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結婚に 投資にオレオレ いいね! 詐欺

これは詐欺ですwww」
 思わずそう呟いた。遅ればせながら、ドラマ『パリピ孔明』の第6話を見た感想です。きっと多くの人がそう思ったでありましょう。(←向井理の孔明口調)

「○○○これは詐欺です。△△これも詐欺です」
 警察庁防犯パトロール車がそうアナウンスして住宅街をトロトロと流しておりますが、ドラマの「10万イイネ!獲得詐欺戦術」は法的に大丈夫なんでしょうかね。いらぬ心配をします。

 まあ、コレはドラマの話だからいいのだけれど――もやっとはしますけどね――現実の《いいね!》獲得のための「無差別絨毯いいね!爆撃」は、犯罪ではないし、法に触れてもいないけれど、やっぱり倫理にはアウトな気がします。
 某国の統計は水増しとか操作とかがあって信用できないとか言われてますけれど、「絨毯爆撃」で獲得した《いいね!》も口コミと同じで信憑性に欠けるところがあります。
 そんなことで《いいね!》数を増やしたところで虚しくね? と思ってしまうが、そう感じないからやる。むしろ、気弱な《いいね!》返しであったとしても、カウントが上がっていく快感の方が後ろめたさよりも勝ってるのだろうな。
 でも、それに慣れてしまうと、怖いとは思う。実際がわからなくなって、それがオフラインの世界でも癖になって、真実が曖昧になって、現実がわからなくなってしまいそう。
 いやいや、そういう人は割り切りが良いから、オフはオフでオンラインの世界とはまったく違う手法で堅実に生きていたりして……。
 それこそ、真実はわかりませんな。

 先日、目にしたあるnoteの小説書きクリエーターさんのプロフィールに《返し目的の好きとフォローはご遠慮下さい》的なことが書いてあって、思わず👏したくなった。この文言に《好き》したかったけれど、できないからちょっと残念。
 70年代(60年代か?)風に言えば、気取ってスカした野郎のセリフみたいだが、このクリエーターさんは、純粋に自分の小説が楽しんでもらえているか知りたいのだろうなと私は解釈した。
 もし、プロの小説家を目指しているのなら、複数のジャンルやタイプの小説を書いて、どういう傾向の作品が現代の読者ウケするのか、自分はどういうジャンルの作品が向いているのかなどを《好き》された数から推測して、執筆の参考にしたいのではないだろうか。だとしたら《好き》が増えるのであっても、返し目的、無差別や絨毯は、むしろご遠慮下さいだろう。正しい評価が欲しいのだ。
 ただし、ちょっと残念な部分はあるが次に期待したいから、頑張ってくれの意味で《好き》をポチするのならアリだろうとは思う。

 私は、正直、《好き》されると嬉しいよ。人間だもの。byみつお。でも、(これは絨毯爆撃やな)と露骨に感じる《好き》は、逆に凹む。めちゃくちゃ凹む。大げさだが、カモにしか思われてない、人と認定されていないとすら思えてくる。「おもろない」と思ったら、《好き》なんぞポチらず、むしろスルーして欲しい。
 あ。でも「今回はいつもに増して駄作だったが、次に期待してっから」の《好き》なら、嬉しいです。


 余談ですが、『パリピ孔明』の向井理さん、中国語の時はネイティブが吹き替えているけれど、ちゃんと口は中国語にきっちりと合わせてある。プロだ。プロの役者さんだ、と感心した次第。
ちなみに吹き替えのネイティブ氏は、発音から言って、たぶん大陸系の人でインテリ系かな? 劉備役のディーン氏の中国語は、やっぱり発音が台湾テイスト。きれいな発音ではある。

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