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三石巌全業績-17 老化への挑戦-8

三石巌の書籍で、現在絶版して読むことができない物の中から、その内容を少しずつですが皆様にご紹介させていただきます。


酸素は活性化する

 読者諸君はここまできて、活性酸素ということばを覚えられただろう。そのこわさもおわかりだろう。その恐怖の実体が、相手分子から電子を奪う結果であることもおわかりだろう。だがしかし、われわれの生命を保障する酸素が活性化するメカニズムについてはまだ何も説明されていない。それをなすべき段階がきたようだ。
 ふつうの酸素分子は相手分子の電子を奪うことがない。ところが、活性酸素にはそれが出来る。だから、活性の名がついている。ここまではもうわかった。では、ふつうの酸素と活性酸素とはどう違うのか。
 ここで確かにいえることは、相手分子から電子を奪うという仕事ができる状態の酸素分子と、できない状態の酸素分子があるということだ。ここにいう仕事は物理的な仕事をさしている。そこで、仕事をする能力というものに目をつけることになる。ここにきて読者諸君は、エネルギーに気付いたはずである。中学で習ったエネルギーの定義に!
 エネルギーとは仕事をする能力である。これでいくと活性酸素分子は、相手分子から電子を奪う仕事ができるにたりるエネルギーをもっている、ということになる。そのエネルギーをもたないやつはただの酸素分子にすぎない。
 物理学では、そのエネルギーがどこからきたか、を問題にする。本書の流れからすれば、最初にくるのは紫外線だ。エネルギーを酸素分子に与えたのは紫外線ということにならなくてはなるまい。
 紫外線といえば、太陽光線のスペクトルのなかで、可視光線の紫側、つまり波長の短い方の外側にひろがる領域をさすことばだ。それは、可視部より波長が短いために目に見えない部分である。どうしてその部分の光でなければ酸素分子の活性化ができないかと問えば、エネルギーがたりないため、という答えが返ってくるだろう。
 どんな波長の光線でも、その量をふやせばエネルギーが大きくなるではないか、という疑問の余地があるかもしれない。しかしその論理はここでは通らない。それは古典物理学の論理、マクロの世界の論理なのだ。
 量子力学によれば、光というものは、空間的には波動であり、エネルギー的には粒子である。この粒子には《光子》(フォトン)という名前がついている。光子1個のもつエネルギーの量は波長に反比例する。それは波長が短いほど大きいということだ。だからこそ、紫外線光子のエネルギーは、可視光線光子のエネルギーより大きいのである。
 酸素分子に、光をあてるということは、光子をぶつけることにほかならない。光子のもつエネルギーが、酸素分子の活性化に必要な量であれば、それは活性酸素になる。その活性化エネルギーより小さなエネルギーしかもたない光子が、いくらどんどんぶつかったって、酸素分子は活性化しないのである。だから、波長の長い可視光線をいくら強くしても、その照射によって酸素が活性化することはありえない。
 紫外線が活性酸素をつくる理由はこれでわかった。次は、酸素の濃度を高めるとそれが活性化するのはなぜかという問題をとりあげなくてはなるまい。
 酸素にかぎらず、気体分子というものは高速で走りまわっている。といっても曲線運動ではなく直線運動である。
 酵素反応のところで、反応に参加する分子はどれもブラウン運動をしているといった。ブラウン運動は、この場合には液体におきていたのだが、こんどは気体分子の場合である。この本質は、液体のときと同じく熱運動であるから、温度が高いほど速度が大きい。しかし今は、温度について考えているのではなく、気体分子の運動の法則について考えているのである。
 気体分子が勝手な方向に飛んでいくなら、当然いつかは他の分子にぶつかる。空気についていえば、酸素分子はほかの酸素分子にぶつかったり窒素分子にぶっかったりしている。窒素分子の数を酸素分子の数の4倍とすると、1つの酸素分子が他の酸素分子にぶつかる確率は4分の1になるだろう。
 酸素の濃度が高まると分子間距離がせまくなるから、酸素分子同士の衝突の確率が大きくなる。酸素濃度が高まると、活性酸素の発生量が増えるという事実とこれとを照合すると、酸素分子同士の衝突が、その原因になると考えたくなる。窒素分子にぶつかったのではだめなのは、酸素と窒素とではフロンティア軌道の性質が違うからだ。
 先に100%酸素を、1気圧にした場合と、5気圧にした場合との酸素中毒のレベルを比較した。大気の酸素濃度を20%とすれば、100%酸素一気圧のときの酸素濃度は、大気のそれの5倍ということだ。また、5気圧のときの酸素濃度は、大気のそれの25倍になる計算だ。そこで、温度が同じとすれば、100%酸素の活性酸素の発生量は、ふつうの大気と比べて、1気圧のときには5倍、5気圧のときには25倍ということになる。 

