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ことば

子供の頃から、詩が好きだった。

シンプルな言葉の中に、言葉にならないことばを感じ、表現できるような気がしたから。

ことばって、どこから産まれてくるのだろう?


いろんな論理で、学問や理解が進んできた。
脳科学として、心理学として、哲学として、賢者の教えとして、ビジネス分野やコーチングとして、たくさん発信されてきた。

頭で、文章を読んで、その時わかったような気になるけど、すぐ忘れてしまう。

挑戦状を突きつけられるような、以下の聖書の言葉によって、私は自身をチェックする。

テモテへの第二の手紙 3

1しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。 2その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、 3無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、 4裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、 5信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。 6彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。 7彼女たちは、常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない。 8ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。 9しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、多くの人に知れて来るであろう。
10しかしあなたは、わたしの教、歩み、こころざし、信仰、寛容、愛、忍耐、 11それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、よくも続いてきてくれた。そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、主はそれらいっさいのことから、救い出して下さったのである。 12いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。 13悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。 14しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、 15また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。 16聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 17それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。

「常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することはできない。」

真理の知識に達している者たちは、どこにいるのか?
どんなことをしているのか?
どのような人生を歩んでいるのか?


さまざまな騒乱、悲しみ、戦争

この国と世界のこれからを思い、憂える。

愚かな戦争によって、町々は破壊されても、自然は、生命は、美しく健気に、雄大に存在していく。

その人以外の、自然が発言できるなら、人間社会と人間の営みを観て、なんて言うのか?

そこへ意識を向けない人は、どれだけ学んでも真理には到達できないと思う。

自分の命、生き方、なんのために生きるのか?

頭と心とを統合させていくことが、ますます必要な時代に生きている。

ことばって、どこから紡ぎ出されるのだろう??
その根源である、ことばなる創造主のみ声に、耳を傾ける敬虔な魂は、どこにいるのか?

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