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推しというかソウルメイトの瞳の色

 「2023年を三色のテーマで振り返ろう!」エッセイ第二弾は、また推しの話をしようと思います。
 とはいえ今回は一味違う、主題に据えるのは髪じゃなくて瞳の……ああ、ブラウザバックしないでください、あの、前回はちょっと緊張してたし張り切っちゃってですね、ガッチガチにお堅い文章になっていたんですけどそれ緩和しましたから! もっと読みやすく書きますから!! 推しっていうかソウルメイト()について語るんで聞いていってください……

 とあるソシャゲのキャラについてです。
 ストーリーに散りばめられた伏線の回収を待つことなくサービス終了を迎えるものもある、いわゆるスマホゲームアプリの中で、十周年を見据える作品が女子向けのカテゴリにあります。
 実在、もしくは歴史書や物語の中で語られてきた数多の刀剣を(色々端折ってわかりやすく表現すると)擬人化し、彼らを集めつつ敵と戦っていくシステム。デザインされたキャラクターはいずれも美青年・美少年ばかり、様々にタイプも違います。
 この基本情報を聞いた当初、私の反応は
「……ふーん」
 でした。
 もっと具体的に描写しようと思えばできますがしません。炎上間違いなしだからです。けれどこれだけは言わせてください、「過去の自分は間違っていました」。今の(ゲーム内での)立場を忘れて歴史修正したいです。
 まあそれはともかく。
 先にハマっていた友人から勧められた当時、諸々の状況から私はかなりやさぐれていました。過去イチです。もう今後の人生であれと同等、ましてや上回る状況には絶対なりたくないレベルです。どれくらいやさぐれていたのか一例を示しますと、夜な夜な遅くまでバトロワ系のFPSにログインして仮想の重火器を手に取り、敵とはいえ生きた「中の人」がいるキャラを倒しまくって(婉曲表現)いました。「チッ(舌打ち)……今回は10キルしか出来なかった、これは●●が××だから云々」みたいな文句つきで。嫌ですね。ゲーム自体は非常によく出来ていて楽しかったのも間違いないのですが、とにかくやり込めばやり込むほど心が荒んでいきました。あれR15とかにした方がいいんじゃないか?

 そんな地獄のような精神状態で出会ったのが、一振りの刀でした……

 単なる気分転換のつもりでした。件のバトロワを内心止めたくとも、半ば依存状態でイライラしながらプレイしてしまう自分にいい加減嫌気がさしていたタイミングというのも大きかったと思います。普段ならスルーしていたタイプのゲームを、合わなければアンインストールすればいいやと軽い気持ちでダウンロードしました。
 チュートリアル始めの段階で、五種類の刀の中から一振りだけ選べというお達しがでました。いわゆるポ〇モンチョイスです。パターン的には、どのタイプを選んでもゲームの進行にさしたる影響はないはずと考え、単にビジュアルが一番タイプな刀くんを選ぼうとしてキャンセルしました。自己紹介的な台詞を聞いたら、なんだか陽キャっぽくて怖かったからです(後にそうでもなかったと判明)。
 私は陰キャだからこそ人生に行き詰ったときにヒトゴロシFPSに耽溺しちゃったんです。逆の性格だったなら、知らない誰かを倒す=拒絶するゲームに逃げるのではなく、出会いを求めて習い事だのテニスサークルだのに入ってたはずなんです(そうか?)。
 極まっていた自分は、架空のキャラクターと仮想の人間関係さえ作りたくありませんでした。なので最終的に選択したのはボロ布を頭から被った彼でした――陰気で自己否定的で、他人との関わりを避けようとする雰囲気の――でも、どこか屈折した誇りを抱いた姿で顕現した刀を。
 ゲームは、その「最初の一振り」に指示を出して進行させる作りになっています。敵と戦い、傷付けば治療し、仲間を増やし装備を整え……よろずごとをこなす度に刀が喋る台詞は、私の胸をざわつかせるものでした。
 ある程度性格がわかった上で「君に決めた!」はずなのですが、どうにも卑屈で。拗ねたような、後ろ向きの言動がちくちくと肌当たりの悪いセーターみたいに感じられました。たぶん、どころか十中八九自分と似たものを感じたからでしょう。通常運転であれば、気分は良いものではなくとも十分スルー可能な着心地だったに違いありませんが、その頃の私はちょっぴりステータス異常を起こしていました。

