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三石巌全業績-17 老化への挑戦-5

三石巌の書籍で、現在絶版して読むことができない物の中から、その内容を少しずつですが皆様にご紹介させていただきます。


認知症は病気か

 本書の初めの部分に、ブラテインの死を扱った。そこでは、死因をアルツハイマー型認知症としたが、新聞には、ただアルツハイマー病と記されていた。それを私がアルツハイマー型認知症とした理由は次の通りである。
 まず、アルツハイマー病は、遺伝子の異常からくる病気であって、40歳代、50歳代に発病する。もし彼がこの病気の患者であったとすると、ノーベル賞をうけた年の1956年には55歳になっていたのだから、そのときすでに脳の萎縮が始まっていたはず、すでにボケていたはずである。当時の写真を見ると、彼は5歳位の少女とダンスをしている。
その満足そうな顔は知性に引きしまって見える。このあたりの事情から察して、彼が遺伝子病患者ではあるまいというのが私の見解である。そうすれば結局、彼の病気は、加齢とともにあらわれるアルツハイマー型認知症という判断にならざるをえないのである。
 一般に認知症の患者は、頭もからだも悪くなる。認知症になるし、足腰も不自由になるということだ。要するにこれは「結」の一つの形である。アメリカの医学誌「メディカルトリビューン」によると、21世紀になれば、死因の第一位はアルツハイマー病だろうとある。むろんこのなかには、ひとしくアルツハイマー型認知症もふくまれているだろう。
両者の区別はややこしいので、本書ではこれを区別せずに、アルツハイマーとして扱うことにする。
 まず、症状からいこう。初期症状としては、嗅覚の鈍さが特徴のようだ。眼をつぶって、オレンジとレモン、タマネギとニンニクなどの判別ができるかどうか。それが出来ないと、アルツハイマーの疑いが出てくる。これが最初の兆候なのだろう。
 アルツハイマーに顕著な症状としては、新しいことが覚えられない、言葉を選んで口に出すことができない。ボタンかけがスムーズにゆかない、などがあげられている。ひどくなると、協調性が失われ、優柔不断の傾向が出てくる。もっと症状が進むと、知人の顔も忘れ、名前が思い出せず、よく知っているはずの場所や事物がわからなくなり、年も忘れてしまう。無用の買い物をしたり、睡眠型がくずれて、夜中にうろつきまわったり、いらいらしたり、かんしゃくをおこしたりする。ノーベル賞をもらって認知症になるのと、もらいもせず認知症にもならずと、どっちがいいかは問題だ。彼の不幸が老年期に現れたとしても、たんなる老化現象とは考えにくい。老化現象は、顔にシワがよる現象に見るように、人を選ばずに公平に呈示されるはずだからだである。つまり、アルツハイマーは、加齢によって出現することのある「病気」と考えざるをえない。
 現代医学の方法論では、何よりもまず診断が先だ。恐らくCTスキャンによって、脳の萎縮を確認することだろう。次はその所見に対する対策ということになる。萎縮の結果として生じた空所には、脳脊髄液がたまっている。教え子の母親が、この液を胃に排出するための手術をうけた。彼女は入院のまま亡くなり、認知症は解消した。
