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詩 『早く家へ帰りたい』

たしか東京駅近くの丸善だったと思う。詩集の棚の前に立って、背表紙を眺めていた。

その頃、僕は詩を書いていなかった。東京で働きだして六年あまり。結婚もしていた。たぶんもう詩は書かないだろうと思っていた。それでも書店に入れば、なんとなく習慣のように詩の棚を眺めるのだったけれど。

ふと一冊の詩集に目がとまった。

『早く家へ帰りたい』

サイモン&ガーファンクルの曲から引用したと思しきタイトルに興味をひかれた。手に取り、最初の詩を読んで、そのまま最後まで読み切って、レジへ持って行った。

家に帰って、妻に「これ、今日買った本だけど」と言って渡した。彼女は本を開くと、やはり一度も顔を上げることなく最後まで読んだ。僕は彼女が行をたどる目の動きや表情の変化を、その間ずっと見ていた。

彼女は本を閉じると「途中で読むのをやめたら、なんだか悪いような気がした」と言った。それは、そのまま僕の感想でもあった。

途中で読むのをやめたら悪いような気がする、そんな気持ちにさせる読み物がいったい世の中にどれくらいあるだろう。

三歳で突然亡くなってしまった愛児について綴った詩集は、「本当のこと」だけが書かれていた。本当に起こったこと、本当の気持ち、それらを伝える本当の言葉。それが読む者の気持ちを強く引きつける理由のように思われた。

久しぶりに「詩を書きたい」と思った。何を書こうというあてもないし、自分にこんな表現が可能だとも思わなかった。それでも、自分のなかのどこか遠くから僕に書かれるべき何かが身を潜めてじっとこちらをうかがっているるような、そんな気がした。

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年明けの都立大学駅前。

改札近くでの待ち合わせ時間にはまだ一時間ほどもあったが、念のためと思って辺りを見渡してみた。

当たり前だが、その人らしき姿はなかった。そんな時間に行かずにいられなかったのは、高校生の頃に読んだ現代詩文庫に、その人の尋常でない時間に対する几帳面さが多少誇張された文章で書かれていたのが印象に残っていたからだ。

数週間前、僕はその人に二十ほどの詩編とその人が主宰する出版社で詩集を作りたい旨を伝える手紙、そして返信用の封筒と切手を同封し送っていた。

その時に僕が書いていた詩は、それまでの自分が書いてきたものとは少し違うと感じていた。初めて「いま書いているものは詩だといってもいいのではないか」と思えた。

詩集作りをぼんやりと考えはじめた頃、思い立って詩集『キリンの洗濯』の発行元である「あざみ書房」を検索し、主宰がその人であることを知った。

『早く家へ帰りたい』を読んで以来、僕は熱心な高階杞一読者だったし、その人についても高校時代に現代詩文庫などで読んで、他のどの詩人とも似ていない作風と、ユーモアと淋しさがないまぜになった独特の作品群に魅かれていた。

自分が詩集を作るならここしかないとも思ったが、それ以上に、その人に会ってみたかった。会って、その人の詩や『キリンの洗濯』ついて話を聞いてみたかった。

もう一度念のためと思い、約束の三十分前に改札にまた行ってみた。

すると、

やはりいたのだ。

現代詩文庫に載っている写真から数十年が経過していたが、すぐにわかった。

特徴のある黒縁のめがねをかけたその人が、雑踏のなかでひとりじっと前をみつめていた。

やがて僕の視線に気づいたのだろう。目が合った。

その後、幾度となく接することになる藤富保男の笑顔に向かって、

僕は意を決して歩きだした。

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