やる気を飛ばす
やる気って風船みたいだな。
そう思って電車に乗って、インターン先へ向かっていた。
ここ最近就職先を決めてからというもの腑抜けている。(辞退とかの手続きはよやれ)
腑抜けているは語弊がある。
実際アウトプットのためにnoteに毎日お気持ち表明し続けているし、それなりに趣味のイラストもやっている?し、自分の頭の中にある物語のアイデアも文字にして保存している。
しかし、まだ自分にはインターンという処理すべき重荷があった。
自己成長のために必要なことだとおもっているし、なんか、あの企業の人たちみんな良い人すぎて心地がいい。(それが心地悪い時もある。)
しかし、このまま何も得ず、役立たずにインターン生と社員と飲み会だけして、
「やめます!」
というのもおかしな話だ。
無責任で気持ちが悪い。
実際に音信不通でフェードアウトする学生もいると僕の面倒を見てくれている社員の人は言うが、音信不通のフェードアウトなんてとても憧れてしまうよ。
むしろこれだけ面倒見てくれてるのによくもまぁのうのうとフェードアウト出来るものだ、清々しくて気持ち良いよ!最高に滑稽である。
とまぁ、自分もそのくらい清々しく縁を切ってしまえたら楽になれるのになと鬱に浸る。
あの人らのために恩を返してから辞めたいものだ。
しかし、やる気が出なければ意味がない。
これまでの僕は、テレアポでアポなんて取れていないし、社員の人にはお荷物と思われてそうだし、他のインターン生と比べてしまい心もボロボロになってしまっている。(自分はそう感じとっている。)
やる気が1ミリも湧いてこない、申し訳ないことに。
考えていて、恩を返したいからインターンへ行こうと思う気があって、なんか、適当でも架電リストを制作し、席に着けば黙々とテレアポを開始、気づきや課題点をメモして振り返って帰る。
あれ?やる気無いわけじゃなくね?
じゃあやる気は「湧く」と言う表現はおかしいか?
そもそも「湧く」とは
意味から察するに、0から1になることを指していると考えられる。
とするならば、やる気が湧いてないと言う自分の表現はおかしいものかもしれない。そもそもやる気だのモチベーションだのは0から吹き上がって100になるわけではないのだし、自分の表現は間違っていると思う。
じゃあこう言う表現はどうだろうか?
物事に対するやる気というものは膨らませる前の風船のようなものであってこれを1とする。
(そもそも0ならばその物事に対して興味関心がないのだから。)
それを準備や気の持ち用、行動と言ったことを通して膨らませていくイメージだ。言い換えれば空気を入れていく。膨らませたやる気を夢や将来に向かって飛ばしていく。
もちろん一回飛ばすだけでは終わらないだろう。
風船は空気が抜けてすぼんでいくものだから。
だからこそまた空気を入れて飛ばすのだ。
しかもそれは人によって空気が抜けるタイミング、飛び上がる速度も違うのだ。
やる気を吹き込む
うん、こっちのイメージの方がしっくりくる。
今回この考えを通して、よりやる気というものが明確に形付けできた気がしている。
形さえ明確していれば、あとはそれに空気を入れて飛ばして行ければ大丈夫だ。
まぁ、空気を入れるという動作に入るのが1番自分の中で難しいことには目をつぶっておこう。
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