2023年アニメ映画感想・11月

映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ

 6点。すみっコぐらしの映画も、もう三本目で随分と売れているんだろう。正直、一本目と二本目はあまり話を覚えていないのだが、本作はちゃんとした筋があったので楽しめた。ちなみに、ファンムービーとしてなら8点だが、そうでない身からすると、そんなに面白くはない。
 すみっコ達のイラストがそのまま動いているような絵は、非常によく、普通に可愛い。アニメ化の際に原作とキャラデザがズレることはよくあり、そこは割り切るポイントなのだが、すみっコぐらしにはそれがない。再現度が高いだけでもファン向けとしては高評価だ。ただ、どうしても、キャラ毎に扱いの差はあり、今回はしろくまが中心なのだが、記憶が正しければ、前作も前々作も、出番が多かった気がする。実質的な主役なのかも。それ以外は、ぺんぎんが割と活躍する。その他のすみっコやみにっコは扱いがトントンか。箱推しならともかく、担当がある人からすると、不満が残るやも。
 ひょんなことから、オモチャ工場の工員となったすみっコ達は、段々とブラック化する職場環境に不審を覚える。調べると、なんと工場自体に意志があり、工場長はそれが操作するぬいぐるみに過ぎなかった。自身が忘れられるのが怖い工場は、暴走してオモチャを製造しまくるのだが、すみっコ達によって止められ、工場としての機能を失くしても、僕らは忘れない、と慰められるのだった。
 今となっては珍しい無言劇で、キャラの表情も人物を使う場合に比べればシンプルなので、全体に分かりやすい作品である。動きはキャラに合っているので違和感はない。話の先は読め、意外な展開はほぼない。話は整理されており、変な感じはしないが、工場が廃棄された理由はよく分からなかった。不景気で会社が倒産したのか。
 テーマはノスタルジアで、廃棄された物、ここでは大量生産型社会への哀悼が捧げられる。工場は、大量生産・大量消費のシンボルで、そうした様式とすみっコの生きる世界との不整合が、玩具の暴走で表現される。同時に、工場は利益追求型社会も象徴しており、生産目標を達成するべく段々とブラック化する。しろくまは壊れたぬいぐるみを捨てることなく、直しており、循環型社会というカウンター・パートを担うが、そんなしろくまが、工場の過去に感謝と哀悼を捧げることで、工場は自身の居場所が消えてしまったことを悟るのだ。
 ラストの工場の心理は少し謎である。忘れられることは怖いけれど、生産した玩具が残り続けることで、自身の存在した証となるから満足だ、という感じなのだが、普通、存在意義をなくすことの方が怖いのではないか。覚えられていることで、間接的に存在意義が示され続けるという迂遠な取り方もできるが、それを当人が納得するにはややハードルがあるのでは? 必要ないと言われている事実は変わらないから。また、人は玩具については覚えているが、工場は覚えているのか、という疑問もある。工場とブランドが合一化していたと考えれば筋は通るが、ブランド名が残ることと、工場の存在が残ることはやはりズレている気がする。
 マス・プロダクトはかつての花形で、今はネット産業がそれに取って代わっている印象がある。だからこそ、工場に哀悼が捧げられるのだが、メインストリームからの凋落した工場に対し、周縁的存在のすみっコが弔辞を述べるのは、何だか皮肉めいている。

火の鳥 エデンの花

 8点。手塚治虫の原作パワーとSTUDIO4℃の画力が組み合わさった作品で結構面白い。大きな循環を描く作品で、物語のラストに最初の舞台設定へ帰って来る。絵はきれい。
 「火の鳥」には、ほとんど火の鳥が出てこない話もあるのだが、これもそういう作品だった。原作を読んだのがかなり前なので、映画と原作の違いはあまり分からないが。ロミとチヒロの設定は異なっていて、機械の素体となる優良遺伝子の保持者というネタは原作になかったはず。
 素朴信仰があって、利己的欲望こそが文明を滅ぼすというのが、再三語られる。エデンも地球も、行き過ぎた欲望が、前者では戦争を、後者では環境破壊を誘発する。また、懐郷心に駆られてエデンを飛び出したロミや金儲けのために人の欲望を喚起するスダーバン、地球の在住資格欲しさにコムを殺す牧村にも、欲=罪の図式が付いて回る。利己的な欲が人の愚かさとなり、喪失の苦しみを招来する。
 欲望の生み出した最大の悪徳が、地球の格差社会で、そのシステムがロミや牧村のような弱者を生み出し、彼らを養分とすることでシステムは維持される。このように、欲望による悪徳が、個人レベルでも、集団レベルでも描写されるからこそ、純粋無垢なコムや利他的なチヒロが際立つ。人の愚かしさを背景に、無辜や慈愛の美しさを強調しているのである。
 鉱物生物の住まう星が出てくるが、体が重いだろうからあんなに素早くは動けまい。また、ズダーバンがエデンで商売を始めているが、彼の商品より価値のあるものがエデンに存在するのか? エデンは、貨幣のない原始共産社会のようだから、貴金属を得るのも難しそうだし。

