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チャレンジ

今回のインタビューは山口裕馬さんです。

ご出身とどんな生い立ちでしたか?

愛媛県宇和島市の生まれで18歳まで住んでいました。
学生時代を点数で表すなら

小学生:90点
中学生:50点
高校生:70点
大学生:100点

小学生は皆に認めらていて足が速く、運動会でも1位を総なめにしながらマラソン大会で活躍、皆に認められていた実感があるので点数が高いです。

中学生は中学1年生の時に野球部でいじめにあいました。その経験が今のままではダメだと思い、自分を変えるキッカケとなってあえて変な事をしたりして特別な存在でいたいと思う様になりました。

高校生は成功体験を得る事が出来ました。
高校から水泳部に入部して50mの短距離を種目にしていましたが、高校1年生の時に総体の決勝を見て自分も総体に出るぞと思い奮起しました。
しかし高校から初めての水泳だったので、小さい頃からやってる人と比べてハンディがかなりありました。
それでも努力を重ねて高校3年生の総体では大会で24人中8番手を獲得して念願の四国大会に出場を果たしました。
描いた通りの成果を得た事でこの経験は今でも自分を奮い立たせる経験になっています。

大学生は高校時代の成功体験を活かして色んな事に挑戦してとても充実した学校生活でした。
10万円の貯金だけでワーキングホリデーオーストラリアに渡ったりしました。
オーストラリアのイタリアンで高時給のバイトの本採用を獲得。要因は片言ながらも持ち前の挑戦精神や行動力を評価されて試用期間から本採用され海外でも成功体験を積めました。

海外へ出た理由として、自分探しの旅と併せて外国の女性経験を積もうという裏目的もありました。(日本人男性はモテると聞いてましたが、実際にモテるのは日本人女性という事で10か月で帰国www)
帰国後に在学の静岡大学には東京で何か爪痕を残そうという挑戦精神が再燃して戻らずに東京に居住。その後にクラブに赴きオーストラリアで果たせなかった悲願を一度だけ果たす事に成功しましたがその後はメイクラブが無かったのは良い思い出です。
その後、普通の大学生では満足せずにNSCに入学し、お笑いに挑むも途中で断念して静岡大学へ戻る事にしました。

インタビュー風景

お仕事は?

大学4年生になった時に静岡駅の路上で飲食店に案内するいわゆる「キャッチ」のシステムを静岡で初めて導入した先輩と出会い始めたのをキッカケにやればやるほど成果報酬として収入になる歩合制を知りビジネスに目覚めました。そしてキャッチをし続けていたところ、訪問販売会社の社長にヘッドハンティングされて就職。就職した先も歩合制だったので最初は8~15万の月給の時代が続きました。
そこでコレではだめだと一念発起し、50件の契約を3か月間で取れなかったら退職を決意して見事3か月間で54件の契約を達成!
そのおかげで月給は150万に達しました。
成果の結果の原因は結果からの逆算でした。
1日に2件の契約を取ろうと決め、日々の達成を自分と約束し続けて3か月目で単月で54件を達成。
そして実績が上がったので代理店扱いとなり3次店になる事ができました。その後、現法人を2020年に設立しCEOに就任しました。
設立後の2期目も黒字収支で融資も受ける事が出来て今は会社を年商20億にすべく邁進しています。
会社の規模感を大きくし上場される事は世に認められた証と思っています。

趣味やハマったことはありますか?

筋トレが趣味ですね。ベストボディジャパンという大会の松山大会で2位を達成しました。
ハマっている理由は営業に似ていてプロセスは苦しいけど達成した時の喜びをひとしお感じられるのがハマっている要因ですね。
また親子でもハマっていて61歳になるの母親と親子で出場したりもしています。ちなみに母親は大会優勝を3連覇している猛者です。

何にお金を使いますか?

筋肉にまつわる事が殆どで、それに付随して食事に関してですね。
他には自己成長すると感じる体験にもお金を使います。
あとはやはり筋肉関連で筋トレ用品とかになりますね。
体験に関しては、この体験をしたらこんな事が出来る様になると未来にワクワクする体験にお金を使います。

最後に同じ20代へ一言

「チャレンジ」
勇気を与える!泥沼になりながらも前に!
生きがいは感謝される事。

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