ノンバイナリーな私と多様な私の話

私の性自認はノンバイナリーなわけですが、割り当てられた性は女性で、表現する性は中性(女性がズボンスタイルだと中性という言い方をされますが、男性がスカートだと女装と言われるのでなんか微妙ですが)で、仕事上の私もいろんな立場があり、個人としてもいろんな顔があります。そうなると、「私」という人格は一つなんだけど表現や立場は多様なので、客観的には多様な私がいることになります。

そのような多様な私には、誰にでも見せられる私だけでなく、他者には見せにくい私もいます。

まあ、性自認的にも性対象的にも言えないことばかりですし、仕事上の話にしても、そんな私の感性で思うことは、言っても共感が得られないし言うだけ追い詰められたり、自分がしんどくなることが多いです。

一方で、何年も前から言ってて、身の回りでは全然伝わらなかったことが、ここ最近、「これまでの価値観では今後の社会への対応は難しい」という文脈で、これまでわかってもらえなかった言葉や否定されてた言葉が言われるようになり、ようやく、時代というか、価値観が追いついてきた(?)かなと感じます。

今はちょうど、理解されない私と理解される私が共存している時代で、まさに過渡期だなと感じます。次第に理解される価値観に移行してきているので、私にとっての環境はよくなりつつあるのかも知れません。

それは救いである反面、理解されるためには、そういう価値観に接してなかった人がそういう価値観にそれなりに接する経験が必要なので、そういう考え方があることを伝え続ける役割に私があることも感じます。人の価値観はすぐには変わらないので、私自身は理解されなくとも、(そういう価値観が理解されるためには)それを感じでいる私が、伝える役割をしないといけないなと思いつつ、言っても伝わらない経験ばかりが積み重なるのはなかなかしんどいとも思います。

私が言わなくても、時代の流れを加速することも遅延させることもないのかも知れませんが、なんとなく、私が言わないとそういう価値観があることも知られないかも、とか、考えてしまい、色々言ってしまう日々です。

多様な価値観が認められる社会が早く実現してほしいですね

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