ひきこもりに自律はない #2

タイトル通り、以前書いた記事の続きです。



前回の記事では
「ひきこもりの自律は当てにならない」
というのが私の意見でした

タイトルの強さに関心を持たれたのか
この意見は色んな人たちに読まれて
それなりの「スキ」をいただくことが出来ました

今もこの意見に大きな変化はありませんが
思いのほか(私の中では)注目された記事なので
「せっかくだからもう少し深く考えてみるか」と思い、この記事を書きました

では、本題に入ります




前回の補足


まず、前回について補足したいのですが
「ひきこもりに自律はない」という意見は
私の意見であると同時に、社会から見ればそういう認識になるだろうと思って書いたものでした
「色んな人が目を通してくれたのなら私の考えは大きく外れてはないのだろう」と勝手に思っています

ひきこもる人たちは
「一般的な価値観からズレている」というふうに見られていると思いますし、実際多かれ少なかれそういう面もあると思います

もしも、自律の力に則り
理性で行動や人生の方向性を判断する場合
「社会との関わりを断つ」というのは、理性的な判断とは言い難いと思います

カント自身は
「困っている人は理由なく助けることを当然と考えることが道徳法則である」としていたので、ひきこもることで困ってしまう人(家族など)がいるのにひきこもりを継続するのは、あまり道徳的(自律的)ではないと言えると思います


ひきこもりにも例外はある


しかし、上の例で言えば「家族が困っている」としても
必ずしもひきこもりから脱するだけが、家族を助けることに繋がるとは限らないですよね

「ヤングケアラー」が代表的ですが
家族が困っていることを解決するために
仕方なく家にいる人もたくさんいると思います

この場合は誰かが自律の力、あるいは道徳に基づいて
彼らを助ける必要があります(ひきこもりとヤングケアラーは似たような状態でも問題としては別物ですが)


「自律の力がある」パターンについて


もう1つ例外があります
それは、「自律の力があるけどひきこもった人」です

本当はこのパターンについて
前回の時点でも考えていたのですが
記事で書かなかったのは、単純に私が自律の弱い自己中人間だったからです

しかし、この記事を読んでくれた方から
「自律の力があるからひきこもる人もいる」
というコメントを頂いたので、以下のコメントを前回の記事に書きました


実は、この記事を書いた後も自律について考えていたのですが

貴方の言う通り自律心が高いからこそひきこもる可能性も十分にあると考えを改めました

自分の価値観や自律に対して現実社会のギャップに戸惑ってしまうこともあるんじゃないかという考えを持ったからです
(半分自分のことですが)

これはよく言われる完璧主義のようなものかもしれません

理想の人間像や社会の在り方というものが心の中にあるけど
そこに辿り着くための途方もない努力やどうしようもない事実に打ちのめされてしまう人もいるんじゃないかと私も考えています

社会への複雑な感覚・感情と、それに対して人間はどうすれば良いのか?
そういったことを、本当は考えなくてはいけないことなのかもしれません

前回記事のコメント欄に私が投稿したものです

考えがまとまりきらないまま走り書きをしてしまい
何が言いたいのか少し曖昧な文章ですが
最も書きたかったのは「現実とのギャップ」に自律が影響されるという可能性もあるということです


自律を破壊される可能性


経験と理性に基づいて自律を作るとなると
理性より経験に左右されることは避けられないと思うのですが
ひきこもりになってしまう人は経験によって自律の力が弱まる可能性もあります

それはどういう経験かというと
「社会や集団から排除・拒絶された」という経験です
平たく言えば人間関係のトラブル(いじめ等)になります

単純に人間関係がうまくいかないだけなら
自分も相手もお互いに尊重し、関係を修復もしくは再構築することが出来る……かもしれません

一方、いじめの場合は簡単にはいかないでしょう
もしいじめられる原因が本人にあったとしても、仲間はずれや暴言・暴力によって被害者の自律が破壊されることは容易に想像できます
「誰かが何らかの理由で気に食わない相手を攻撃し排除する」
という経験をした人は、自分や相手の価値観や自律を疑わずにはいられないと思います

どんな原因があるにせよ、それを解決するために暴力や精神的な苦痛を与えてはいけないのですが
現実にはこれらの手段を使って何かを排除したり変更したりしようとする人たちが確かに存在しています

理想を言えば、いじめの加害者の自律を改善できるよう促すのが良いと思います(場合によっては被害者にも改善が必要なこともあるでしょう)
しかし、おそらく実際にはどうしても攻撃的になったり排除しようとしてしまうのが人間なのでしょう
成人ですらそういうことが起きるのだから未成年では当然の結果かも知れません


自律の力は奪われてしまう


被害者がいじめの原因に心当たりがある場合
「自分は人に攻撃されても仕方ないんだ」と感じてしまうでしょう
原因の改善が難しい場合は無気力に襲われて自律の力を失ってしまっても不思議ではありません

そして、心当たりが無かった場合でも
「自分はおかしなことはしていないはずなのに拒絶された」という情報しか得られず、自律の力を信じなくなる可能性が高いと思います


結果、ひきこもりに自律は…?


ひきこもってしまう人は
「自律の力が弱いからひきこもりになる」パターンと
「自律の力がひきこもることで弱ってしまう」パターンが有り

どちらにせよひきこもりが長期化することで
「ひきこもりに自律はない状態になってしまうのではないか」と、今は考えています



最初はもう少し色々と書こうと思っていまいたが
話が突飛…というか極端な意見だったので少しずつ書き進めていこうと思います

なので、とりあえず今回はこの辺りで終わりです

ではまたいつか


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