「偉い」ってなんだ?

数年前、拙著『まっすぐな地平線』が、某作文コンクールの課題図書に選ばれた。光栄なことだった。しかしながら優秀作品の文集を渡されて、読んでいくうちに、気づいたことがある。
「偉い人になるために、勉強しなさい」と決まり文句で子供を机に向かわせる親、そして祖父母の、なんと多いことだろう。作文の中に「アベノミクス」という言葉まで出てきたのには、正直心が痛んだ。著者は、それとは真逆なテーマで書いたはずだったけれど。

安倍元総理が銃弾に倒れ、この世を去って一週間。
今、この事件に関して、子どもたちは学校でどんな会話をしているんだろう。養育者の考えや言動が、おそらくそのまま語られていると思う。参議院選挙の結果をみる限り、安倍さんは「偉い人」であり、襲撃した犯人は悪魔だ。子どもの真っ白な心には、憲法改正や、統一教会のあり方の是非は、あまりにも複雑で、大人の言動の受け売りしかできない。
総理大臣は秀でた指導者。優秀な人間に違いない。「偉いヒト」だ。
そう思うのは自然なことだ。疑うことを知らない。

それが本当は間違いだったということを、みんなが認められる社会になるのには、数十年はかかるかもしれない。もしかしたら、永遠に、人類はこの方向性を変えられない可能性だってある。

ただ、方法はある。子どもは、無垢なんだから。
親や祖父母が自分の考えに染めないことだ。
世界には、子どもの心を豊かにしてくれる物語がある。
たくさんある。
まず、「世間体」だとかいうエゴい枠は捨てましょうよ。

子どもは、育てるものではなく、育つのです。
「偉く」なることは、幸福ではない。決して。

7月15日、山の酸素が心地よかった日。森島いずみ

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