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ライカと出会って30年 -私のライカ遍歴-

 趣味や好みは人それぞれ。車の運転が好きな人、遠出をするのが好きな人もあれば、車そのものを愛でる人もいる。写真の世界でも然り。
写真を撮ることが好きな人、撮るのも好きだがプロや有名人の撮った写真を見るのが好きな人、そしてカメラそのものが好きな人が厳然と存在する。読書だってそうだろう。紙や印刷の匂いのする本そのものが好きな人、見事な書棚に並んだ様を愛でる人もいるのであるから。
動画サイトを見ていると多くのライカ好きの動画がアップされている。中にそれを批判する動画もある。多くのライカの動画は、開封動画やカフェでコーヒーの横にライカを置いて撮影して悦に入っているという。例外なくレンズの解像度がいいとか画質が最高だとか言うけれど、実はそれほどでも無いと批判されている。カメラは写真を撮るものであって、多くのライカ動画は所有者の自己満足とひけらかしに過ぎないと批判されている。

理解できるが、そうかも知れない、だがそれだけでは無いんだなあ、と思いながら観ている。先年他界した父は若い頃カメラもオーディオも腕時計もオートバイも好きであった。一人息子の私は遺伝であろうか?一通り父が好きだったものに興味を示して自分もそれらを趣味とした。父はカメラはNikon党であり、若い頃に給料の数ヶ月分を費やして購入したNikonのレンジファインダーカメラ Nikon SPを所有していた。それでも二言目にはライカは凄いんだぞ!ライカ欲しかったなあ!ライカは家が買えるほど高いんだと子供の私に言って聞かせた。

私も高校を出てからNikonの廉価版のF 3桁シリーズから始まって、次いでバイト代を注ぎ込んでF4sを購入し、ズームは最初の2本セットだけでその後は全てニッコールの単焦点で揃えていた。その後少し回帰して完全機械式のNikon New FM2を買って落ち着いていた。この単焦点シリーズ数本とF4sを担いで、ヨーロッパ旅行を数回繰り返した。

Le Baux de Province レボーの石灰岩台地
Nikon F4sとおそらく180mmF2.8


大学を卒業して国家試験を受け、合格発表までの1ヶ月でまたもやパリとプロヴァンスの旅に出掛けたのだが、この時のパリ市内の独り歩きでヴァンドーム広場周辺に固まる中古カメラ店街で唐突にライカに出会ったのである。

それは小ぢんまりした店であったが、看板にはLeicaの文字があったかと思う。だからこそ勇気を出して入ったのだ。その店で十万円台で買えるライカとレンズがあった。
シルバーモデルのM4PとElmarit 90mmであった。なにせライカの知識ほぼゼロだから飛びついて購入した。90mmという画角は頻用出来ないが、それでも遂にライカを買った!という興奮を手にしたのである。

Leica M4PとElmarit M90
赤いライカバッジはアルミ板のようだった
金属ボディーはそこそこ精緻だ

ちょっと引っ掛かったのは、ボディーにもレンズにも Made in Canadaとあった事だ。これにはかなり参った。Germanyじゃ無いというショック。19歳で買ったモンブラン149にはMade in W-Germany 西ドイツ製と刻んであったのだから。
これが出た頃はライカは弱っていたのだ。MINOLTAと提携したりして迷走した。だが紛れもないライカ。既に高校生の頃からAEが当たり前であったから、露出計のないモデルに戸惑いもした。そこでセコニックだかのプラスチック製露出計をホットシューにつけたりもした。

セコニックの露出計をつけたM4P 美しくない

だがやっぱりこれはだめだと私は思った。美しくないのだから。プラスチックの露出計はどうもいけない。
つまり私はカメラに工業製品としての美しさを求めていたようである。所有していたNikonはアルミダイキャストボディーであるとか、真鍮であったが、その頃主流のカメラはプラスチックボディーに変遷していた。ライカは確かな金属製の重みがあり、冷たい手触りで緻密な工業製品の香りがした。

