実写版「リトル・マーメイド」批評――溶け合う世界の物語――

拾うこと

 「リトル・マーメイド」では、拾うことに意味が与えられている。アリエルの趣味は人間の落とし物を拾い集めることで、拾う行為は彼女の性格を端的に示す。彼女とエリックの邂逅も広く見れば拾う行為で、彼女が海に落ちたエリックを助ける=拾い上げることで二人は運命の出会いを果たす。トリトンが復活する契機は、アリエルがトライデントを拾い上げることだし、アリエルはマックスに代わって、エリックの投げた棒を拾う行為はアリエルとエリックが結ばれる前振りとして機能する。再会の時に彼女が着るのは、エリックが海に流したドレス=拾い物である。付言すれば、彼女がアースラを倒す武器は漂流船で、これは海底で放棄されていた物。捨てられた物が浮上し、それをアリエルが使う。このことは拾う行為の変形と取れる。
 もう一人の主人公・エリックにも拾う行為は付き纏う。彼の恋人・アリエルは漁網にかかって地上に出たわけだが、これは彼女を拾ったとも見れるだろう。スカットルが彼の帽子を取り上げ、ひょいとボートに落とす行為、そこから続くエリックの帽子を拾う行為は、エリックとアリエルのボートデートを導き出す。アースラを打ち倒した後、エリックはアリエルのドレスを浜辺で拾い、海へと流す。このドレスは二人の絆を象徴し、拾うことを媒介に両者の間を往還する。
 このように、拾う行為は「リトル・マーメイド」で物語の重要な契機を形成している。ではなぜ、拾うことなのか? それが作品の主題に関連する仕草だからである。アリエルとエリック両名は、属するコミュニティの異端と言える。アリエルは人魚でありながら人に興味を抱き、エリックは王族の身で見果てぬ航海、外の世界を夢に見る。二人は新たな可能性を追う探究者で、その好奇心、考えは周囲に殆ど理解されない。それは、単刀直入に言って、社会から遺棄された観念である。アリエル、エリックが胸に抱くのは、共同体から零れ落ちた価値であり、彼らは零れたものを掬う=拾う存在と捉えられる。つまり拾うことは、二人のキャラクター性を端的に提示する、象徴的行為なのである。本作のメッセージの一つが、未知なる世界、新しい価値の肯定にあるのは間違いない。新奇なものは外より来る。だが、受け止める意思が受容側になければ、それは打ち捨てられ、消えてしまう。先人がくだらないと切り捨てたものを拾い上げ、偏見なく見つめて意義を示し、社会に変革を齎すこと。拾う行為には、そのような革新のイメージが付帯され、それゆえに作品のテーマを明示する振舞いと言えるのだ。「リトル・マーメイド」において、拾うことが固執的に反復されるのは、こうした理由によるのである。

落とすこと――投げ下ろすこと

 拾うとは、下から上への物の動きであり、落とすとは、上から下への物を動きである。拾うことが物語のキーであるように、その対となる落下にもストーリー上の意味が存在する。
 エリックの部屋に飾られていた岩を、アリエルが唐突に投げ落とし、内から宝石が顔を見せる。この一連の行動は二人を繋ぎ合わせる起点となる。アリエルは、ヴァネッサの首飾りを地面に投げつけ、破壊し、己の声を取り戻す。同時にヴァネッサの正体がアースラであることを明らかにする。真実を知ったエリックはアリエルへの恋心を取り戻し、二人は互いの愛を再度、確信する。また、作品末尾のアリエルは、エリックからもらった人魚のガラス人形を海に落としたままにしておくが、それは人魚の世界からの旅立ち、すなわちエリックと共に生きることの象徴なのである。
 エリックにまつわるこのモチーフの内、最初に出てくるのは海への落下。これはアリエルとの出会いを招来する、物語の幕開けとなる所作である。沈没した彼の船からは種々様々な物が海中へ没するが、中でもピックアップされるのは青銅像で、それは恐らくエリックを象っている。アリエルはこの銅像に地上、そして王子への思いをかけ、トリトンがそれを無惨に打ち砕いたことで、陸に上がる契機が生じた。エリックとアリエルは夜にボートを漕ぎ、セバスチャン達の助けで二人はキスをしかけるが、アースラの妨害で、両者はあえなく海へと落ちる。こうして恋の成就は宙に浮いてしまう。
 スカットルも物を落とす役目を担う。まずはボートにエリックの帽子を落とすこと。次いで終盤のシーン。ヴァネッサとエリックの結婚を止めるため、セバスチャンを咥えて式場に向かうスカットルは、うっかりセバスチャンを海へと落とす。しかし、気を取り直して、式場に飛び入ってヴァネッサを襲い、その結果、ヴァネッサはエリック母からもらった指輪を落とす。式は大事な指輪を探すために停止され、アリエルのための時間稼ぎとなる。セバスチャンの落下には、コミックリリーフとしての意味しかないものの、その他の場合において、スカットルが何かを落とす時、恋は大きく動き出す。
 このように落ちた物は数多いが、中でもアリエルのドレスは最も強い印象を残すだろう。拾うこと、でも述べた通り、ドレスは、アリエルが落とす――エリックが拾う――エリックが落とす――アリエルが拾う、という二種の行為の反復によって二人を繋ぎ合わせているのであり、本作における、拾うこと――落とすことの意味と語りを鮮明に示す物なのである。
 落とすことは、その殆どにおいてアリエルとエリックの関係に関わり、二人の恋模様を導出し、展開し、時に停滞させながらも、最後の結実へと持っていく。ここまで総覧したように、落とすことは、ラブ・ストーリーを象徴的に織りなす、語り部としての役割を持っているのだ。