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

 8点。面白かった。鬼太郎ファンなので採点が甘いかもしれないが。
 二次大戦全否定映画で、戦争に一切の価値を見出さず、唾棄すべきものと描く。戦争経験者の水木しげるは、陰惨な戦争漫画を著した厭戦論者なので、原作者の考えに沿った主題と言える。これに比べると、「ゴジラ-1.0」は戦争を批判しているようで、特攻隊に価値を見出していたり、戦争責任者への批判がなかったりと、反戦映画としては生ぬるい作品だった。まあ、今回の「ゴジラ」は両翼の思想を詰め込んだアマルガムであり、マスの支持を得るのに特化しているので、主題を問うのはよくないのだが。
 本作は、戦争責任者への非難が苛烈で、ラスボスが明治・大正・昭和のフィクサーにして、日清・日露も含め、三度の戦争で巨万の富を築いた男になっている点にもそれは表れている。戦争後遺症を患った水木が、戦争の権化を倒すことで、個人的な戦争の清算が終わる。対して「ゴジラ」では、神木隆之介が特攻隊で培った技術でゴジラを打ち倒したことで、彼の戦争が終わるのだが、ここには、戦争にも価値があったし、特攻隊には意味があったという示唆が透けて見える。
 水木は戦争後遺症になっているだけでなく、人間不信にも陥っており、その結果、戦争を招来した価値観である、資本主義的思想を内面化している。すなわち、弱肉強食と人類皆エネミーという考え方だ。そうしたエゴイスティックな思想が、オヤジや時弥、紗代との交流で解け、最後に、身寄りのない鬼太郎の養父になるところまで繋がるのが本作のテーマであり、言ってしまえば、戦争失くした心を回復する物語である。
 オヤジは人間の残虐さを相対化する存在で、今作だと、敵が全て人間の悪徳と怨念に起因し、人間性がどこに宿るのかを考えさせる作りになっている。「ゲゲゲの鬼太郎」自体も、人間の愚かしさを扱っている作品だが、今作ではそれが主軸に据えられ、人の業を、人が蔑んできた周縁者によって回収してもらうという、なんとも人間にとって都合のいい話となっている。人間嫌いのオヤジが、嫁や鬼太郎のために人を救う決断をする場面には、人間への怒りと愛着、そして未来への希望、という複雑な感情が噴出している。
 設定の多くは『墓場鬼太郎』一巻に依拠する。具体的には、水木が血液銀行に勤めている点や、ゆうれい族の血を輸血されると死人になってしまう点、水木と鬼太郎の出会いが該当する。オヤジの技は、「ゲゲゲの鬼太郎」の第6作で鬼太郎が使っていたものを用いている。原作と違う点もいくつかあって、『墓場鬼太郎』では、水木は白髪になっていないし、戦争帰りかどうかもわからない。龍賀製薬も登場しない。鬼太郎シリーズでは、ゆうれい族が死ぬ際、一本の霊毛を残し、それを編んだ物がちゃんちゃんこだったが、今作だと、大量の毛が死者から回収されていた。子孫への思いから生じた奇跡ってことか。ところで、オヤジの嫁は猫娘に似てた。
 狂骨の初出は鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』で、恨みが集積して妖怪になったという設定もこれに拠る。血を吸う桜は「樹木子」からの着想。以前は水木しげるの創作妖怪だと思われていた。ただ、『墓場鬼太郎』には吸血木という、血を吸う樹木が出てくるので、こっちから取ったのかもしれない。「樹夫子」も吸血木も分類は不明だが、本作では桜となっている。梶井基次郎「桜の樹の下には」にインスパイアされたか。裏鬼道衆は、容姿が修験道っぽいが、鬼道は『魏志倭人伝』に出てくる語で、魔術といった程度の意味。卑弥呼の呪術がそう呼ばれる。哭倉村は八つ墓村や犬鳴村あたりがモデルなんだろうか。禁足地に出てきた妖怪で視認できたのは、大百足、さがり、一目坊、山爺だけ。残りは覚えてない。