やがて、今ほど誰もがライカと言わなかった頃、日本の中古カメラ店でM2とバルナック型ライカを相次いで購入した。M3が人気の定番であったが、広角側のフレームが搭載されたM2を私は選んだ。人気のM3は相当傷んだものでも、そこそこの値がついていたが、M2は美品が手に入った。バルナック型に至っては、シャッター巻き上げレバーも無く、巻き上げノブだけであり、ファインダー内のブライトフレームも無かったが、カメラの、否、寫眞機としての精緻さに惹かれたのである。
戦前あるいは戦後の時代に生産されたものであるにも関わらず(ライカは製造番号から詳細に製造年月がわかる)、精密機械道具としての完成度を愛でたのである。

Leica M2, Summicron50mm
この軍艦部
この美しいボディーの質感たるや
こんどこそヴェッツラー ジャーマニーの刻印が!
シャッター音もまた静かで良い

M2もしくはバルナックのどちらかあるいはその両方を、近所のカメラ修理店にオーバーホールに出した。片方はシャッター布のグッタペルカ(ガッターパーチャゴム)の劣化があり、交換してもらった。

バルナック型 Leica3g


他社製外付けファインダーを付けて
軍艦部がたまらない
小さいけど精密

しばらくこの2台で撮り歩いていたが、近所の中古カメラ店で極上の美品M6が手に入った。ワンオーナーが大切にされてきた個体で、傷一つない状態であった。何より露出計が搭載されており、撮影がうんと早く楽になった。このM6は浪人生の頃に現役で発売されていたものだから、それほど古い感じでは無く、十分現在に通じる仕様であったこれを携えて学会などの出張でも暇を作ってスナップを撮った。

アルチザンアーチストの革ケースを付けて
レンズは合わせて購入したSummicron 35mm
沈胴式Summaron 3.5cm

やがて使い勝手からバルナックを売却して、M2とこのM6の2台を持ってヨーロッパなどの旅に出た。

中でも仕事上の講習会を受講するために、1人で行ったウィーンは楽しかった。M2に加えて、試し撮りのポラロイド代わりにすぐに映像をチェックできるRicho GR Digital IIIも持参した。

M2とSummicron 35, 50. Elmarit 90
ウィーンの中古ライカ店で購入したフードを付けて
このフードはかなり気に入った

この辺りになると、自分の生まれる前に生産されたライカを自在に使いこなせるようになってきた。35mmか50mmかという問題は現在もなお自分の中で決着が付いていない。この後の欧州横断の旅では、M2とM6の2台持ちに加えて、GR Digital IVを持参している。重さを我慢する若さが残っていた。

寝る前の所持金の勘定
レンズはさらにzeissの Biogon 28mmも増えている
夜霧の古都 ブルージュ

これがフィルムカメラの私の最後の長旅となる。ここから一旦全てのフィルムカメラを売却し、大きく方向転換してTREKのカーボン製ロードバイクを購入した。これからおよそ10年はライカ不在の日々が続く。写真はGRからやがてiPhoneで賄うようになる。時折懐かしく思うけれども、デジカメに進化したライカをなかなか購入する意欲が出なかった。

10年後、24年勤務した前職を退職し、今の大学勤務になった。退職金を使ってとうとうデジタルライカを購入することになる。長いライカ歴の中で初めて新品の現行ライカを購入したのである。デジカメ初号機のライカからはM11は凄まじく進化していた。デジカメではあるものの、距離計の操作感や過去レンズが全て使用できる事などを含めて、工業製品として十二分に鑑賞に耐えるカメラとなっていた。

M11とSummicron 35mm
M11 monochromeとSummilux 50mm

翌年にはM11 monochromeも追加購入した。これほどマニアックなライカもあるまいと思うが、手持ちで夜景が撮れるところなど驚異的である。

シンガポールの夜景

初めてM4Pを手にしてから30年。この小さなレンズと、そこそこ重たいが紛れもないライカのボディーは自分の残りの人生を豊かにすると確信している。

M11とSummicron 35

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