 アルツハイマーに限らず、認知症の症状の1つに物忘れがある。さきには、物忘れといわれることの本質が、忘れたのではなく覚えないのだといった。しかし、ここにも具体例があげられているように、記憶したはずのことが出てこない、という物忘れがある。
 このように、記憶の再現ができないことの説明として、私は伝達機構の障害をあげた。それをまとめてみると、神経伝達物質の不足、伝達物質材料の不足、合成酵素の活性の低下、伝達物質を細胞体から終末ボタンへ送る<神経細管>の狭窄、伝達物質を受け入れるシナプス後膜のレセプター(受容体)の異常など、さまざまな欠点が考えられる。
 神経細管には、往路と復路とがある。往路は、神経伝達物質・ブドウ糖・ビタミンB1・ビタミンB2など、さまざまな物質の輸送管である。
復路は恐らく、ブドウ糖のもえかすの水や二酸化炭素などを輸送するものであろう。終末ボタンには、ブドウ糖からエネルギーをとりだす装置(ミトコンドリア)もふくまれているのである。
 神経細管の実質はタンパク質であって、その形は、トウモロコシの芯を抜いて豆だけを残したものにたとえられる。このタンパク質の管の1つ1つは、<チューブリン>とよばれる球状タンパクである。そして、その半交代期は14日だという。2週間ごとに、豆の半数が新しいものと交代するというわけだ。
 これは年寄りだけでの話でない。若者にも妥当する。要するに、低タンパク食をやっていたら、神経伝達系の保守もできなということだ。
 神経細管については1つの問題がある。それは、60歳をすぎた人には、例外なしにこれのくびれがみつかるというのだ。くびれのある管は通りが悪い。通りが悪ければ神経伝達に、大なり小なり支障がおきるだろう。まえにも書いたことだが、老人はとかく頭の回転が悪い。これが神経細管のくびれのせいだとすれば、低タンパク食の頭は回転が悪いことになる。チューブリンの交代のとき、くびれが修復されると考えるか
らだ。
 本永英治先生は、ネズミを使って鉛中毒の実験をした。そして、ニューロン内部に空胞ができているのを見た。空砲が軸索のなかにあれば神経細管を圧迫してくびれをつくるケースもあるだろう。
 アルツハイマー患者の神経細管にはくびれの多いことが知られている。また、脳内にアルミニウムの多いことも知られている。これが正しかったら、胃腸薬のようなアルミニウムをふくむ薬は敬遠するに起したことはない。それが認知症に通じるかもしれないからである。
 アルツハイマー患者のニューロンには特有なタンパク質が存在する。ネズミにアルミニウムを注射すると、このタンパク質があらわれ、アルツハイマーの症状がでてくると言われる。
 アルツハイマー患者のニューロンのなかでとぐろをまいているタンパク質は、胎児にあって成人にはない樹状突起成長因子である。この因子によって樹状突起が、合目的性を失ってやたらにのび、結局はニューロンを死に導く。これをニューロンの働きすぎによるとする考えを過労死説という。この現象は樹状突起成長抑制因子の不足からくると考える学者もいる。とにかく、アルツハイマーにかかると、ニューロンはネットワークをつくりもしない樹状突起を暴走するかのようにのばし、結局は自殺してしまう。
 いずれにせよ、「認知症は病気か」という問いに答えることは一朝一夕には難しい。