駒田蒸留所へようこそ

 7点。PA worksの新作で、絵はかなりきれいだが、これだ、と記憶に残るショットはなかった。平均点が高い感じ。ただ、ウイスキーの絵はとてもキレイいだった。
 酒造メーカーとそこを取材する記者を中心に据えた作品で、前半はやる気がない上、夢も希望もない主人公・高橋光太郎が仕事にやりがいを見出すまでが描かれ、後半では、もう一人の主人公、駒田蒸留所社長・駒田琉生が様々な人から協力を得つつ、失われたウイスキー・独楽を復活させる。独楽復活の話は、後半で焦点化されるものの、前半にて幾度も話題に上がり、伏線が張られている。
 仕事をする意味や家族再生が本作のテーマだが、後者が必要だったかは謎。独楽は家族の酒という触れ込みだが、駒田蒸留所の酒であって駒田家のものではないだろう、って感じ。駒田蒸留所はインディーズのゲームメーカーみたいに、給料は安いけど、社員がやる気と情熱に溢れている会社で、独楽も社員のパッションが生み出した商品である。つまり、独楽は駒田蒸留所のシンボルなのであり、それを復活させるということは、かつての駒田蒸留所だったり、ウイスキー製造の伝統を蘇らせることと同義なのである。となれば、独楽とは社員全員にとって意味深い酒ということになり、なぜ仕事をするのか、という問いへの答えでもある。良い仕事・意味のある仕事、といった仕事に対する肯定的なイメージを表象する独楽が、ラストでは、壊れた社長家族の再生のために機能しており、イメージが縮小されるのは納得がいかない。復活に付き合った他の社員は無視か? という気分だ。
 ただ、ここら辺は少し微妙な解釈もあって、駒田蒸留所=家族という、ブラック企業のような触れ込みが複数回登場する。ここから、本作における家族とは、駒田家と駒田蒸留所の二重の意味があり、駒田家が絆を取り戻すシーンは、駒田蒸留所の復活をも意味していると取れなくはない。ただ、その割に、駒田家以外の人間が、独楽復活に関与する箇所が少ないのは、いかがなものか、と思った。仕事は家族セラピーではないんだが。
 光太郎がやる気なさすぎるのは置いておく(あんな人間を取った人事やフォローを全然しない上司も悪い)として、駒田家には疑問を覚えるところがあった。兄の圭はウイスキー作り廃業を機に家出するが、原酒は残っているのだから、作れなくなったわけではないはずだ。実際、琉生はブレンドによってわかばを生みだし、ヒットさせており、なぜ飛び出したのかよく分からない。新商品を作って経営再建し、ウイスキー製造再開まで持って行こうとする気概はなかったのか。そんな奴が独楽を復活させたがっているとか、ギャグにしか思えなかった。母親の澪緒も、酒に詳しくないから夫に迷惑をかけた、と懺悔していたが、いや、勉強しろよ。バイトじゃないんだから。というか、自社商品についてそれなりに知識を持っておくべきじゃないのか? また、作品後半では、独楽復活のためのクラウドファンディングが行われるのだが、それを琉生が今までしてこなかった理由は謎だ。ポット・スチルをクラファンで買ってましたよね? 独楽は人気商品だし、絶対にクラファンは成功すると思うのだが、復活させる自信がなかったのだろうか? その割には手広くリサーチをしている感じがなく、中盤くらいまでは独楽に対する興味があまりないのかと思ってたが、後半では家族の酒だからと、言っていて、へえー、となった。
 業界を深掘りする作品なので、ウイスキー製造について、もう少し蘊蓄が欲しかった。何のためにド素人の光太郎を主人公にしたんだ。ウイスキーがブレンドで作られ、それが大変という描写はあったが、それ以外のことはよく分からなかった。駒田蒸留所では、もう原酒を作ってないからカットしたんだろうか?

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