一重項酸素とスーパーオキサイド

 だいぶややこしい解説が続いた。しかしこれも、活性酸素という、大方の医師諸君にもなじみのない代物になじんで頂くための方便として大目に見て頂きたい。
 酸素を活性化するエネルギーの源泉をたどることにしよう。ビリアードの遊びでは、白い玉をつきとばして静止している赤い玉にぶつけるというルールによってゲームは進行する。この衝突によって、白の玉は静止し、赤の玉は走り出すことになる。白の玉は運動エネルギーを失い、赤の玉は運動エネルギーを獲得したわけだ。それと同様のエネルギー交換の現象は気体分子の衝突でもおきる。つまり、酸素分子が運動エネルギーの増加を結果することがある。これが運動エネルギーの獲得ではなく、活性化エネルギーの獲得になる場合であることが許されるだろう。
 こう考えれば、酸素分子の衝突による活性化の説明がつけられる。このとき、その衝突が酸素分子同士のあいだのものでなければ活性化がおきないという点に問題は残るが。
 ここまで話が進むと、活性酸素がふつうの酸素とどう違うかという問題を避けて通ることが出来なくなった。それにはまず、ふつうの酸素の分子がどうなっているかを知らなければならない。
 中学で習うことだが、酸素分子の記号は02である。話はそこまでさかのぼる。この記号は、酸素分子が2個の酸素原子からできていること
を示すものである。
 つい先頃までの私は、オーツー(02)が日常語になるなどとは思ってもみなかった。ところが最近、東京に「オーツーバー」なる商売があらわれて私をびっくりさせた。それは、ボンベにつめた高濃度の酸素を吸入させる商売である。3分間300円とかで繁昌しているらしい。この装置は国会議事堂にも備えられているという。
 議員諸君はタダだろうからいいが、わざわざ金を払って毒物を吸うとはおもしろい。
 それはさておき、酸素原子Oの構造をみると、1個の原子核のまわりに8個の電子がまわっている形のものである。そのありさまは、太陽のまわりを惑星がまわるのにたとえられる。惑星が軌道上をまわるのと同じく、電子も軌道上をまわる。
 ところが電子と惑星とでは大きく違う。人工惑星を飛ばすとすれば、それはどんな高度の軌道にものせることができる。しかし、電子となるとそうはいかない。電子の軌道はちゃんと決まっているからである。なぜそんな窮屈なことになるかといえば、電子の世界は量子力学の規制をうけるからである。これに対して、惑星の世界を規制するのはニュートンカ学だからである。ミクロの世界にニュートン力学は通用せず、マクロの世界に量子力学は通用しないと思ってさしつかえない。
 違いはもう2つある。惑星の場合、同一の軌道に天体がいくつはいってもさしつかえない。ところが電子の場合、同一の軌道は電子2個で満席になる。これをパウリの禁制原理という。そのとき、2個の電子は逆方向に自転している。1つが右回りなら、もう1つは左回りでなければならない。電子の自転を《スピン》というが、同一軌道上の二つの電子は、スピンが互いに逆になっている。
 惑星と電子とのもう1つの違いは、軌道の形である。惑星の軌道は楕円である。円でもよろしい。ところが電子の軌道には、円もあり楕円もあり、ドーナツ型もありトモエ型もある。われわれの経験する世界はマクロの世界であり、ニュートン力学の世界である。だがしかし、ミクロの世界、量子力学の世界は超経験の世界であって、想像がつかない。前に述べたことだが、光は波動性と粒子性との2面をもつという話も、超経験的・超常識的である。
 それはともかく、酸素原子では、1個の酸素原子核を8個の電子がとりまく、という形になっている。したがって、1個の酸素分子は、2個の原子核のまわりを16個の電子がとりまいていることになる。といっても、原子核はプラスの電気をもっているから互いに反発するわけで、2つの核は若干の距離をおいている。そして、そのあいだに、いくつもの電子軌道がはさまっている。結局、酸素分子の電子軌道には、2つの核のまわりをとりまくものもあり、あいだにははさまるものもあり、という形になっている。ここに電子の軌道といっているものは、前にも述べたとおり分子軌道であって、分子の形をきめている。
 これだけの予備知識を持った上で、酸素分子の状態を考えてみよう、核は2個、電子は16個である。すると、1つの軌道に2個の電子がおさまるから、軌道数は8ということになりそうだ。ところがそうではなく、軌道は9個もあることがわかっている。すると、電子1個の軌道が2個、2個の軌道が7個とすれば辻褄が合うことになる。電子2個をもつ満席の軌道を《被占軌道》というならば、酸素分子は7個の被占軌道をもっていることになる。9個のうち2個は電子1個だから、半被占軌道ということにしよう。この軌道の1つは一番外側にあるから、フロンティア軌道になっている。
 さきに、窒素分子のフロンティア軌道は酸素分子のものと違うといったが、窒素の場合には、フロンティア軌道が被占軌道になっているのである。
