見出し画像

夜の道

(2,781文字)

 若干オレンジ色を帯びた街灯が、道の両側を照らしている。
 街灯の間隔は20メートルほどはある。それが数百メートル続いている。街灯から街灯へ、光の島を渡り歩く。自分を俯瞰して見ているだれか他人になったような、想像をしてみる。
 次々と新しい世界に足を踏み出す冒険者ようだな、と考える。まるで自分のことではないかのようだ。その発想の強引さと幼稚さにうんざりはするものの、一方で、自分もまだ捨てたものではないな、というポジティブな思考も湧く。
 舗装路ではない。顔をあげれば視界のほぼ全てが人工物であるこの街のなかで、自然を残しているこの道こそが異質で不自然である。
 道幅はあるので車も通行可能だが、先ほどから車どころか、自分以外は人も通らない。この道の街灯は、今は自分一人のためだけにこの空間を照らしているのだ。
 落ち葉を踏みしめながら進む。昼過ぎに降った雨がまだ乾ききっていないことが、靴底を経由して足裏に伝わる感覚からわかる。
 未だ何者にも影響を受けていない瑞々しさのようなものが、今この瞬間のこの道に満遍なく積もった落ち葉の絨毯から、感じることができる。

 夜の街路は幼い、と思う。

 昼の明るく闊達な空気とは真逆の、暗く湿った雰囲気。しかし、そこには終末を予感させるようなものは何一つない。
 あるのは、必ず訪れるであろう明日に対する期待、そして高揚感である。いずれ始まるサバイバルに対して、生存を約束する気概を抱かせる。何も始まっていないのに、緊張感が感じられる。
 そんな張り詰めた空気の中を歩くのが、とても好きだ。この道を歩けば、明日にたどり着ける。新しい日を新しい自分で迎えるための準備としての、この時刻の散歩だ。

 向こうから見知らぬ少女が歩いて近づいてくる。お互い歩いているから、近づく速度は思ったよりはやい。年齢は10代後半だろうか。街頭の色に染まっているので分かりにくいが、白いワンピースを着て赤い靴を履いている。雨は止んでいるのに赤い傘をさしている。この道を散歩をするのに適した格好とはいえないが、不思議とこの道には馴染んでいる。まるで風景の一部かのように、溶け込んでいる。

 お互い声が聞こえる距離まで近づいたところで、お互い立ち止まる。
「こんばんは。おじさんは、初めましてだよね。お一人?」
 高く澄んでいるが、外見以上に大人びた声だった。
「こんばんは。初めまして。私は一人だよ」自然に、そう答えていた。
 少女はちょっと困ったような顔をして、
「一人っていうのは、ずっと一人で生きてます、という意味?」と問う。
「うーん、その捉え方も間違ってはいないな。でも今の君の質問への回答は、僕はこの道を一人で散歩しています、という意味で言ったよ」
「さみしくないの?」
「それは、一人で生きていることが?それとも、この道を一人で散歩していることが?」
「どっちも。というか、どっちも一緒だよね?」
「一緒かな…。僕の中では違うんだけどね」
「私の質問に答えていないよ」
「さみしいという感情が、他人に会って干渉されたい、という気持ちを表すものであるならば、僕はどちらの場合でもさみしくはないね」
「ふうん。じゃあ、私と一緒だね」
 少女は笑顔で言う。
「そう。君もさみしくないんだね。それはまあ、なによりだね」
 私も微笑んでそう返す。
「君は、今は一人かい? もう夜も遅いし、気をつけたほうが良いよ」
「そうだね。おじさんと別れたら、もう帰るよ」
「ひょっとして、僕は君と会ったことがあるのかな。以前に、どこかで」
「ひょっとすると会ったことがあるかもしれないわね。いつか、どこかで。でも、繰り返しになるけど、以前に会っててもそうでなくても、関係ないと思うよ」
 そこでその少女は大人びた笑みを浮かべる。
「おじさんは今日私と出会って、とりとめのない会話をしてからサヨナラするの。私のことはきっと、明日の朝起きたら忘れているわ。でもね、おじさんは、私に会ったことで、なにかしら影響は受けちゃうのよ。私は会った人の運命に干渉する力を持っているの」
「それは、ちょっとおっかないな。僕はなるべく他人に干渉されないような人生を歩みたいと思っているんだけど」
「私も同感だわ。でもね。私は、誰かに影響を与えるために生きているようなところがあるの。それってでも、私に限ったことではないと思うわ。貴方だってそうじゃない?」
 なかなか流暢にものを言うのだな、と思う。そして話が哲学的になってきた。
「そうだね。君にとっては、僕もおっかないのかもね」
「あら、そんなことはないわ。私はね、毎日同じことを繰り返しているの。だから、昨日も今日も明日も、何も違わないのよ。私は昨日は貴方をおっかないと思わなかったわ。だから今日も思わないし明日も思わないの」
「なんだか、禅問答みたいだね」私は少し微笑むが、少女の表情は変わらない。「でも、うん…。わかる気はするかな。それってかなり素敵な考え方だし、実践できていたら怖いもの無しじゃないかな。僕はとても憧れてしまう」
「そうかしら。憧れるのはおじさんの自由だけど、でもそれだと前に進むしか道がないことになっちゃうね」表情を変えないまま、少女は言う。「じゃあ、そろそろ本当にサヨナラしましょうか」
「そうだね。君と会って話ができてよかったよ。明日もこの時刻にこの道を歩いたら会えるのかな?」
「さあ、どうかしら。明日になったら私は一旦リセットされるから、その後どうなるかは本当にわからないわ。でもね。明日会っても明後日あっても、10年後でも20年後でも、ひょっとしたらずっと会えなくても、それって何も関係ないと思うわ。今日会っても会えなくてもね」
「うん、今ならなんとなくわかるよ。でも僕は君ほど達観できないから、意味がなくても何も変わらなくても、会いたいと思うことがあるんだ」
「会いたい時に会いたい人のことを想えば良いのよ。それだけで会ってることと同義なのよ」
 少女は、少しだけ微笑み、少しだけ目を細め、少しだけ首を傾け、少しだけ口角を上げる。魅力的な笑顔だ。
「さようならおじさん。話せて楽しかったわ」
「ぼくもだよ。どうもありがとう」

 少女は歩き出す。僕も歩き出す。
 出会った時と同じ速度で、お互いの距離が離れていく。
 僕は振り返らないし、少女もきっと振り返らないだろう。
 僕は明日に向かって歩いているけど、彼女は違うかもしれない。
 振り返ればこの道も変わらない。街灯の様子も、落ち葉の湿り気も、歩いた時に脚に伝わる感触も。
 僕はこれからも誰かに影響を与えるけれど、その誰かにとっては僕は僕以外の何者でもないのだろう。でも今の僕はさっきの僕とは違うし、明日の僕も今の僕と比べたら別人だろう。

 夜の道は幼い。この道だけは、いつまでも変わらずあり続けたら良いのに。そう思いながら、家路につく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?