光と闇の世界

 アリエルの代名詞ともいえる「Part Of Your World」には、足を手に入れ、陽の下を歩きたいという意味の歌詞がある。人魚にとって足は人間の象徴であり、それと結びつけられる太陽も人間の世界を表すものと言えるだろう。実際、アリエルが人間の風習を垣間見るのは決まって明るい時間帯で、陸に上がったばかりの頃、石鹼を食べ物だと勘違いしたのも昼間、フォークを櫛として使うのが間違いと知ったのも昼間である。エリックとの距離が縮まったのは、アリエルが彼の部屋に忍び込んだからだが、映し出された瞬間のそこは暗く、中の様子がよく見えなかった。しかし、誰かいることに気づいたエリックがカーテンを開けたために光が差し込み、アリエルは彼に見つけられる。それをきっかけに二人は人間の世界の話で盛り上がるのである。最後の旅立ちが昼間のも印象的だ。アリエルは人間の足を持ち、エリックと共に船で旅立っていく。そこに映るのは、まさに人間としてのアリエルであり、彼女が人として歩んでいくことを鮮明に明らかに示している。
 これらとは逆に夜や暗闇は海、すなわち人魚の世界を意味し、そのことは作品の随所で印象付けられる。トリトン王の玉座は暗く、彼が娘らと接見する議場も光は仄か。アースラの住処は闇に包まれ、彼女が巨大化したのは夜の刻限。エリックがアリエルの名前を当てる場面、それは彼が人魚たるアリエルのアイデンティティに触れる場面だが、その舞台は星空の下で、彼らのキスを邪魔するのはアースラの配下たるウツボだった。何より印象的なのは、アリエルが人魚に変えるのが日没=夜である点だろう。
 このように人間の世界=光と人魚の世界=闇は作品において峻別されている。他方で、光と闇が併存したり、混ざり合ったりする場面もある。最も端的なのアリエルの宝蔵で、深海にありながら陽の光が僅かに挿し込んでいる。彼女がエリックと出会ったのは夜の海上だが、そこでは花火が煌めいていた。二人が愛情を確かめ、キスをする場面は黄昏で、まさに昼と夜の混ざった混交的な時空である。
 「リトル・マーメイド」の明暗は人間と人魚の相異なる世界を指し示す。エリックがキスに失敗するのが夜なのは、彼が人魚の世界を、アリエルの正体をよく理解できていないと明示するためである。逆に、出会いの場面で光と闇が並び立つのは、人間と人魚の出会いと友愛の契機となる箇所だからである。だが、ここではアリエルがまだ人間がどういうものかを経験しておらず、そのために花火の煌めきは闇に拮抗する程明るくはない。それゆえに昼と夜の丁度狭間、両者が拮抗する黄昏でこそ、アリエルとエリックの恋愛は成就されなければならなかったのだ。夕暮れこそが光と闇が融解する時空であり、二つの世界の融和を象徴するものなのだから。こうした融和はラストシーンで最も盛大に表現される。船の上のアリエルを海から顔を出した人魚達が見送ること、人魚のガラス人形が水面と海中を行き来すること。これらは水上=光=人間の空間と海中=闇=人魚の空間が一つ所に集まったことを意味し、二つの秩序が一つに溶け合った、とまでは行かずとも、互いに認め合う程には近接したことを視覚的に印象づけているのだ。

融解を語るモチーフ群

 最後に、ここまでの内容を概括しつつ、本作のモチーフが語るものを総合的に考えてみたい。
 拾う行為には、既存の世界で否定され、零れ落ちてしまった価値観・思想・観念を掬い上げる意味があった。それを行うのが、コミュニティの異端者であり、社会のレールから落ちたアリエルとエリックで、通念に疑義を持つからこそ新奇なアイディアを拾い上げられるのである。こうした価値観の共通性はアリエル、エリックを近づけ、結びつける誘因となり、拾う行為は二人の恋のシンボルとしても機能する。
 対となる落とす行為では、価値観の共有という面が薄れ、恋物語を展開させる語り部としての性質が前面に押し出されている。しかし、「リトル・マーメイド」において、アリエルとエリックは各々、人魚と人間の代表であり、彼らの結合は二つの価値の結合を暗喩する。すなわち、落ちることは恋愛を語る物であると同時に、世界の協調を語る物でもあるのだ。
 光は人間、闇は人魚を表すモチーフとして何度なく映画に登場した。これらは世界の分裂を指し示す存在である一方で、分かたれた世界の友和を意味するものでもあった。アリエルの宝物庫、花火に照らされる闇夜の船、そして最後を彩る黄昏のキス。光と闇が溶け合うほどに、アリエルとエリックの距離は近づいて行き、やがて一つに結ばれる。二人の婚姻は人間と人魚を繋ぐ契機となり、ラストの人間・人魚が相並ぶシーンで水上・海中が共に居合わせる空間が描述される。これらはいずれも、二つの世界の接近と共存を暗示するのである。
 以上のように、「リトル・マーメイド」は反復されるモチーフによって乖離した二つの社会の相互理解を描き出した作品だと言える。それは表層的な恋物語によっても暗示されてはいるが、細部の構造によって視覚的・直感的にも示されているのだ。

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