 量子力学では、われわれに見当のつかないことが色々とでてくる。まず《スピン量子数》というものを考える。1個の電子のスピン量子数を1/2とする。このとき、左回りをプラス1/2とすれば、右回りはマイナス1/2となる。すると、電子2個の被占軌道では、スピン量子数が0となる。プラス1/2の電子とマイナス1/2の電子とがあるので、プラスマイナス0というわけだ。
 さらにまた、このスピンを量子数を使って、<スピン多重度>というものを定義する。これによってスピンの全体の状態をつかもうとするわけだ。スピン多重度は(2S+1)であらわすことになっている。Sはスピン量子数の和である。
 スピン多重度は、たんに多重度ともいわれる。何が多重になるかといえば、それはスペクトル線である。1本のスペクトル線と見えるものが、かすかに分かれて何本かになっていることをさしている。電子のスピンが磁界を作るためにこのようなことが起こるのである。
 酸素分子には電子2個をもつ軌道が7面あった。これのスピン量子数は0である。どれもがプラスマイナス0になっているからだ。ところが、半被占軌道が2面ある。これはプラスマイナス0にならない。ここにある2個の電子のスピンは同方向である。それを両方ともプラス1/2とすると、スピン量子数の和はプラス1になる。そこでSを1としてさっきの式(2S+1)でスピン多重度を計算すると、結果は3になる。酸素分子のスピン多重度は3ということだ。この3をたてにとって、ふつうの酸素を《三重項酸素》と呼ぶことになっている。
 ここで気のつくことは、同じ02が活性をおびるとすれば、そのスピン多重度が違うのではあるまいか、という問題である。活性酸素の特性が、他の分子から電子を奪うことにあるとすると、その電子状態が三重項状態とは違うのではあるまいか、と考えてみたくなるだろう。
 活性酸素の1つの形態に《一重項酸素》というのがある。これは、スピン多重度が1ということだから、2S+1=1でなければならない。この方程式をとけば、S=0となる。S、つまりスピン量子数はゼロでなければならなくなった。これは、すべての電子がペアになっていることを示している。
 三重項酸素には二面の半被占軌道があった。その一方にあった電子が、もう一方の軌道に移れば、スピン量子数がゼロになる。そして、一方は空軌道となるから、これもスピン量手数はゼロになる。結局、このスピン多重度は一になるから、一重項酸素という呼び名がついて当然ということになる。
 一重項酸素に活性があるということは、これが、よそから電子をもってきて空軌道を埋めようとすることを意味している。一重項酸素の生成にあたっては、半被占軌道の一方から他方への電子の移動があった。さらにまた、一方の電子のスピンを逆にする仕事があった。これらの仕事にエネルギーが必要であったわけで、それがこの場合の活性化エネルギーに相当する。
 いちばんありふれた活性酸素は一重項酸素ではなく≪スーパーオキサイド≫である。酸素が、紫外線の照射によって、あるいは高い濃度によって活性化した形は、このスーパーオキサイドである。
 すでにお気づきのように、ふつうの酸素、つまり三重項酸素には、二面の半被占軌道がある。そのうちの一つに、外からきた電子がおさまった形の酸素分子が、スーパーオキサイドである。このとき、半被占軌道が一面のこる。この電子がさらにもう一個の電子をよそから呼びこんで、
それを満席にしようとするのである。そのためにこの酸素が活性酸素としての特性をあらわすのである。
 三重項酸素、つまりふつうの酸素の分子は負に帯電した16個の電子にガードされているので、そこにさらに1個の負に帯電した電子が侵入するには大きなエネルギーがいる。そのエネルギーが、紫外線照射や酸素分子の衝突によってえられることは、すでに述べたところである。
 分子軌道上の電子の連続写真をとることができたとすると、無数の点ができて、それが雲のように見えるだろう。これを《電子雲》という。電子雲を見ると、濃い部分も淡い部分もある。これは電子の存在の確率を反映したものであって、確率の大きいところで、電子雲は濃くなっている。
 電子雲は負電気をおびているので、外からくる電子にとっては見えざる斥力の壁となっているわけだが、電子はここで波動の姿に変身してこれを突破する。これがいわゆる《トンネル効果》である。
 スーパーオキサイドの場合、三重項酸素のもっていた二面の半被占軌道のうちの一面だけ残った形になっている。この電子のスピン量子数が1/2であるから、スピン多重度の式(2S+1)で、Sを1/2とすると、計算の結果は2となる。スーパーオキサイドは二重項酸素ということになる。
 
【三石巌 全業績 17 「老化への挑戦」より抜粋】


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