頭の回転と酵素

 神経細管にくびれがあると、頭の回転が鈍くなる、と考えることができる。神経伝達物質の補給にも、ミトコンドリアでエネルギーを発生するための各種栄養素の補給にも時間がかかるからだ。
 アルツハイマーの場合、神経伝達物質<アセチルコリン>の不足が指摘されている。これは知覚神経系の伝達物質だから、レモンとオレンジのにおいのかぎわけがまずくなるのも、これでうまく説明できないではない。ところが、アセチルコリンは運動神経の伝達物質でもあるのだから、アルツハイマーの特徴として、運動失調もあってよいわけだが、それはとりたてられていない。要するに、認知症のような難問に立ち向かうのに、われわれの力はまだとてもたりないのだ。
 DNAレベルでこの問題を考えてみよう。まず、アセチルコリンは、ニューロンの細胞体でつくられる。核内のDNAには、アセチルコリン合成を受持つ<酵素>の設計図があるはずだ。したがってコーディングを実現させるに必要な栄養物質と、アセチルコリンの材料となる栄養素とがそろえば、目的のアセチルコリンは、必要に応じて、必要なだけの量が用意されると考えてよい。ただしこれは、私の分子栄養学の論理だが。
 こういうことからすれば、アセチルコリンにふくまれるコリンの原料としての<レシチン>に、特別な注意を払うのが有利、という結論になってくる。
 コーディングについての説明は前にもあったが、ここでもう一度復習しておこう。
 アセチルコリンの材料は、アセチルコエンザイムAとコリンである。両者が反応をおこすと、アセチルコリンとコエンザイムAとに分かれる。そしてこの反応は、コリンアセチル転移酵素という名の酵素によって営まれる。こんなややこしい化学変化を、高温にするのでもなく高圧をかけるのでもなく、37度程度の低い温度であっさりやってのけるのが酵素に与えられた、本来の、そして唯一の使命なのである。
 アルツハイマー患者のコリン作動性ニューロン、つまりアセチルコリンを神経伝達物質とするニューロンを調べてみると、このコリンアセチル転移酵素の活性の低いことがわかる。そのレベルは、正常値と比べて70%ほども低いという。こんなことでは、レモンとオレンジのにおいのちがいも、タマネギとニンニクのにおいの違いも、嗅ぎわけられないだろう。
 体内で生命活動のために行われる化学反応の種類は多く、3000ほどある。これが、1つの例外もなく37度前後の低温で進行する。そうでなければ困るのである。これはひとえに、酵素という触媒のおかげにほかならない。
 酵素による反応をという。われわれの人間のもつ酵素は約3000種ということになる。
<酵素タンパク>という言葉がある。酵素はタンパク質なのだ。そして、その設計図はDNAが持っている。酵素タンパクをつくる場合には、DNAのその部分のコピーをとり、それを核外に出す。このコピーの名は<メッセンジャーRNA>(mRNA)である。mRNAが<粗面小胞体>の上に横たわると、その上を<リボソーム>とよばれる雪だるま状の粒子が動いて、暗号を翻訳し、アミノ酸のくさりをこしらえてゆく。この一連の過程がコーディングであったのだ。
 酵素タンパクの設計図はDNAがもっている。そして、コーディングは、その代謝が必要だという情報をうけると開始され、酵素タンパクが作られる。この過程を<フィードバック>という。これは、いわば「打てばひびく」の関係である。フィードバックがスムーズにおこることは、頭の回転がはやいためにも、手足が巧みに動くためにも必要である。
 分子栄養学では、フィードバックを重視する。それで、フィードバックのための栄養条件を問題にする。「分子栄養学序説」には、フィードバックビタミンとフィードバックミネラルとがあげられている。それを見ると、フィードバックビタミンとしては、ビタミンE・ビタミンC・ビタミンB12・ビタミンB1・ビタミンB2・ビタミンA・ニコチン酸・ユビキノン・パントテン酸・葉酸が、そして、フィードバックミネラルとしては、ヨード・マグネシウム・亜鉛と、実に多くの栄養素が列挙されている。これだけのものが全部そろっていなければ、フィードバックはうまくゆかないのだ。頭の回転どころか、からだのあらゆる活動が、打てばひびく状態におかれないのだ。むろんそれは、年寄りだけの話ではない。
 なぜかくも多種多様な栄養素が出てくるかといえば、コーディングそのものが、約20段階の代謝リレーで成り立っているからである。それならばそれぞれを担当する酵素がそろえばいいではないか、と読者は思われるかもしれない。ところが、ことはそれでは単純ではないのである。