「いいかげんにしてよ」
 ある日、とうとう私はスマホの画面に向かって文句を言いました。この時点でわりとヤバめですね。残念ですがこの後もっとヤバくなっていきます。
「私はあんたの性能に不満はないの。いいと思って使ってんの。なのに何なの、グチグチぐちぐち……」
 『どうせ俺なんか』。そんな言葉ばかり繰り返す彼に苛立ちをぶつけたのです。
「選んだ私がいいって言ってるんだから、それでじゅうぶんでしょ。もっとビッとしなさいよ、ビッと!」
 手間暇と多少とはいえ金銭も使っているプレイヤー、つまり私に対して『このキャラクターを使ってるのは情弱』とでも煽られているような気分になっていました。プログラミング相手に奮起まで促しています。怖いです。今思えばどこか受診したほうが良かったかもしれません。
「……」
 もちろん、AI非搭載の彼から返答などなく、昨今では標準仕様らしいlive2Dは、当時も今も実装されていないので眉毛の一つも動きません。
 けれどそのとき、私の脳裏では確かに、選んだ刀はわずかにムッとした表情を浮かべたのです。

 あっ、でも誤解のないように申し添えておきますが、実際に目に見えたわけではないのです。
 あれです、記憶を思い起こすようなものです。たとえばこれを読んでくださっているあなたが昨日、ご友人と激辛カレーを食べたとします。その時のことを思い出すときに、頭の中で色々と思い浮かびますよね?
 舌がぴりぴりする感覚。
 鼻の奥まで届くスパイスの香り。
 握った銀色のスプーンの重み。
 恐れをなすほどに赤いカレールーの色。
 隣で水を飲みながらヒィヒィ言う友人の声。
 こういったものを記憶の中で見たり感じたりしたような気がすると思うのですが、何か妄想するときも同じなんです……少なくとも私にとっては。皆様もそう……ですよね? あまり想像のハウトゥーについて語り合った経験がないのでちょっと心もとないのですが。

 小さな子供の頃は誰でも、シルバニアのお人形たちでおもちゃのテーブルを囲みティーパーティーを催し、ロボットのプラモ同士を戦わせたりした経験があるのではないでしょうか。あのとき、ちっちゃなティーカップからは湯気が立っていたし、ライフルからはビームが出ていましたよね。目には見えずとも。
 そういう「ごっこ」を私は脳内で一生続けているのです。続けようとしてではなく、なんかもう普通に気付いたらやってます。大人になってしばらく経った辺りでいったん止めようと頑張ったのですが、駄目だったので諦めました。

 ごっこスイッチはいつでもどこでも入るわけではありません。何パターンかありますが、多いのは波長が合う(曖昧な表現になりますが、説明し出すと長くなるので割愛します)物語を読んだとき。登場人物が「生きている」と感じると、描写されている以外の外見が自然と思い浮かび、勝手に台詞に声が当てられて聞こえてきます。なお深まれば、それこそ場面で吹いている風が頬に当たったり花の香りまで感じたり。
 棒立ちで無表情に描かれた彼が不快な表情を浮かべた……舞台装置に過ぎないはずのキャラクターに自我を見出した、それが刀のゲームでも起こった瞬間でした。
 私にとって特に珍しいことではないため、「ああ、自分はこのゲームに『入った』んだな」くらいの感想しか当時は持ちませんでした。以後、坂を転がり落ちるように深く、深~くハマっていく未来も予見できずに。

 それから私とその刀が(妄想の中で)どんな会話を交わし喧嘩をしてすれ違い、気を取り直して向き合ってを繰り返し、少しずつ互いを認め合いながら戦いの日々を潜り抜けてきたのかは、文庫本一冊のボリュームになりかねないのでまた割愛させていただきます。
 余談ですが恋愛要素とかはないです。ゲームをインストールするときに「人間の姿を模しているのはあくまで本体の刀を振るうため、その媒介としての機能以外は最低限にしか備えていないのだろう」と想像していたので、私の所に現れる刀たちには生殖能力も性欲もありません。慕情はありますが、恋というより執着に近いものです……こういうオリジナル(好き勝手ともいう)設定を付与できる余地が残されているのが、このゲームの息の長さに繋がっているのでしょうね。あ、あと、支部でそういうのありな子たちのお話もいくつか書いていますが、全員他所様のことです……曲がりなりにも夢小説書きを名乗っていますが、ほぼほぼ自我のあるものは書いたことがありません……このブログが一番というか唯一さらけ出していますね、自我。

