【関西人が征く】 #11 島根・浜田 「はなび」
浜田駅を出て徒歩数分。
居酒屋「はなび」のカウンターで、私は固まっていた。
「なに? このアジフライ?」
* * *
浜田といえば。
ダウンタウンの浜ちゃん。
少し古いが、政界の暴れん坊、浜田幸一氏。
これも古いが、歌手の浜田省吾こと、はましょう。
残念ながら、彼らに知名度で大きく水をあけられている裏日本の漁師町、浜田。
しかし、侮ってはならない。
この街は、全国に名を馳せるスターを輩出しているのだ。
なんといっても、浜田高校出身の梨田昌孝氏。
(ほかにも、ソフトバンクホークスの和田毅氏、浜田商業出身の佐々岡真司氏などいるのだが(私の早逝した従兄弟は、浜田商業で佐々岡氏とバッテリーを組んでいた)、それは紙数上、省く)
梨田昌孝氏といえば、日本ハムファイターズを日本一に導いた監督で、現役時は今は亡き近鉄の強肩捕手として名を馳せていた。
その梨田氏の現役最終打席。
あの、日本中が熱狂した、1988年10月19日。
10.19。
それは、本来なら、なんのことはない消化試合であった。
ペナントレース最終盤。
ロッテオリオンズ対近鉄バファローズのダブルヘッダー。閑古鳥の鳴く、ロッテの本拠地、いつもの川崎球場のはずであった。
ただ、この日は様相が違っていた。
近鉄の宿敵、西武ライオンズは全日程を終えていた。
秋山、石毛、田辺、辻、清原、デストラーデなどの強力な打撃陣を擁し、ダブル渡辺、郭泰源、東尾、松沼などの他球団ではエース級の投手陣を惜しげもなく投入する、名将中の名将、森監督率いる獅子軍団。
まさに、エリート集団であった。
対するは、前年、リーグ最下位に沈んだ近鉄バファローズ。
その近鉄に、残り二試合で、なんとマジック2が点灯する。
つまり、ロッテとのダブルヘッダーを連勝すれば、あの西武を倒して、優勝できるのである。
近鉄を率いるのは、この年に就任した仰木彬監督。
シーズンはじめ、バファローズは快進撃を見せる。
だが、主力選手たちが怪我で次々と離脱してしまう。
満身創痍で追い詰められる、近鉄。
そこに助っ人ブライアントがやって来る。
極端なアッパースイングで移籍元の中日では散々な評価であったが、シーズン途中の加入ながら34本の本塁打の大活躍。
だが、その彼に、試合の直前、故郷のアメリカから至急の連絡が入る。
——父危篤、すぐ帰れ。
しかし、ブライアントは言い放った。
「親父、すまん。
ここまで戦ってきた仲間を見捨てるわけにはいかない。親父には、試合が終わるまでもう少し待つように伝えてくれ」
そういって彼は、あの川崎劇場に立った。
* * *
私は、アジフライの分厚さに呆気に取られていた。
ゆうに三センチはある。
サクッと歯を入れると、プリップリッのアジがお出迎えしてくれる。
日本一のアジフライに出会った瞬間であった(私、調べ)。
さすが漁師町、浜田。
大将によると今朝、水揚げされたアジとのこと。
いつもはないよ、とポツリ。
綺麗な店で万人向け。
あっ、アニマル濱口さんも浜田出身だったわ。
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