酵素とそのアシスタント

 砂糖は炭水化物だから炭素と水の化合物である。炭素もちろんもえるものだから砂糖はもえる。角砂糖を火の中にいれれば、その実際を見ることができるだろう。ところが、角砂糖にマッチの炎を近づけても火はつかない。
しかし、そこにタバコの灰をまぶしてやれば、マッチで火がつく。なぜだろうか。
 たき火に投げこんだ角砂糖が燃えるのは、その温度が十分に高くなったためである。そして、マッチの火で燃えなかったのは、温度が低すぎたためである。マッチの火の温度でも、タバコの灰があれば燃えたのは、低い温度で燃焼が始まったというだけのことだ。
 酵素は、体温という低い温度で反応をおこすような媒介をする物質であることを、読書諸君はご存知だろう。だとすると、タバコの灰は酵素に似た作用をするといってよい。この作用をさして<触媒作用>という。そして、酵素は生物特有の触媒であるところから、<生触媒>という別名を与えられている。
 さきに不飽和脂肪酸に水素を添加して二重結合の数を減らす手段のあることを述べたが、このとき、不飽和脂肪酸と高圧の水素とを密閉した容器に入れ、これにニッケルの粉末を加える。するとニッケルが触媒となって、この反応を進行させるのである。このことを考えると、酵素という名のタンパク質の性能がいかにすぐれているかがわかるだろう。
 酵素はこのようにすぐれた触媒であるが、泣き所をもっている。それは、アシスタントなしには無力のものが多いからだ。フィードバックには、色々なビタミンやミネラルが必要になるといったが、これはすべてアシスタントだったのである。
 アシスタントの多くは酵素と結合する形である。これを<補酵素>という。これは非タンパク質であって、大部分はビタミンである。私の分子栄養学では、酵素を助けて反応を実現させる物質、つまりアシスタントを引っくるめて、これを<協同因子>と呼ぶ。
 アセチルコリンをつくる反応で、基質はアセチルコエンザイムA、代謝物質はコリン、目的の物質はアセチルコリン、代謝副産物はコエンザイムAであって、アシスタントは見当たらない。実は、アシスタントは気質のもつコエンザイムAであったのである。コエンザイムは助酵素の英語なのだ。この反応では基質が助酵素を抱え込んでいて、いわばカモがネギをせおった形になっている。
 次に、別の神経伝達物質<ギャバ>(ガンマアミノ酸)が、アミノ酸の1つのグルタミン酸から合成される場合を例にとってみる。アシスタントつまり協同因子はビタミンB6である。そして酵素は<グルタミン酸脱炭酸酵素>である。
 ギャバは、脊椎動物にも無脊椎動物にも、その体内に存在するアミノ酸であって、脳内にとくに高濃度に存在する。脳内に多いのは、<ギャバ作動性ニューロン>において神経伝達物質としての役割をもっているためだ。
 ギャバは<抑制性伝達物質>として知られている。これは、ギャバを受取ったニューロンは沈黙するということだ。脳には集中という現象があるが、これは、特定の部分だけが興奮してよそは沈黙している状態をさす。この状態は、ギャバなしにはつくれない。ギャバはいわゆる精神の集中のために不可欠な伝達物質などである。
 この事実は、タンパク質が不足してもビタミンB6が不足しても、集中がむりになることをわれわれに教えてくれる。ギャバは、内分泌・行動・自律神経などにも抑制性伝達物質などにも抑制性伝達物質として働くという。したがってギャバの効用はきわめて広い。そこで、ギャバの合成が睡眠中に限られるという説が正しいとすると、徹夜マージャンのあくる日に、頭の調子も体調もパッとしないという多くの人の体験が、理論的に説明できることになる。
 なお、抑制性伝達物質としては、グリシン・タウリンの二つのアミノ酸が知られている。前者はタンパク質にふくまれているけれど、後者はタンパク質にはなく、アミノ酸システインからつくられる。
 こういうわけで、低タンパク食では、どんな脳もお手上げということだ。なお、ビタミンB6が欠乏すると<けいれん>がおこる。これはギャバがないと筋肉運動の抑制がきかないからだ。
 ギャバはミトコンドリアにはいれば、エネルギー源として利用され分解される。この点がまことにおもしろい。それに、脳の毒物であるアンモニアが、ギャバをつくる代謝で利用され分解される点もおもしろい。
 昔はギャバを経口的にとるための薬があったけれど、やがてそれがニューロンに吸収されないことがわかって製造中止となった。近年は、ギャバをパントテン酸と結合させたものが薬になっている。パントテン酸はビタミンの一種である。この薬なら、ニューロンを守るバリアー(血液脳関門)をかいくぐることができるのだ。
 もともとギャバという物質は、ギャバ作動性ニューロンの細胞内でつくられるべきものだ。それなのに、外からそれを潜入させようとするのは余計なお節介というものだろう。それが首尾よくバリアーを突破してギャバ作動性ニューロンに入るのは結構なことかもしれないが、ほかのニューロンに潜入したらまずいことになるだろう。
 結局、生体に備わった合目的性を尊重する立場を貫徹しようとするなら、ビタミンB6の補給を考慮するのがよいことになる。なお、グルタミン酸もバリアーで拒絶されるのである。

【三石巌 全業績 17「老化への挑戦」より抜粋】


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