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手すりとの会話

手すりをつかみ、立ち上がり思った

「あぁ、なんて気持ちがよいんだろうか」

 少し手を放して手すりから遠ざかった

「せっかくの運動神経だ。助走をつけて飛び越えたらどんなに気持ちがいいだろうか」

パタパタパタパタパタ

ヒョンッ

「きれいに飛べる。もうどこにも向かわなくていいんだ」

あ、まだ遺書残してなかったな

飛び降りというのは嘘で、飛んだら重力で下に行くだけ

 思い返してみれば友達と呼べるような関係の人間、即ち特に価値を与えることを考えることなく連絡をし合って時間を共に過ごす様な関係の人間が誰一人思い浮かばない。

 思い返してみればそれは物心付いてから、即ち思い返すことができるすべての人間関係を洗ってみても、誰一人として思い浮かぶことがない。

 思い返してみれば記憶の始まりは一人何かの罰で座らされて他の人間が揃ってやっていることに参加しておらず眺めているその光景だった。

 思い返してみれば自らの意思として、この人達は何を争っていて私より先に行きたいのであれば自由に行けばいいと競争を辞めた、戦うことを辞めた小学五年が自我の自覚的な発露だった。

 思い返してみればそこから今まで、友達がいなさそうな人と会話をすることで寂しさを紛らわすことはあれど仲良くはならず、勉強を教え合うという価値の交換という関係性だった。

 思い返してみれば属していたあらゆるコミュニティにいた人間との関係は価値の交換以外に置いて一切断たれていた。それは自覚的に断ったつもりなど一切なく、ただ時間を過ごしていたら自然とそうなっていた。

 思い返してみれば周囲にいるどこの誰もが誰かといる人間だった。どんな状態のどんな人間も家族や友人などレッテルを貼った人間関係がどこかしらにはあり、必然の様に連絡や会話をしているらしかった。

 思い返してみれば外部環境が原因で努力できない人に機会を与えることを生きる理由としていた。

 思い返してみればいつの間にか活動の幅が広がり、その度に、ここも他の一切の人間が放置してきた場所なのだということに絶望し、何者でもないくだらない自分でさえも価値を出さないといけない状況が、価値を出せてしまう状況があった。

 思い返してみれば誰もが耳心地のいいことを声高に叫んでいた。

 思い返してみればかけられた言葉の一つ一つはいつも簡単に放置という形で捨て去られ裏切られてきた。

 思い返してみればいつだって頭痛と死にたいと言う気持ちと半身の痛みを抱えながら酒とタバコとコーヒーに埋もれながら時間を過ごしていた。

 思い返してみれば大切にしてきた好きでたまらない音楽という趣味を辞めた。そしてそれと同時に音楽を聴くと激しい頭痛に襲われるようになった。

 思い返してみれば尊敬する人物の像が離れていった。

 思い返してみれば一人、また一人、そして人間の行動や言動一つ、また一つに対しての期待を捨てていった。

 思い返してみればいつからか心が動かなくなっていった。後から振り返ると嬉しかったなと感じる出来事も、その場では何も感じることがなくなっていった。

 思い返してみればお酒の味も分からなくなり、いくら水の様に飲んでも一人でも酔うことができなくなっていった。

 もういい

死のうか

消えようか

そんな気持ちも考えも浮かばない

ただ純粋な虚無

他人が動く生命の一つという程度にしか思えない

このままいこう

この肉体を操作しながら

ただ一つ

外部環境が原因で努力できない

どの様な目標を持ったとしてもその瞬間に諦めることが当たり前な状況で生きなければいけない人間がいる

自己責任では説明がつかない努力できない環境で生きる人間がいる

その様な人間と全く同じ人間として産まれた人間として

その様な人間を放置して生きていくことはできない

その様な人間を放置して死んでいくことなどできはしない

辛くも悲しくも怖くも嬉しくも哀しくも楽しくもない

その様なこの幸せに満ち足りた私の人生を

二人目の自分に動かしてもらいながら

三人目の自分に眺めてもらいながら

壊れた心のまま この身が朽ち果てるか 外部環境が原因で努力できない人がいなくなるまでは

幸せでたまらない自分存在を大切に生きていく

その覚悟だけは

とても残念ながら

一人目のお前がしなければいけない

がんばるよ

ありがとう

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