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とある古道具屋スタッフの日記

現場は栗田にあるアパートメントの2階。
往路、事前に下見をしていた物件ではあるものの、一度お断りされているということでスタッフとしても緊張感のある車内になった。

権堂町にあった料亭”三喜亭(さんきてい)”

到着し、ご挨拶をしてから、改めて今回レスキューをさせていただくものと対面確認をした。
この物件の特徴的な点としてはやはり色鮮やかなお皿の数々と、漆器、酒瓶。
これらは元々奥様のご実家で営まれていた”三喜亭”という料亭で使っていたそう。

「え、どのあたりでやられていたんですか?」

「あのね、権堂アーケードってあるじゃない?あの、今は広く駐車場になっているところなの。」

「そこって富貴楼のところですよね?」

「そうそう、富貴楼さんができる前はうちの料亭があって、土地と建物ごと売りに出したのかなぁ…。」

権堂アーケードといえばR-DEPOTからすぐ近くにある商店街。
今でこそややシャッターも目立つようになっているものの、かつては多くの料亭があり芸者さんがいたときいていた。
まさかここで、その料亭を営まれていた親族の方に出会えるとは。

ここにあるものの多くもかつての煌びやかな世界の中で活躍していたのだろうか。
そんな想像をふくらましながらさらに色々な物語との出会いを探り始めた。

下駄、花束、そして顔パス。

さて、ぐるっと見まわして持参したコンテナへと入れていると、
目に留まったのはなんだか使われていないようなやけに綺麗な下駄。


あ、名前書いてある。もしかしてその下の数字って何足目てきな…?

「この下駄って…?」

「これねぇ〜!おじいさん(奥様のお父様)がね、デートの時にはいたのかも。」

(デート??)

「ほら、うちねおじいちゃんが婿入りしてて、おばあちゃんは料亭の長女だから超お金持ちでしょ?」
「で、おじいちゃんは着物の洗い張りのお店の5男でさ、結構適当に育てられたのよね。」

(その2人、どう出会う…)

「でね、なんかお見合いでいい感じになったみたいなんだけど、お嬢様とデートだからさ、おじいちゃんはね毎度新しい下駄を用意したんだって。」

「毎回新しいのを?」

「そうそう、それで、その家のおじいちゃんが庭にある花を刈って、持たせてさ。」
「毎回新しい下駄に花束を抱えて待ってたんだって。」

なんだそれは。
いや面白いな。
デートってどのくらいの頻度で行ったのだろうか。
庭に咲いてた花、沢山あったのかな。
ちょっと気になる。

突っ込みたいところが多すぎてややよくわからないが、
兎も角、そうやってお嬢様な彼女を射止めたのだろう。
(毎回花束って、おじいちゃんのおじいちゃんキザだな。)

しかし、そこで話は終わらなかった。

「それでね、おじいちゃんにおばあちゃんとのデートってどっちがお金払ってたの?って聞いてみたら」
「払ったことないっていってるのよ。」

「え、払ったことないってどういうことですか?」

「ほら、おばあちゃんが超お嬢様じゃない?」
「だから、権堂の劇場とか、お店とか基本顔パスだったんだって。」

(えぇ?そんな世界線ある?)
衝撃が強すぎて一瞬思考が止まりかける。

顔パス…。

丼と弁当

続いて見つけたのは、テーブルの上にのっていた丼。
外側は朱色。上に向かってスッと広がりのある品の良い器である。
しかし、これだけ沢山あるとさすがに持ち帰り切れないので厳選すべく見ていたところ。

「この茶箱もいける?」

「そうですね、行けると思いますよ。」
(あれ?重い?)
「あ、何か入ってますね。」

「それ、そこのテーブルの上のと同じ丼だわ。」
「出しちゃった方がいいよね?」

「いいですか?ありがとうございます。」

中には更に多くの丼が入っていた。
料亭らしさが出ていると思う一方で、料亭でも丼が出るのかとも思う。
ちょっとだけ親近感が湧いてきた。

「どんな丼を出していたんですか?」

「かつ丼って言ってたかな~?」

(お腹すくなぁ。)
「かつ丼って料亭でも出るんですね。」

「他にも出てたとは思うけどね。」

なるほど、食べてみたかった。
そして、やはりそこで登場するのはお嬢様。

「こうやって、料理を出していると食材が余るじゃない?」
「それを次の日のお弁当に入れてもらっていたらしいんだけどね。」
「他の学生さんたちは普通のお弁当なんだけど、おばあちゃんのは凄く豪華にだったみたいで。」
「もう恥ずかしくって嫌だった!!っていっていたのよ。」

(料亭で出ていた食材だもんなぁ。)
(というかおばあちゃんの反応乙女、可愛いな。)
「どんなのが入ってたんですか?」

「例えば、鰻とか。」

おいしそうな話だ。
羨ましいが、当の本人からすれば確かに恥ずかしさもあったのだろう。

改めて丼を見る。
数々の人をもてなし、芸者さん達との遊びを楽しんでいた人たちに使われていたであろうこの丼。
もしかしたら、私の作ったちょっぴり焦げたとんかつですら、少し特別な気分に浸らせてくれるのかもしれない。
そして余りが出たら、次の日には思い切ってとんかつごと白いご飯にのせたお弁当でも作ろうか。
きっとお弁当を開けたときには、大きな1枚のとんかつは少しの恥ずかしさと共に、
私の胃袋を満たしてくれよう。

時代や立場は違えど、どこかでおんなじ気持ちになれるかもしれない。
そんな想像が頭を廻った。

まだまだ続く、お嬢様ワールド

さて、”三喜亭”のお嬢様は現在の清泉女学院中学校に通っていたのだという。
当時も今と同じ制服であれば、革のような手持ちのカバンとグレーのジャンパースカート。
顔もわからないが、きっと凄く似合っていたと思う。
そんな事を考えつつコンテナに詰めていると、
もはや何か物が引き出した物語というわけではないがこんな話もでてきた。

「学校でさ、授業が終わって下校するじゃない?」
「門を出たら人力車が待ってたんだって。」

確か、権堂アーケード付近に人力車が停まっている場所があったとは聞いたが、
まさかこのためだったのだろうか。凄いな。え、違う??

何がともあれ、滲み出る ” 黒いリムジン感 ” 。
まさか職場のこんなに近くに、こんなに華やかな物語が眠っているとは。

ちなみに料亭は昭和40年代に閉店したのだそう。
奥さんは閉店した後に生まれたので見たことがないというが、ご兄弟は料亭を見たことがあったり、
おばあちゃんほどではないとは思うが、少しきらきらとした世界を知っているのだという。

いつか、ご兄弟の方々にもお話を伺いたい。
そんな想いを抱きつつ、詰め終わったコンテナと沢山の家具や道具と一緒に軽トラに乗り込んだ。


レスキューを続けていたら、これからもこんな出会いが待っているのだろうか。
きっとこれも一つのレスキューの醍醐味。
こうやってモノと一緒に出てきた物語も伝えていけたら、と、そう願う。


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