なぜ死んでおかなかったんだ

ものすごく死にたい。
理由は仕事で落ち込んだからだ。しかし全く心無い言葉ではなかった。上司に理由を説明したし、改善も謝罪もやり方はわかった。
失敗が糧になることは知っている。こういう経験はありがたい。むしろ今までこういう気持ちにならなかった方が社会人としてどうなんだという感じだ。
だがこの落ち込みは、引きずる落ち込みだと予感している。
例えるなら数年前に駅でぶつかった知らない人間にされた舌打ちの記憶である。もっと酷いことをされたことがある、舌打ちなんて何十年生きていれば何回も聞いたことがある。だけど、あのときにあのホームで、あの精神状態でされた舌打ちだけは、いつまでも新鮮に自分の感情を揺さぶる。そういうタイプの記憶だ。
舌打ちは怒りを呼び起こすが、今回は落胆である。おそらくわたしは数年後この記憶を思い出しても羞恥と何もできなかった歯痒さと落ち込みによる死にたさを持ち続けるだろう。
言われたことが頭の中に残り続け、申し訳なさとなぜ自分が生きているのわからなくなる。

そういうとき、なんで過去に死んでおかなかったんだと後悔する。
人生で感じた不愉快の総量は、確実に愉快を上回っている。
死にたくなることなんて過去に何回もあったのに、あのときの私がちゃんと死んでおかなかったから、また同じように落ち込んで死にたくなっている。なんの成長もない。

私の生きる意味とはなんなのだろう。死ぬことが周りを悲しませるというのは周りありきのことだ。答えにはならない。
生きていれば必ずいいことがあるというが、前述の通りわたしは確実にいいことよりも悪いことのが多い。
悪いことが起きている時は頭がこのままのめり込んでしまうのではないかというくらい落ち込んで、申し訳なさの罪悪感が身体中に巻き付く。申し訳なさとは私の存在によって迷惑をかけられた全ての人間に適用される。助けてください、と祈っても状況を変えるのは私にしかできない。一瞬でもいいから止めてくださいと思っても、私が今生きていること自体が今この瞬間も誰かの迷惑になっている。なんだそれは。
そんな本当に最悪な気分が1ヶ月のほとんどを占めている。不愉快以外のなにものでもない。仕事をしてるときはもちろんだが、家に帰っても自分の存在意義と向き合うことは止まらない。
逆にいいことが起きている時というのは、例えばおもしろい漫画を読んでる時とかディズニーランドにいる時とか、上記のような不快なことを考えていない時である。だけど、死にたい時に「なんで死ななかったんだ」と思うことはあっても、楽しい時に「ああ!生き続けててよかった」とまでは思えてるかわからない。
想像ではあるが死ぬ、ということは0になることだと思う。0になって、何も感じなくて済むようになり、死にたさとか申し訳なさを感じずに済むのならば、上記の愉快さ楽しさを犠牲にしても十分お釣りがくると思う。じゃあなんで死なないんだ?わたしは。
それくらい私の人生は死にたさの比重が大きい。一瞬生きててよかったと思う時があったとしても、今この瞬間に私が死にたいのならばそんな記憶にはなんの意味もない。むしろなんで死ななかったんだと自分を責める材料になるだけである。

ではなんで今死んでいないのか?死んだ方がいいとこんなにわかっていながらも、倫理とか周りとか20何年生きてきて染み込んだ道徳とかが自死を悪いことだとしている。
絶対に今死ぬのが一番お得なのに。20何年生きてきて、楽しかった時より苦しい時のが多いのだからこれから先の人生もそれは変わらないだろう。
そもそも脳の構造が楽しいことをちゃんと楽しいと認識してくれない。人の視線が怖いし、何を話したらいいかわからなくて怖いし、持ち前の躁を発揮しつつテンション上がって大勢の人と別れた夜には「なんであんなこと言ってしまったのだろう」と後悔が止まらない。人生のデフォルト状態が不愉快である。何が楽しいんだこれ。
というか普通の人はどういう思考回路をして生きてるんだ。死ぬという言葉が忌避されるということは、他の人は死にたくないと思って生きているはずである。何が楽しくて生きているのか、週5で働いている社会人がどうして死なずに生きているのか、その根底となる糧をぜひ教えて欲しい。

最悪な気分になるたびに、死にたいと思う。無駄である。人生で何回死にたいと思わなければならないのだ。
あまりに小さいあるかもわからないいいこととか楽しいことを考えながら生きていくのをやめたい。そんなものが効かないくらい死にたいという感情はでかい。申し訳なさは私の生きてて楽しいという気持ちで精算できない。だが私が迷惑をかけた人に「では責任をとって死にますね。ご覧ください」と言っても別に喜ばれない。どうしたらいいんだ。どうしたら償えるんだ。なんでこんなこたを考えないといけないんだ。
死んだら全てが解決する。日々の楽しいとか「まだ生きてみるか」なんて言葉ではおっつかないくらい私の人生は不愉快で辛い気持ちの時の方が多い。マイナスが多量にあるなかで、全てを0にできるならそんないいことはない。
明日もきっと絶対死にたい。確信がある。
だが、わたしはきっと今日も寝て明日起きるだろう。早くどうにかしてくれ。

今度ものすごく死にたくなったら、もしくは今度また今日のことを思い出したら、なんで前すごく落ち込んでた2024年6月3日に死んどかなかったんだろうと思うのだろう。

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