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地が震う人治も震う辰の年/地が震え寒さに震う辰の年

〈地が震う人治も震う辰の年〉

 「」は「シン」とも読む。「」と同じだ。
 日本はそんな年明けとなってしまった。
 偶然にも、今年は、世界中で重要な選挙がある。世界各国で治が震える年である。
 まずは、もう目の前、今週末土曜に台湾の総統選挙。11月には米国の大統領選挙。どちらも世界中が固唾を呑んでいる。そうそう、3月にはロシアの大統領選もある。正直、みんな「どうせまたプーチンだし」と思っているから、こちらは固唾を呑んでというより冷ややかな目で見ている。
 ウクライナとロシアの戦争も、イスラエルとハマスの戦闘(イスラエル・ガザ戦争)も先行きが見えずに未来が震えている。これらの影響が津波のように世界に波及して、世界中が呑み込まれないとも限らない。
 潜在的に人類がみな震えているような状況にある。温暖化で酷暑に熱されてうめきながらも、凍るような人治に震えているような、矛盾していて、いかんともしがたい状況である。

 日本でも7月に首都東京の都知事選挙がある。
今回はどんな人が立つのだろう。毎回「へっ?」って目が点になる人たちが、毎度おなじみさんと一見さん共に、にょきにょきと立候補してくるのが東京都知事選の特徴であり、伝統である。有権者は誰に投票すればいいのか戸惑う。ネガティブな意味で「困ったのう」となって、投票率は当然、下がる。さて、今回はどんな「へっ?」さんたちが出てくるのだろう。そして投票率はどうなる?
 今のところ国政選挙の予定はないが、解散総選挙ってなことも絶対ないとは言い切れない。キッシーのある意味「ぶれない」メンタル体幹(実際はどうなのか他人にはわからないが、端からはそう見える)では、ありそうに全く思えないが、あっても驚きはしない。
 大地も人の治政も震えに震えているが、震えていないのはキッシーのメンタル体幹だけか……。あくまで端からの見た目であるが。
 平成の人、総理在任中に急死された小渕さんも、2千円札なんて作っちゃったりして「オブチのオブツ」なんて国民に呆れ混じりの悪態をつかれていたが、後年、あの時代の日本が見舞われていた水面下の国際政治の難度が明らかになって、ありゃ、斃れるわと知れた。キッシーも、全然、こたえてねぇはコイツと思わせといて、実はもう身も心も一杯一杯でフリーズしちゃって能面になってしまっているだけだったりするのかもしれない。これもやはりあくまで「かもしれない」であるが。

 どうでもいいことであるが、梅しおの懐は、常に震えている。冷え症低体温ってだけじゃなくて。

〈地が震え寒さに震う辰の年〉

 今、正に被災地はそんな状況だろう。
 そんな句(もどき)を東京でぬくぬくしている自分がよんでいいのかと、被災した方々の心情を思えば躊躇はあった。
 否応なしに東日本大震災のときのことも思い出す。あの冬は寒かった、春も遅くて寒かった。あれからまだ、本当の意味で春が来ていないような気がまだどこか心の片隅にある。未だに身体の芯が強張る。
 今回は、早く「春」が来て欲しい。だが、分断された道路などインフラを素早く復旧しようにも今の日本にその力はあるのか心配はある。圧倒的に人手人材は足りないであろう。すでに日本のインフラは老朽化が進み、それを置き換えや修繕しようにも人手はもとより自治体の財政不足でままならなくなっている。
 1755年のリスボン大地震は、ポルトガルの経済に大打撃を与え、ポルトガルの国勢衰退の原因となった。日本もこのままジリ貧を続けていくような気配が濃厚で楽観的にはなれない。
 それでも人は生きていかねばならない。生きていくしかない。死ぬまでは(当たり前か)。

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