見出し画像

『サイバー・ジェロントロジー』 7

2038年8月1日

メタバース・ユニバースが正式に稼働を開始した。このプロジェクトの中核を担うのは、超高性能人工知能ENMAであった。ENMAは、65歳以上の国民の過去の人生を詳細に分析し、彼らの未来を決定する責任を負っていた。ENMAの判断は3つの選択肢に分かれる。生存許可、メタバース・ユニバースへの移行、そして生命の終焉。ENMAは可能な限り生存を優先し、それが不可能な場合にのみ他の選択肢を検討する。

東京の移行センターには、高齢者たちが不安と期待を抱えて続々と集まっていた。メディアが熱心に報道する中、田中隆もその一人だった。彼はかつてエンジニアとして名を馳せ、現在は引退生活を送っている。

田中は少し緊張した面持ちでセンターの中に入った。受付で手続きを済ませると、スタッフに案内されて審判室へと進んだ。審判室は未来的なデザインで、壁には柔らかな光が漂い、リラックスできる雰囲気が作られていた。中央には透明なカプセルが鎮座しており、その隣にはENMAの端末が設置されていた。

「田中さん、こちらへどうぞ。」スタッフが優しく声をかけた。

田中は深呼吸をしながらカプセルの前に立った。カプセル内部は静寂で、柔らかな光に包まれていた。彼はゆっくりとカプセルに横たわると、上部のディスプレイにENMAの顔が映し出された。ENMAは穏やかな声で田中に話しかけた。

「田中隆さん、これからあなたの人生を評価し、未来を決定します。リラックスして、すべてを私に任せてください。」

田中はENMAの言葉に安心感を覚え、目を閉じた。ENMAは田中の人生のすべてのデータを読み込み、評価を開始した。彼の過去の行動、貢献度、家族との関係、社会への影響すべてが点数化され、総合的な評価がなされる。

ENMAの評価基準は厳格であり、次のように定められている。80点以上は生存許可、60点から79点はメタバース・ユニバースへの移行、60点未満は生命の終焉。これにより、国の高齢化問題を根本的に解決することが期待されている。

しばらくの沈黙の後、ENMAの声が再び響いた。

「田中隆さん、あなたの総合評価は85点です。これは非常に高い評価です。あなたの貢献と行動を称え、生存を許可します。現実世界で新しい生活をお楽しみください。」

田中は安堵のため息をついた。彼はカプセルから降り、スタッフに支えられながらセンターを出た。新しい生活の始まりに、彼の胸には希望が満ちていた。

次に審判室に入ったのは、斉藤明子、75歳の元教師だった。彼女は過去に多くの生徒を育て上げ、教育界に大きな貢献をしていた。しかし、彼女の私生活は孤独で、家族との関係も疎遠になっていた。

斉藤もまた、ENMAの前に立ち、カプセルに入った。ENMAは彼女の人生のデータを読み込み、評価を開始した。彼女の教育への貢献は高く評価されたが、私生活での孤立や家庭問題が影を落としていた。

「斉藤明子さん、あなたの総合評価は75点です。あなたの教育への貢献を称え、メタバース・ユニバースへの移行を許可します。そこで新しい生活をお楽しみください。」

斉藤は複雑な表情を浮かべたが、新しい環境での生活に一縷の希望を見出していた。彼女はカプセルから降り、スタッフに導かれてメタバース・ユニバースへの移行手続きを受けた。

斉藤明子はメタバース・ユニバースへの移行プロセスを受けるため、専用のルームに案内された。ルームは穏やかな音楽と柔らかな照明に包まれ、彼女の不安を和らげた。移行プロセスが開始されると、斉藤の意識は徐々にデジタル世界へと転送されていった。

メタバース・ユニバース内で目を覚ますと、彼女はかつて夢見ていた理想の学校の中にいた。そこには、かつて教えた生徒たちのデジタルアバターも存在し、彼女を歓迎した。

「ここが新しい生活の場なのね...」斉藤は微笑みながら、新たな人生に一歩を踏み出した。

その後、山田一郎、68歳の元企業家が審判室に入った。彼は一度は成功したが、その後破産し、多くの人々に迷惑をかけた過去があった。彼は恐る恐るカプセルに入った。

ENMAは山田のデータを読み込み、評価を開始した。彼の成功と失敗、そして他人への影響がすべて点数化された。

「山田一郎さん、あなたの総合評価は45点です。あなたの過去の行動により、生存許可は困難と判断しました。次にメタバース・ユニバースへの移行も許可されません。」

山田の意識はカプセルの中で静かに遠のき、生命の終焉を迎えることとなった。彼の最後の瞬間は静かであり、彼の過去の行動に対する反省とともに命を終えた。

ENMAの判定基準によって、生存もメタバース・ユニバースへの移行も許可されなかった者たちは、生命の終焉を迎えることとなった。これは最も過酷な選択肢であり、彼らの過去の行動と社会への影響が大きく評価された結果であった。

その一人に、村田信也、80歳の元政治家がいた。彼は過去に多くの汚職事件を引き起こし、多くの人々に不幸をもたらしていた。彼の評価結果は明らかに60点を下回っていた。

「村田信也さん、あなたの総合評価は35点です。過去の行動により、あなたの生存を許可することはできません。生命の終焉を迎えることになります。」

村田はカプセルの中で静かに涙を流しながら、その言葉を受け入れた。彼の意識は徐々に遠のき、静かに命を終えた。

メタバース・ユニバースの稼働開始から数週間が過ぎ、高齢者たちの新しい生活が始まった。ENMAによる審判は、社会に大きな影響を与え、多くの議論を巻き起こした。賛否両論の中で、Xの決断は揺るがなかった。彼は、この過激な施策が日本を再生させる鍵であると信じていた。

田中隆は現実世界で新しい生活を楽しみ、斉藤明子はメタバース・ユニバース内で新たな道を歩み始めた。彼らのように、多くの人々がそれぞれの未来を受け入れ、新しい時代を迎えていた。

ENMAの審判を受けるために、次にセンターに訪れたのは、佐藤花子、67歳の主婦だった。彼女は長年家族を支え、地域社会にも貢献してきたが、特筆すべき功績は少なかった。

花子は不安と期待が入り混じる中、カプセルに入った。ENMAは彼女の人生を評価し始めた。彼女の家族への献身と地域社会への貢献が評価され、最終的な結果が出た。

「佐藤花子さん、あなたの総合評価は78点です。メタバース・ユニバースへの移行を許可します。新しい生活を楽しんでください。」

花子は目を閉じて移行プロセスを受け入れ、デジタルの世界で新たな生活を始めた。彼女は美しい庭園の中で、家族と再会するという新しい現実を享受した。

ENMAの審判制度は多くの議論を巻き起こしながらも、高齢化社会の問題に対する一つの解決策として機能し始めた。生存を許可された者たちは現実世界での新しいスタートを切り、メタバース・ユニバースへの移行を選ばれた者たちはデジタル世界で新しい人生を楽しんだ。

生命の終焉を迎えた者たちの存在は、社会に強いメッセージを残した。過去の行動が未来を決定するという現実は、多くの人々に自己を省みる機会を与えた。

日本社会はこの新しいシステムを受け入れながら、徐々に変化していった。ENMAの存在は、新たな倫理観と価値観をもたらし、人々の行動に影響を与え続けた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?