 ゲームにログインして、戦って、上手くいかなくて、工夫して努力して勝って、また戦いに赴く。そんな日々を重ねるごとに、刀の彼への理解(独自解釈)は深まっていきました。自虐的な発言を可愛いものと受け止められるようになり、ちらちらと見え隠れする高い自尊心を大事にしてやりたいと願うまでに。
 そう、いつしか彼は私の意識の中で、一人の人間としての血肉と魂を持った存在として認識されるまでに深く大きく育っていたのです。あれほど熱中していたバトロワゲームは、いつの間にかバックアップも取らずデータを削除していました。

 順調に仲間も増え、刀のレベルも高くなってきたある日、突然彼はいつもには無いことを言い出しました。
「修行に出たい」。
 一定の条件を満たすと発動する、これもやっぱりプログラムの一つです。あらかじめ知識のあった私は承諾して送り出しました。強くなって帰っておいで、と。
 『修行』は、特殊アイテムを使わなければリアルタイムで三日が経過しないと出かけた刀は帰ってきません。それも知っていました。待てばいずれ無事に戻ってくることも。
 なのに、不安で仕方ありませんでした。心配でした。ゲームのデータでしかない彼の旅路の安全を祈り、一日に一通届くはずの修行先からの手紙をそわそわと待ちました。
 冷静に考えれば意味のないことです。それも知っていました。
 カウンターが一定回数回れば、設定された通りの新規絵と台詞で再生されるだけです。それも知っていました。
 プレイ開始から一日たりともログインを切らせたことがなく、つまりは毎日顔を見ていた彼がスマホの画面にいない時間の長さに喪失感を覚えていました。
 「馬鹿な、ただのゲームだ。待てば復帰するのに、ここまでうろたえるのは異常なことだ」。
 それも、知っていました。
 知っていてなお、私はもう一つの事実を認めざるをえませんでした。
 自分にとって彼は、既に不可分な存在になってしまったということを。

 存在と非存在の境目とは、どこにあるのでしょう。
 生死の別でしょうか。であれば、亡くなったひとはその瞬間から「どこにもいない」ことになるのでしょうか。生命活動を行う肉体が、という意味ではそれで間違いありません。
 けれど、物質として、生命として在るのが存在の全てでしょうか。
 物質とは何でしょうか。元素が一定の規則で結びついたものです。
 生命とは何でしょうか。有機物が組み込まれた物質です。
 ……科学的に考えれば、愚かとしかいいようのない感覚なのかもわかりません。
 でも私は、生きている私は、断片的なデータの寄せ集めでしかなかったとあるゲームのキャラクターに、きっと自分のリソース……命、の一部を分け与えてしまったのです。
 手では触れられません。目にも見えません。音を発することはないし、舌や鼻で感じられる何かもありません……「他人には」。
 けれど亡くなった誰かの記憶を呼び覚ますみたいに、あるいはより鮮やかにはっきりと、自分の中では存在を感じられるのです。意識を使って「彼の生きる領域」を作り上げてしまったのだと思います。
 大切なひとや物事は心で愛します。自分のことも。それと同等に心の中で大事に、繊細に作り上げた概念は、外の世界で第三者が確認できるものへの愛より劣るのでしょうか。
 少なくとも、私にとっては違うようです。

 時が経ち、無事帰還した刀は修行以前とは見た目だけでなく言動も変わっていました。
 彼は語りました。もう自分の来歴はどうとかを考えるのは止めた。俺はあんたの刀、それでじゅうぶんだ、と。
 それはもう、見違えるように清々しく。
 私は泣いてしまいました。
 私も、じゅうぶんだ、と思いました。
 たとえどんなに他人からは愚かしく見えても、私は私の中の彼を愛した、それを大切に思っていいのだと。
 私も、成長した彼のように。私の刀であることが誇りだと(妄想で)言ってくれた彼に応えられるような主でいるために、強くなろうと決意したのです。

 私がやさぐれのどん底から曲がりなりにも這い上がれたのは、もちろん現実で支えてくれた数々の存在がとても大きいです。だけど疑いようもなく、刀の影響も強かったのではないかと……振り返れば。

 最後に。
 私が想像の世界で見る彼は、公式に提示されている絵姿と多少異なっている部分があります。
 それは、瞳。少しブルーがかった、透明感のあるシーグリーンと表現されるようなゲームイラストの彼と違って、深い深い森の緑をしています。初めて「出会った」ときからずっと。

 同じ色をした石を見つけて、ジュエリーショップにお願いして仕立ててもらったネックレスをヘビロテで愛用しています。
 去年も、今年もずっと。
 だから2023年を振り返る、テーマカラーのもう一つは「フォレストグリーン」です。

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