【CS礼拝】2024.1.28「私の戦争体験」
これは2024.1.28、おもに子どもとその保護者が参加する礼拝で、教会員のゲスト奉仕者S.E(女性)がお話されたものを書き留めて、話の流れに沿ってまとめたものです。
本文では、『聖書協会 新共同訳』を引用しています。
【 聖書箇所 】
【 説教要約 】
《 1945年5月 佐賀県小城市[横浜からの疎開地]で女学校(中学)1年の時 》
※ 機銃掃射の恐ろしさ
※ 山中で松根油(ガソリン不足で、灯油に入れた松の根から取る油)を作るために、松の根を掘っていた時
※ 教室を兵舎だと見誤って、アメリカの飛行機が急降下してきた時
【 説教まとめ 】
1945年5月の当時、私は横浜に住んでいましたが、学童疎開によって佐賀県に行きました。
戦時下では、昼と夜中に空爆があり、アメリカの戦闘機が飛んで来ました。戦闘機は、戦闘基地でないことを確認すると、去って行きましたが、接近してきたときは、パイロットと目が合うこともあり、私は死を何度も感じました。
学校では、1・2年生は授業をしましたが、3年生以上は、戦争の物資を備える作業をしていました。中学1年生であった私も、松の根を掘り出して、その油をとる作業をしました。
この油は、戦闘機の燃料に混ぜるためのものです。
戦闘機は、急上昇することもありますが、そのとき急激な温度変化によって燃料が凍ってしまいます。しかし、この松根油を混ぜておくと、燃料が凍らないそうです。
体育の授業では、なぎなたや手りゅう弾を投げる訓練をしていました。当時は物資も不足しており、いざというときのために竹やりで戦闘機と戦う訓練もありました。
そのような戦争も終わり、ラジオ放送では「終戦」と放送されましたが、終戦ではありません。
これは敗戦です。
私たちは、誠実にこの事実と向き合っていかなければなりません。
今でも戦争が世界では続いています。今の世は、原爆があります。戦闘員でなくても、ボタン一つで人を殺せる時代です。
こんなに戦争をしない国はありません。どうか、竹やりで戦闘機に向かって行くような出来事を繰り返さないように、今一度、平和憲法の重要性を一人ひとりに見つめ直してもらいたい。
お祈りをします。
【 お祈り 】
天にいらっしゃいます父なる神さま。今日も教会で、またLINEを通して礼拝を献げることができ感謝します。
今世界で戦果の中で苦しんでおられる人々に、また能登の被災地で耐えておられる方々に一刻も早く平和と安心と助けが届けられますように。今日も、みことばからイエスさまの愛について深く知ることができますように導いてください。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。
アーメン。
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