出た。

鳥たちは驚いたが、
すぐに戻ってきて
コーヒーのカップを手に、
庭を歩くわたしを
気にすることをやめ、

高い枝に残っている
ヤマボウシの赤い実を
忙しく、ついばんでいた。

冬が深まるまえに
太っておかなくちゃ、

というように
旺盛な食欲だった。

鳥たちのほかに、
猫も、庭へやってきた。

老人が秋に耕した柔らかな土に
足跡が残っていた。

弾むような、丸い、
若い足跡だった。

そんな風に
わたしは11月の週末を
ほとんど、独り、庭で過ごした。

🍂

11月の最後の週は、
娘がやってきた。

木々が葉を落とした
明るい日で、寒さもまた
きらきらと輝いていた。

庭のテーブルに布を敷いて
簡単な昼食を、食べた。

『庭をつくるなら、
天使がいるような庭はやめてよ』

荒れ果てた庭をこれから
どんなふうにしたらよいか、と
相談した、それへの《答え》だった。

『こころの綺麗な正しいひとが、
手間を尽くしている、みたいな庭は
わたしには息苦しいから』

意外な答え、だった。

『ひとが真ん中にいない庭がいいな。
ちょっと妖しい感じがいい。
魔女の庭みたいな、薬草が生い茂る』

『ハーブガーデンじゃなくて?』

『ハーブというより、薬草だね。
勝手にそれらが生えているような庭』

『植物のほうに意思があるのね』

『そう、だから、
ひとは、そこに入ると
ちょっとだけ、こわくなるのよ。
でも、だから、安らぐの』

娘の言わんとすることは
よく、理解できた。

『わたしにそれを作れるかどうか
わからないけれど、やってみたい』

と、答えた。

そこから、魔女庭づくり、が始まった。

🍂

12月、庭に、妹も
来てくれるようになった。

彼女の手にも、鍵があったから、だ。

庭は、まだ荒れ果てていて
寒さに、震えていたが
老人が植えた、早咲きの水仙は
もう芽を出しはじめていた。

わたしたちは、共に50代で
マジョニワをつくるには、
ぴったりの年代で、

魔女庭づくりのためにひらいた本には

冒頭、《自然が魔女をつくった》

とあり、

冷たく厳しい暗い冬も、大地の深いところから、そその力がゆるんでくると、大気は再生のエネルギーで満ちあふれ、魔女の庭づくりが始まります。
魔女のシークレットガーデン 飯島都陽子 山と渓谷社

とも、書いてあった。


冬至の日を境にやってくる
そのときが来るのを待ちながら、

わたしたちは、モッコウバラの
絡んだ古い枝を刈り、まとめながら、
ときおり、天を仰いだ。

やってくる再生の刻へ、
思いを馳せた。

娘は、魔女庭がだんだんと成ったら
また、やってくる、と言う。

fin

*********************


詩集 ウィンターガーデンのこと

誰もいなくなった庭で、ときどき
植物たちと、こころで会話します。

それはとても、しづかな時間で
町のアパートに住む、わたしは
こどものころに流れていた
密やかでたっぷりとあった、
時間を思い出します。

庭は、思いがけず
詩のような、掌編のようなものを
わたしに書かせてくれます。

それはとても、うれしいこと、です。

娘と魔女庭のハナシをした日。
スープとパンと紅茶の庭ごはん。
テーブルクロスは亡き母が遺したもの
引用させていただいた、
魔女のシークレットガーデン。
佐藤さとるさんの
誰も知らないちいさな国 も
この冬、再々再読していた。
秘密の花園も。

*老人とは、父のこと。蔓延する病にあまり会えなくなって、その間の寂しさはいかほどだったか、と今となって思います。後悔は時に、暗い穴となって、わたしを呑み込みますが、庭にいるときは、父を近く感じます。父は庭で倒れ、その姿をわたしと妹が見つけたのは、去年の10月のことでした。庭に立てばその姿を思い、でも、生きているんだ、と、土の温みにこころを奮い立たせます。

*わたしたち姉妹は、共に幼いころから、本の虫で、それは、父と亡くなった母が、本をたくさん与えてくれたから、です。ふたりとも、何を始めるにも、ハジマリには本を買い、読んでから、の癖があって、本屋巡回もふたり同様の趣味で、こころを休憩するさせるときは本屋さんへ行くのです。


🧺今回もフォトギャラリーから、イラストをお借りしました。こころの落ち葉を掻くような曲線を、こころに留めたくて。ありがとうございます。 しお🕯



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