八百万の神さま
『サステナブル』
言葉だけはよく聞くけれど、実はよく分からない。
『SDGs』
『持続可能な開発目標』
こう聞いても、ピンと来ない。
日本には古来から『八百万の神さま』という考え方がある。
私はこの『八百万の神さま』が大好きだ。
非科学的だ、オカルトだと言われてしまえばそれまでかもしれないが、大切に使ってきた物たちが、人知れず動き出すかもしれないと考えるだけでワクワクする。
子供の頃。
お米には八十八(米)の神様が宿っているから、一粒残さずに食べなさいと躾られてきた。
30代になった今でも、残さず最後まで美味しく平らげている。
一緒に暮らしていたおばあちゃんはメモ帳を買わず、片面刷りのチラシや書き損じの紙を切って使っていた。
洋裁や編み物が得意なおばあちゃんだったから、幼い私に何枚も服やカーディガンを作ってくれたし、編み物も教わった。
それが嬉しいやら楽しいやら、今でも履けなくなった洋服をバッグや小物にリメイクしたり、マフラーを編んでいる。
買った方が早い。材料費を考えたら買った方が安い。
確かにその通りかもしれない。
でも私は、自分が身につけるものだから、愛着を持って長く使いたい。
ほつれたら繕う。
破れたら違うものに作り直す。
そうやって、少しずつ形は変わってしまっても、大切に長く使いたい。
けれど、何でもかんでも長く使えばいいと言うものでもない。例えば、絆創膏や注射針などの衛生用品なんかは使い捨てである事がほとんどだし、使い捨て前提の物だから、使用目的を鑑みても使い回さない方が良い。
長く使うもの。
短いサイクルで使い捨てるもの。
それぞれ必要な物だから、適切に使い分けて生きていくことが大切だと思う。
私が出来ることと、あなたが出来ることは大体おなじかも知れないし、まるっきり違うかもしれない。
こうしろああしろと強要するものではないから、お互いが出来ることから始めよう。
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